ダーウインの冒険
1831年。
ダーウインが、ビーグル号に乗って旅立とうとしたとき、父親はその船の小ささから、ダーウインがビーグル号に乗ることに反対した。
ビーグル号の船長であったフィッツロイは、長旅の話し相手を探していた。
ダーウインは博物学者として迎えられたのではなく、話し相手として選ばれただけだった。
でも若き日のダーウインは、そういう周りの思惑とは関係なく、科学者としてチャンスを待っていた。
ダーウインは、ケンブリッジであった植物学者のジョン・スティーブンス・ヘンズローの影響を受けた。
ヘンズローは新しい科学館の持ち主。
ダーウインに「科学者はただ観察するだけではなく、多くの事業を分析し、そこから一般的な法則や規則を導き出さなくてはいけない」と教えた。
旅だったダーウインは、数多くの初めて見る動物たちの興奮する。
やがて、普通なら見逃してしまいそうな、わずかなフィンチのくちばしの違いに気が付く。
きっとただ見ているだけなら、気が付かない。
まず確かな観察があった。
その後幾つかの島で、執拗のフィンチのくちばしの形を研究する。
そして、それぞれの鳥の生活する環境を見つめる。
それが元々同じ鳥が、環境の違いによって、緩やかに変化して行っているという一般化につながる。
今、私たちが当たり前に進化と言っている現象を、観察と考察によって導き出した。神の存在がまだ大きかった時代。
ダーウインの気がついた進化は、ある種で起こり、その違いが大きくなると、亜種になり、やがては種の範囲では収まらない違いになっていく。
今は当たり前になっているこの考え方が、神がすべて作ったと考えていた人たちに与えた影響は大きい。
そしてそうではないらしいと思い始めた時の、本当の地球の姿、生命の姿を知りたいという思いはかなり大きなものがあったのだろう。
マラリアなどに侵されながら、観察と報告をした多くの博物学者が礎になって、今の科学があるのだと思うと、人間の知りたい欲求の強さというものの強さを実感する。
私もまた、まだ見ていないものを見てみたいという気持ちが強くある。
その観察や、発見が世界史に変化を与えた人々とはもちろん違う。
でも私という個人のレベルで言えば、まだ見ていないものを見に行って、それに驚く感覚は同じような喜びをもたらすに違いない。
同じ日本の中を旅していても、街並みの作られ方。
屋根の角度。
柱の太さ。
屋根をふく材料の違いなど違いを見たら枚挙にいとまがない。
特に神社やお寺は、一つのルールによって作られているようで、二つと同じものがない。
山林の持つ感じも、こじんまりと収まって見える山から、人間の生活圏まで伸びてこようとしている感じのする場所。
気候や、雨の降り方、そしてそこに生えている植物によるものなのかもしれないがいちいち異なる。
旅のプロたちは言う。
できるだけ事前準備をしておくと、見えてくるものが違う。
ただ大きい、ただ美しいというだけではなく、そこにそれがそういう形、大きさで存在する背景や、理由のようなものを知った時見えてくるものが違う。
なるほどそういうものか。
ダーウインが、観察するものを的確に見つけて観察し、そこから法則を見出すことができたのは、それまでの科学的素養があったからに違いない。
私も、今更ではあるけれど、行く先のことを学びながら、旅を続けたいものだ。