本の中のティータイム 。田舎町に生きる人びとの日常。クランフォードのお茶会。
友人と会う楽しみはやはり”おしゃべり”にあります。
気の合う友達ならなおの事。ランチやお茶をどこに行こうかと考えるのもまた楽しみのひとつです。現代のように素敵なカフェやレストランが無い時代はどうしていたのでしょうか?
ヴィクトリア朝やエドワーディアン朝のご婦人方は、自宅でお茶をしていました。貴族の間でアフタヌーンティーを広めたアンナ・マリア・ベッドフォード侯爵夫人はドローイング・ルームと言われる応接室に友人を招き午後のお茶会を楽しんでいました。
それは田舎町のご婦人たちも一緒です。ギャスケルの故郷ナッツフォードをモデルにした架空の田舎町を舞台にした小説『クランフォード』で、平凡な暮らしの中の近所同士のお茶会について描かれていました。それは秩序と結束、または当時の道徳的習慣など当時のルールなどが描かれていてとても興味深いです。
小説クランフォードについて
1840年代初頭の頃のこの物語は独身や未亡人の中流階級の女性中心に焦点を当てており、ジョージアン時代の伝統的な生活様式に満足し、礼儀正しく、道徳的優しさを維持していることが誇りです。産業革命の影響で田舎町まで都会のように暮らしが変化がしていく事は危険な事とみなしています。
そんな中、現代的なアイデアで挑戦しようとする若い開業医や現代的な暮らしをしている住人がこの街を良くしようと引っ越してきます。
町で暮らしてる女性たちはこの街の伝統と秩序を守ってもらおうとお茶会に誘います。お茶会のしきたりを教えるためです。
この街に暮らす女性住人達はこのルールを皆守っていて規律が整っている事が自慢です。
・お茶にお呼ばれされるのは12時から3時まで。
・長居はしてはいけない。
・手袋を外してお茶をいただいてはいけない。
(手袋を外すことは長居するという意味になるため)
・お呼ばれされたら三日以上経ってからお礼のお茶会に誘うこと
・夜はロウソク2本つけて読書タイム
などなど、新しくきた住人に規律を守らせます。
ですがこの街に鉄道を引くためにやってきた男性住人は、そんなルール聞く気もなく。そういうルールでやっているんですね。とあなた方はあなた方。私は私。というスタンスで仲良くしようとします。
女性住民たちはあの方は独自のスタンスで暮らすようなのでと距離を置くと決めますが、男性住民はそんなことは気にせず話かけてきます。そしてどの住民にも手を差し伸べ、困っている人の手助けなどをしている姿をみて女性住民も思うところがあったようです。
男性住民がこまったとき、女性住民が手を差し伸べ、「困った時はお互い様。それが近所付き合いです。」と柔軟な思考で対応したのです。
秩序があるから、大きなトラブルが起きない。
でも逆をいうと変化がないということはトラブルに対処できなくなっていきます。かといってルールも何もないのは無差別でやりたい放題のカオスになります。
柔軟な姿勢で自分のルールが変化できる事は素敵なことです。
お茶会のルールも秩序を守らなくちゃいけないと思ったらキツイものになりますが、見方をかえると、お茶会も呼ばれっぱなし、呼びっぱなし。どちらだけ一方では困ります。
お互いに呼び合うルールで相手に負担ならないように長居はしません。
というルールが素敵に思えました。
作者エリザベス・ギャスケルについて
多くの作家に影響を与えたギャスケル。英文学史に名を残す作家たちに多くの賛辞を貰っています。
「あなたの創作力は、少なくとも千一夜は続くに違いない」
チャールズ・ディケンズ
「ギャスケル夫人の作品を読めば、それだけいい人間になることができる」ジョルジュ・サンド
ギャスケルは良き妻として母として家庭を支えながら、秩序と道徳的模範を物語の主人公の人生を通じて導いています。
また自然に沸き起こる自分の感情を素直に表現している描写もクスリと笑えます。お腹がすいていたらまず自分の欲求を満たしたくなりますよね。人を思いやるにはまず自分を満たしてから。満たせない時は仕方のない事と、さらりと表現しているのにも好感がもてます。
良きことばかりではなく悪いこともあります。
そんな時、ギャスケルの作品のように柔軟な姿勢で物事をとらえられていけたらと思います。
ブロカント307では
「これだけは譲れないもの」の自分の大切ものを大事にしつつ、「新たな好きなもの」と出会い、時代に応じて柔軟に変化していき、いくつになっても知らない自分を再発見できたら楽しいですね。
ブロカント307でみなさまの幸せな気分に浸れるもの探しのお手伝いになれば幸いです。
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