みがると身軽とみがるちゃん
私の文章には、おおよそ3つの人格が存在する。
1つ目は、今までのnoteに現れてきたような敬体を使う物腰柔らかい私。君に優しさを、世界に平和を。これを「みがる」としよう。敬語を使うということは相手を意識しているという事なので当たり前ではあるが、その文章に何かしらのメッセージがあることが多い。自己を紹介したい、私の好きなものを知って欲しいetc…。
参考↓
2つ目は、常体を使う、冷静で傲慢で、苦悩に満ちたふりをする私。これを「身軽」としよう。(一人称でフィクションを書く時も基本的に身軽になる。その時一人称が僕や俺になる事もあり、文体や一人称が自意識にかなり影響を受けているのだと感じる)
参考↓
3つ目は、この世の理不尽さや矛盾に悶え苦しみながら楽しんでいる私。これを「みがるちゃん」としよう。
参考↓
https://note.com/brisk_toad7887/n/n7ac1a1c3470d
私は結局、何も気にせず好き勝手書いているみがるちゃんが1番好きだ。しかし、論理的整合性や相手からの印象を意識した文章を書くとなると、noteにおいてはどうしても最初の2つの書き方に軍杯が上がる。みがるちゃんは日常でふわっと出てくる独り言に近いのかもしれない。一般化をしきれていないのである。
【これまでのまとめ】
・みがる…敬体。私。
・身軽…常体。私時々僕か俺。
・みがるちゃん…独り言。
こうやって分類してみると、キャラが迷走しているように思われた私の文章にも、ある程度のパターンが存在することが分かる。ちなみに今回の文章は身軽だと自認している。
もちろん、この分類は、昨今流行りのmbti診断のような後付けのものでしかないのだと分かってはいるが、分類をすると思考がスッキリすることもある。ちなみにこれは完全に余談だが、私は自己分析の手段としてのmbtiは非常に便利なものだと考えている。しかし、その人のことを深く知る前に偏見を持つのが怖いので、あまり人のmbtiを知りたくない。二重の意味で(そのタイプなのね+あなたmbti好きなのね)絶っっっ対に偏見を持ってしまうので、お願いだからあけすけと仲良くない段階でmbtiを教えないでほしいというのが私の願いである。まあ、似ている人を探すのに分かりやすくて便利だとは思う。
また存在しうる4つめの人格として少し女々しいような、ほんわか系の人格もあるような気がしないでもない。ずっと女の子でいたい「わたし」。
…強いて言うならセンス?noteで見つけた色んな人の感性への憧れなのかも。頭じゃなくて心で書く自分。
さて、私は何のためにnoteを書いているのだろうか?
書き始めた当初は自分の話を聞いてほしい欲が燻っていたので、それを満たすためというのが大きかったけれど、最近はもう少し未来の自分に残るものが書きたくなってきている。
本の感想しかり、行った場所しかり、誰かに聞いてほしいと言うよりも、未来の自分に残したいし、自己表現や自分探しがしたい。その中で少しでも共感や励ましをおすそ分けしたりしてもらったりできたらいいなという感じ。まあ、前からそうだったかも…。
とにかく!!
最近はみがるに違和感を覚えてきたから、今回のnoteからは頻繁に身軽やみがるちゃんという顔(ペルソナ?)を被ろうと思う。今までと違う形になると言えども、根っこにある倫理観は同じであるから多分大丈夫。最近始めた交換日記シリーズはそのままで。新しい物語が降ってきたら創作も載せてみる。よし。
ではまた。
#14 自意識を分類したがるの厨二病すぎる