回転ずしの苦しさはわかるけれど

先日、久しぶりに、ある回転寿司屋に行った。
前に来たとき、店頭にあふれていた人の列は全くない。

店頭で機械に対して人数を入力すると、自動で座席が案内された。
誰も待っていなくても、人数の入力は必要なのだ。
 
椅子に座ると、紙の御手拭きが届けられる。
寿司は回っていない。
タブレットの電源を入れて、注文をしないといけない。
カウンター自体は回っているが、特定の客に商品を届ける仕組みに代わっている。
寿司を観ずに、写真を見ながら、注文を確定していく。
最初に茶わん蒸しと、アサリの味噌汁を頼む。

茶碗蒸しは熱々で、火の通し具合が完璧。
アサリは、どの季節に注文しても、ぎっしり実の入ったものが提供される。
 
安心して、注文を始める。
マグロが2貫のって100円。
のどくろは1貫100円。
安い。

この時代に、よくこの価格で提供していると思う。
安いと思いながら、次々と商品を選択していく。

しばらく寿司が流れてこない。
その間に、食べきれないほど注文をしてしまう。
やがて音楽が流れ、注文したマグロが提供される。
そしてのどくろが、登場する。

提供されたのどくろを目にすると、必ずしも安いとは思えない。
マグロの方は、生ハムのように薄く切られた芸術的な作品がやってきた。
それでも一応はマグロかもしれない。
でものどくろは塩辛い、火の通った魚が提供された。

のどくろは、高級食材で、100円で本当に提供されると思う方が間違っていたのかもしれない。
でも寿司屋だから、生ののどくろが出てくると思うではないか。
でも火の通された、濃い塩味ののどくろが、私が口にしたのどくろだった。

さんまや、サバについても、おそらく生では生臭くて食べられない商品が、火が通った形で提供された。
十分なお金を出すつもりがない人間が、企業努力を馬鹿にするのはやめた方がいい。
でも、あそこまでしないと提供できないのなら、マグロを100円皿で提供するのはやめた方がいい。
そう思う人が多くて、客足が離れてしまったということだろう。
 
サンマやサバの生臭さがいつまでも口の中に残った。
職人であれば、誰でもいいものを使いたい。
原材料費にきちんとお金を使えば、いい魚が手に入る。
でもそれではこの値段で提供できない。
苦肉の策で塩をして、火を通して提供している。
そうしないと食中毒が起こる可能性がある。
そういう判断だろう。

なんだか、誰も幸せにしていない。
給料は増えていない。
でもどの食材も上がってしまっている。
その中で、相変わらずの価格で商品を提供していることはありがたい。
でもモノの値段が上がってしまっている以上、同じものを提供できるはずはない。
そういうことなのだ。
事情は分かるけれど、消費者をだますことはやめた方がイイ。
 
一流ブランドの商品でも、小型化したり、底上げされたりが当たり前になされるようになっている。
安さを装わないと、売れない。
でも一度安さを装って売ってしまうと、次からは、安くても売れない。
仲間が罠にかかった野生動物は、賢さを身につけて、同じ罠にはかからなくなると言われる。

我々は、野生動物以下だと思われているのか。
店頭で騙された記憶は、しばらく私の中に残るに違いない。

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