第14回サイゼミ ゲノミクス・オートポイエーシス・コーヒー 感想 視点: ブロッコリーマン
サイゼミとは:
LW(@LW_ru)くん主催の勉強会およびそのコミュニティです。過去にもさまざまなテーマで勉強会を行っています。各回の詳細についてはLWのサイゼリヤを参照。
ゲノミクスについて by みそ氏
一部に熱狂的な支持を持つブログ「みそは入ってませんけど」の著者、みそ氏による発表。
「ゲノム」という言葉が何を指すのか、実のところはあいまいで、一般的には「ゲノム」 = 遺伝情報 = その記述媒体であるDNAそのもの と理解されている。私の昨日までの理解は、「ゲノム」 = 遺伝情報 = DNAに記載されている「意味」 みたいな感じだった。
みそ氏の説明によれば、「ゲノム」 = 遺伝情報 というところまでは良いのだが、DNAだけが遺伝情報を伝えるわけでも、DNAのすべて(すべてのDNA)が遺伝情報であるわけでもない。
遺伝情報の中にはDNAに基づかない遺伝情報が存在する。この例として提示されたショウジョウバエの受精卵が卵割の際に前後を決定する話が面白かった。1つの細胞である受精卵が2つの細胞に分裂した際、どちらが前でどちらが後ろになるかを決めなければ、バグってどっちも前のショウジョウバエとかどっちも後ろのショウジョウバエとかが生まれてしまうことになる。そうならないように、ショウジョウバエは受精卵内のあるタンパク質の濃度勾配を用いて前後を決定する。このタンパク質の濃度勾配は、たしかに明らかに遺伝するし、情報だ。
「ヒトゲノム計画」は、「ヒト」のDNAの塩基配列を決定(!)する計画である。だが、上記の議論に沿って言えば、「ゲノム」 = DNAの塩基配列と捉えるのは必ずしも正確でないということがわかる。ただそう考えるのがエコだから現状そうしており、人類は大きな問題が発生しないかぎり、たぶんそうし続けるだろうということがわかった。
「ヒト」のDNAを決定する! すごいことだねえ。と思った。さぞお金がジャブジャブと動いたことだろう。だがおそらくDNAに基づいて「ヒト」であるものとヒトでないものを峻別するというのは、うまくいかないだろうと思った。21番染色体が1本多い友人の弟のことを考えた。これは過つことの許されない問題で、科学はつねにそれ自身への不信と盲信に抗っている。そのバランスは思っていたよりずっと危うい。
オートポイエーシスについて by LW氏
だいたい書きたいことはツイートしてしまった。文学ではないテクストを文学だ! と合弁して擁護する手口に一定の忌避感がないではない。だが「理論以前の《理論》」について、人間が自身の覚知する世界の様態を他者に伝達する、既存のA以外の方法についての試行を、その可能性において評価する、ということは、とりもなおさず「文学」として評価することだ。
主要著作っぽい『オートポイエーシス — 生命システムとは何か』が上梓されたのは1972年だが、ピノチェトによるクーデターが起きたのは1973年である。この冷戦下の時代におけるチリの情勢変化は凄まじく、一考の価値がある。
クーデターの3年前、1970年に樹立されたアジェンデ政権は、民主的社会主義政権である。つまり、選挙によって社会主義政党が勝利し誕生した政権である。アジェンデは明確にチリは第三世界のプレイヤーとして主体的に冷戦に参加できる、つまり2大国間のパワーゲームの中で揺れ動くことで利益を生み出すことのできる立場であることをはっきりと自覚した政権だった。キューバとの国交回復や、鉱山および外国企業の国有化といった統制経済などの政策を実行し、共産主義に接近することで反アメリカ・反帝国主義を露わにした。
このアジェンデ政権を1973年の軍事クーデターによって転覆したのがピノチェトであり、以降1990年までピノチェトの独裁政権は続くことになる。ピノチェトは社会主義者を徹底的に弾圧し、市場主義経済政策を推し進めていったが、それが冷戦のパワーバランスを前提とした、つまりアメリカというダディの存在を前提としたものであったことは疑いえない。
LW氏が引用した潜水艦の寓話は、こうした歴史的背景からも興味深い。冷戦、つまり資本主義世界と共産主義世界の陣地取りゲームを前提にすれば、チリは確かに資本主義から社会主義、社会主義から資本主義へと転換し、親米と反米の間を揺れているように見える。だが、その実、アジェンデにしてもピノチェトにしても、そのとき取れる利を取ろうとしただけなのではないか?
とにかく面白かった。
コーヒーについて by ワイ
コーヒーをいっぱい飲んでもらえてよかったです。むしろみなさんの感想が聴きたい。聴かせてくださいね
温度計を忘れたので温度計がなくてもお湯の温度が分かるシークレットテクを使ってコーヒーを淹れた。1杯目はめちゃめちゃブレていたが、2杯目以降はちゃんと自分でも合格点の味を出せていてよかった。今ふりかえると普段より温度は高めだったのではないか。
セブンプレミアム オリジナルブレンド なぞ煎り(たぶん浅め
エチオピア ナチュラル 中浅煎り(ハイロースト
ハイチ コープキャブ 中煎り(シティくらい?ちょい浅め
コスタリカ SHB 中煎り(シティロースト
インドネシア バリサン 中深煎り(フルシティくらい
タイ サイアムブルームーン 中煎り(シティロースト
コロンビア アナエロビック(ライトロースト
上記7種の豆を持って行っていたが、インドネシアとタイとエチオピアしか淹れていないので、飲み比べ要素はもう少しあってもよかったと思った。とくにセブンの豆は結構クセがつよいので飲んでみてほしかった。
さすがサイゼミというべきか、#味強速報 ポイントがいくつかあって、Lighdarくんの「酸味というより甘みと言ったほうがいいのでは」という提案は的確で、感動した。抽出から時間が経ったコーヒーの酸味は重く、舌が引っ張られるような酸味でネガティブに感じられるのに対し、美味しい酸味はフレッシュさや甘みを感じるような酸味だ。コーヒーの味を説明する過程では、この2つの酸味はしっかり区別されている必要がある。ひふみさんのナイスアシストが光ったシーンで感謝。
そういう意味でも、インスタントコーヒーが飲み比べ用にあると良かった。あれ嫌い(市川雛菜)
また、豆を直で食うことも、可能なのは知っていたが、どんどんやったほうがいいことがわかりこれは巨大な収穫となった。コーヒー屋の店頭で、いつ淹れたのかもわからないポットのコーヒーを味見用に出していたりするが、それより豆をひと粒食わせたほうがよほど味見としては正確だろう。
コーヒーの魅力を伝えられてカフェの宣伝もでき、学びもあり、Mission Completeという感じなのだが、今日は文学っぽい話をあまりできてなく、カジュアルよりの発表だったので謎の不完全燃焼感があった。機会があったらそっち方面の話もしたい。します
告知
来週2/5は一階堂洋「偉業」を読みます。誰でも参加歓迎です。気軽にDMとかメンションください。あと輪読座はサイゼミと違って、カジュアルに感想言って意見交換ベース→私が塩かけて終了みたいなテンションなので、本当に気軽にどうぞ。
新年会
楽しかった。酒飲みたかった~。脳がまだ余力を残していたせいで、帰宅してもなかなか寝付けなかった。余力を残していない状態で車を運転するのは危ない気もするので、まあ仕方ないとも言える。
以下箇条書き。
酒が飲みたかった。正直とても。自家用車はクソ。
ゴッシー合宿行きたいとなったので次回は是が非でも行きたい.
合宿だと車で行っても酒が飲める飲めるぞ
お願いします氏
美学と芸術批評について話した 褒めてもけなしても価格が動かないという前提がある文芸批評は実はかなり禁欲的なのでは、という話
お金を動かしたいよな やはりお金を動かすべきである
金銭的に禁欲的ということは別の欲が動き出さないということを意味しない
何者かになりタウロス
「外套」は 何者かになりたいという願望は権力ゲームへの参加(コミュニティへの参加)を強制するという話
何者かになる方法、「自分たちは尖っている」と全員が思っているコミュニティになるのが手っ取り早く、身もふたもなさがある
真顔でフロイト
できらぁ
麻婆豆腐
かなりうまかった
刀削麺
帰ってから刀削麵が売りの店と知った 食っておいてよかった。ひふみさんに感謝
帰り道キャリーバッグを重いと言ったらスッと持ってくれたしましまさん
ちゃんと惚れた でも普通にモテそうだしな~とか思って諦めるところまでいった。
若さ
それだけで良い
参加したみなさま、お疲れさまでした。感謝
無から有へ