拝むこと。
うちのマンションの真裏は山です。丘と言った方が良いかもしれません。毎朝、私は犬と一緒にその丘に向かってお祈りをしています。ちょっと辛い時期にふと丘にある木が生い茂っていて、ちょうど吹き溜まりになっているところがありました。
私はそこに山の神様がいるんではないかと気になっています。そして、毎朝、そこで感謝の気持ちを伝えています。
休日は犬を散歩に連れて行ったあと、日課のジョギングにでかけます。家から1kmくらい離れた場所にあるスタジアムです。そして、私は1年半以上前から太陽を見ることを始めたので、ジョギング中、なるべく太陽の光を目から取り入れるような習慣を始めたのでした。
なぜ、そんなことを始めたのかというと貪欲だからです。当時は、彼女に振られたり、愛欲に悩まされたりといくら頑張っても結果がほとんど出てこなかったからでありました。
方向性は間違っていない。だとしたらまだまだ努力が足りないのか、まだまだ未知の分野があるはずだと思っていました。
そこで、太陽を直視する健康法があるということを知ったので、これは取り入れなければならないと考えたのでした。
やってみて、実際眩しいです。目や頭が眩い光で包まれてしまうので、やばいように思いますが、だんだんとこれが良くなります。
自然界に存在する最高の光です。人間が作ったまがいものの光の方がよっぽど目を悪くするだろうと私は考えました。
やってみて、まあ何となく悪くない程度で初めて1ヶ月ほど、周囲の人間で聞けそうな人に太陽を見る行為について、聞いてみました。「それ、やばくないですか?」皆、口を揃えて言いました。
もちろん私はそれ以上言えませんでした。
そうそう、この記事は、違う記事を見てたら太陽を拝むことを書いておられる方がいて、共感して、嬉しくなって記事にしてみちゃいました。
この行為のことを正式に日拝というそうです。
さて、その方も松果体に触れておりましたが、私が書きたかったこともここからが本番となります。
太陽の光を吸収する器官を松果体といいます。その松果体の機能の全貌は私たちには当然知らされておりません。
色々出回っている情報を整理し、私は次のように考えています。
松果体は送受信器であると。
これは、私の考察になりますので、当然違うかもしれません。ですが、当たらずとも遠からず的なところには引っかかるとガチで考えております。
さらに言うなら、松果体とは、送受信機であり、量子力学でいう生成したフォトンを送受信しているのではないか?と考えています。
フォトンとは、一般的に有名な、あの「引き寄せの法則」を具現化させる物質だと言われております。
実はこのように松果体の活性化具合で願いが叶う叶わないの仕組みになっていると理解しているのです。
通常、過度のドーパミン生成や不健康につながる習慣は間違いなく松果体を弱体化させます。松果体が弱体すると石灰化すると言われており、こうなってしまうとフォトンを送受信することができなくなってしまうと考えているのです。
だからこそ、多くの一般人が願ってもかなわないんだと捉えています。
「願いが叶わないんじゃなくて。」「願いが叶わないことが、ちゃんと叶っているじゃないか。」と、まさにこんなブラックジョーク化されて、確かにその通りなんですが、松果体がきちんとしていない人はやっぱりどこか病んでて、願いが叶ってほしくないとか…じゃなくて単純に叶えにくのです。
松果体がきちんと活性化している人にとっては本当、どうでもいいジョークになります。
まとめに入りますが、こう言うと胡散臭くも感じてしまうのは無理もありません。量子力学や相対性理論の世界もすでに我々にとっては??理解できない世界でありますよね。
だけど、実際に拝むこと、祈ることがすでに量子力学の世界で正しいことというのが証明されてきています。ただ、一般大衆には すべて知られてはいけない という通り、その鍵を松果体が握っていると考えております。
太陽を見て確かに松果体がとされる眉間の位置が活性化しているような気になってしまいます。
まだまだなぜが深いですよね。
また別の記事で私が経験した不思議な体験も皆様に読んでほしいなあと思っております。
おしまい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。