近藤先生と犬
養老孟司先生と、近藤誠先生の「ねこバカ いぬバカ」を読んだ。
猫を愛する養老先生と、犬を愛する近藤先生の対談。
私自身は、猫も犬も飼ったことが無い。
今後も飼うことはないだろう。
でも尊敬するお二人が猫や犬によって癒されたり、気持ちが休まるという話をしていらっしゃるのを聞くと、ペットとの生活も悪くないかもしれないと思わされた。
対談の中で一番心に残ったのは、ペットが病気になった時の接し方。
私は父が癌になった時、何冊も癌関係の本を読む中で、近藤先生の本に出会った。
その中で、近藤先生が「癌と闘うな。抗がん剤を入れたところで、根治することはほとんどなく、しかも抗がん剤が効かなくなると、一気に癌が大きくなることから、延命の効果も期待できない」と書かれていたのが印象的だった。
その時から時間が経っているから、現在のがん治療が同じような状況にあるかどうかはわからない。
現在は効果的な抗がん剤が開発され、それによって根治している人もいるかもしれない。
ただ当時近藤先生は、癌と戦わないメリットを一貫して主張してみえた。
近藤先生のようなことを言う医師はほかになく、父に対して、癌と闘うなということは言えなかった。
ただ私は、「癌で苦しむのは、戦うからで、死ぬ時期を大方予想できる癌という病気は、むしろ死に方としては悪くない」という価値観に大いに共感した。
その近藤先生が、ペットとのかかわり方においても、体にメスを入れるような治療はしないと話されている。
ペットに対して愛情がないわけではない。
一貫して犬を飼われ、その犬との間に豊かな感情の交換をしている近藤先生。
それでも近藤先生は、犬が病気になった時に手術のようなことはしない。そもそも犬がそういう治療を望んでいるかどうかわからないということだった。
近藤先生は、これまで何頭かの犬の死をおくってきた。
それでも、ペットとの別れはそれでよかったと感じておられるようだった。
ペットが病気になった時、どこまで治療をするのかというのは難しい問題だろうと思う。
もともと愛玩動物として、家族とは一つ下のランクに位置づけられていた犬や猫が、現在は家族以上の存在になっている場合も多い。
だから、そのペットが病気になった時は、できうる限りの治療をしたいと考える人もいる。
保険が効かない中で多額の医療費負担が生じる。
それでも、できうる限りの治療を施し、一日でも長くその生命が続くことを願う。
手術をしないまでも、投薬や点滴の治療が続く。
先が見えない治療の中で生活が圧迫されていく。
生活を豊かにするためのペットとの生活によって、生活が崩壊していくこともあるだろう。
でもだからと言って、それまで自分の心を支えてくれた最大のパートナーを見捨ててしまえば、その後の精神的な落ち込みはさらに大きくなると思われる。
ペットとの別れ方は、誰かが線引きをして、強制するようなことではない。
でもペットを飼い始めるときには、病気になった時にどうするのかを考えておいた方がいい。
もし私がペットを飼うことになったら、おそらく近藤先生のようなスタンスでペットと付き合おうとするだろう。
そう思わせてくれる一冊だった。