コンプレックスの取り扱い

元新潟県知事の米山隆一が、ひろゆきと対談していた。

米山さんは、ひろゆきの話し方が嫌いなようで、不確かな知識で物事を決めつけてくると両断する。

議論の内容によっては、米山さんの言うことに説得力があるように聞こえるときもある。
おそらく米山さんは、自身が東京大学卒業の医学博士であることに、絶対的な自信を持っている。
だから周りがばかに見えて仕方ないのだろう。

先日、ひろゆきが国民の声を代弁しているような発言をした時も、上から目線でひろゆきを馬鹿にした。
なんだこの人は。
優秀かもしれないけれど、人を小ばかにするのは嫌な感じだと思った。
 
同じではないのかもしれないけれど、似たような風景を見た。

先日、テレ東批評で、中途採用の新人女子アナを招いた企画をやっていた。
女子アナになるだけあって、容姿も素晴らしく、人に自慢できる特技もある。

スポーツもやっていて、スタイルもいい。
ただ、企画の必要性から、お互いにそのことを自慢しあうようなことになってしまっていた。
顔を知らない女子アナが、自身の実力の高さを見せ合う。

気が強いと言えば気が強い。
ご自身に強い自負を持っていると言えばそういうことになる。
自慢の欧州のような映像が続いた。

この両者を嫌だと感じた自分がいる。
何故嫌だと感じるか。

おそらく米山さんや、新人の女子アナが私のコンプレックスを刺激するからだ。
米山さんも、女子アナも私のことなど相手にしていない。
彼らが相手にしているのは、目の前の敵。
あるいは、負けたくないという気持ちだけだ。

でも目の前の負けたくない相手を負かそうとする行為は、遠いところにいる私を負けさせて、私が傷つく。
そして私がその人たちを嫌いになるというおかしな風景を作っている。
 
この番組を見た時に、私と同じような気持ちになった人が、ある程度の人数いるのではないかと思った。

実力が高くて、米山さんや、女子アナの経歴に負けない人は、実はあまり多くない。

彼らの経歴は、視聴しているほとんどの人より上にある。

その人たちが、たがいにマウントをとり合って、自分が、いかに力があるかを見せてくる。
これは負けたことを普段忘れている、負け犬たちにとっては辛い時間だ。

東大の医学部まで卒業した医学博士でも、随分愚かな男がいるものだと思えなくもない。

でも、面と向かって米山さんと議論して、カケラほども勝てるとは思えない。
だからこそ余計にコンプレックスを刺激される。
 
対等だと思うから、コンプレックスが刺激される。
彼らと自分は違うのだと理解する。
そのことを受け入れる。

自分より優れた人間がいるのは仕方ない。
それによって悲しい思いになるのも、受け入れるべき事実だ。

馬鹿にされ、笑われながら生きることを覚悟さえすれば、こんな風に嫌な気持ちになることはないはずだ。

私の中に消え残った、学歴や、美に対する渇望が、彼らの姿に刺激されてしまったと言っていい。

そのあたりを自分の中で整理できると本当は良いのだ。
ただ、そこのあたりが中途半端だから、人のことを嫌だと感じて、なんだかもやもやすることになる。

要するに修行が足りない。

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