学校は変わらないといけない

学校が変わらないといけないと思う。
本当に子供たちの力を伸ばす場所に。

学力を伸ばす指導のほかに、生活指導全般まで指導を行ってきた学校。
最近は、教員の成り手が少ないということが、学校が見直されようとしている。
教員の働く時間を減らす。
教員の仕事自体を減らす。

そして教員の役割を学力を伸ばすことに特化しようとしている。

でも今の学校のシステムは、学力を伸ばすということに本当に適しているのかという検証が、あまり進んでいない。
同じ年齢の子供を集めて、一斉に同じことを学ばせるやり方は、昔のままだ。

指導者が少ない場合には便利で優れた方法だと思う。
子供と、指導者との間に情報の格差がある時も、優れた方法だったかもしれない。
でも今のように、コンピュータが進化して、個別に学ぶことができるようになったとき、今のやり方は必ずしもいいとは思えない。

個別指導だけでも、子供たちのモチベーションを維持させにくい。
周りの同級生との競争心も必要だろう。
学校がどうなると良いのか。

私は学校は、もっと徹底的に開放されて、朝から晩まで学校に居続けることができる学びの場にしてしまえばいいのではないかと思う。

昔、学校は、教員が学校に残っている限り対応した。
その学校が、教員の勤務時間に合わせて、電話対応を辞めた。
午後5時には、電話がかからなくなっている。

かつては、夕方7時なら、普通に電話が通じた。
教員が電話を取ると、大抵そこには厄介ごとが転がっている。
電話をとってから、家出生徒を探しに行く。
万引きした生徒の親のかわりに、子供を引き取りに行く。
それを終えてから教材研究を行えば、帰るのは12時過ぎということも珍しくなかった。
学校はそういうサービスを辞めた。
そのあたりから、親も子も学校を信頼しなくなった。
 
同じ時期に、生徒が校内に残ることもできなくなった。
部活の時間も制限され、終わるとできるだけ早く校舎外に出るように促される。
教員の勤務時間を考えれば、それは当たり前のことだ。
でも子供たちの成長を考えると、もう少し学校に居られるようにした方がいい。
放課後だらだら仲間と話すことで学んだことは多い。
それによって解消された不安もたくさんあった。

家に帰ってしまえば、学ぶことができないという生徒はたくさんいる。
酔っぱらった父親。
止まることの無い母親の愚痴。
弟や妹の世話。
じいちゃん、ばあちゃんのケア。
そんなことに忙殺されてしまう。
 
家庭内暴力の対応は、行政が行ったほうがいい。
万引きの対応は、警察が行えばいい。
でももっと活動をしたい、学びたいと願う生徒たちの居場所づくりは、学校が行うべきものだ。

だからと言って、一人の教員が長時間労働することはお勧めしない。
通信制の高等学校があるように、例えば教員の勤務を二交代制にする。
場合によっては三交代でもいい。

慌てて家に帰らなくても、いい状態を作る。
学校でゆっくり友達と話す時間を保証する。
個別指導を受ける時間も確保する。

学び方も、集団指導を減らして、個別指導中心にする。
授業が早すぎてついていけない生徒。
逆に遅すぎて集中力を失う生徒がたくさんいる。

AIを用いた個別指導を中心とし、教員はモチベーション管理を中心に行う。
教員は、一人一人の生徒を丁寧に見る。
ゆっくり学びたい者はゆっくり学べるようにする。
急いでたくさん学びたいものは、たくさん学べるようにする。

数学力を鍛えるもの。
歴史を詳しく知るもの。
科学の分野を磨いていくもの。
さらに研究活動をしたいものには、そのためのアドバイザーや、ラボを用意する。
夕ご飯を食べてから、さらに学びに来てもいい。
学ぶ楽しさを実現しながら、本当に学力を身に付けさせる。

教育に力を入れないと、明日の私たちはない。
学校を見直そう。

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