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原発を落語で笑う

原発を落語で笑う

原子力発電所はいまだにさまざまな困難を抱えています。中でもトイレのないマンションと揶揄されるように、原発ゴミの廃棄処理ができないことが一番の悩みの種のようです。地中に埋めても放射能が弱くなるまでに十万年もかかったりするために、それまで管理するのが大変なのです。
いまだに最終処分場をどこにするか、もっていきどころがないようです。たいへんな報奨金を付けて、立候補地を募集しても、いくつか応募した自治体もあることはありますが、なかなか本決まりにはまだ至らないようです。
ということで、大臣にせっつかれて、もうこうなったら思い切って、地獄にでも持っていくしかない、 そんなとんでもないことを思いついた官僚がいたのですね。
ここからが、もし、という仮定の話になります。もしほんとうに地獄に最終処分場を持っていくとしたらどういったことになるのか。そんな想定を噺に仕立てたのがこの落語台本『おせんにキャラメル、地獄に仏』です。
この噺は桂米朝師匠の演じておられた『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』のパロディになっています。
原発の高レベル放射性廃棄物の最終処分場を日本国内ではつくることができないと見極めた官僚が、こうなったらしようがない、地獄の閻魔様に頼み込んで造らせてもらうという噺なのです。 放射性廃棄物を地獄まで持ってゆくのは死者の役目です。日本人が亡くなったとき、それまでの六文銭のかわりに原発のゴミを固めたサイコロ一つを託することにするという法律が新たにつくられます。
上方落語でおなじみの喜六、清八の二人、故あって相次いで死んでしまいます。 二人はそれぞれサイコロを持って三途の川にやってきます。
そこからどうなるのかは、落語台本を読んでいただければと思います。
この落語はまだ落語家によって演じられたことがありません。どこかの大学の落研ででもやってくれないかと思うのですが、お声がかかりません。
それで、この落語台本を脚色したらどんなものができるだろうかと試みたのが。漫才リレーによる落語劇『おせんにキャラメル、地獄に仏』(脚色版)です。
この落語そのものが主に二人の会話からなりたっています。官僚と大臣の会話、冥土への旅の喜六と清八の会話……といった具合にです。それをどのように劇化するか考えを巡らせていて、ふと一つのアイデアが浮かんだのです。落語は五場からできていて、それぞれの場が、二人、あるいは三人の会話で構成されています。ということは、その場ごとに二人、あるいは三人で一幕物の漫才を演じてもらい、その漫才を繋ぐことによって一つのストーリーを持った落語劇に仕立て上げられないかというのです。
そんなふうにして、漫才リレーによる落語劇(脚色版)ができたのです。
観客も、つぎつぎに登場する漫才コンビを楽しんでいるうちに劇が進行するというふうになっていて、変化を楽しめるのではないかと思うのです。漫才ですから、筋さえ通っていれば、脱線、逸脱は大歓迎、ハチャメチャのアドリブで面白く演じてもらえればいいのです。
まあ、実際に上演するとなると、さらになんらかの工夫が必要かもしれませんが、卒業生を送る会の余興ぐらいには遣えるのではないかとひそかに期待しています。

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