コナンが作られる風景
先日、コナンの作者である青山剛昌の制作風景に、NHKのカメラが入っていた。
「プロフェッショナル仕事の流儀」。
番組では、若い編集者が、青山の作品創作のためにひたすら動画を探し続ける。
青山もまた、動画を探し、編集者の探してくれた動画をチェックする。
名探偵コナンの中で使う、新しいトリックのためのアイディア探し。
これまで何百というトリックを書いてきたから、アイディアを見つけることは簡単ではない。
でも見つかるまで編集者とともに、とにかく探し続ける。
編集者が面白そうなアイディアを見つけると、青山のチェックが入る。
いいものもあれば、そうでないものもある。
たとえ面白いアイディアでも、それが作品の中に行かせるかどうかは別。
科学的なトリックから、暗号のようなものまで、とにかくネットをフル活用して探す。
そして、ようやく使えそうなアイディアを見つけると、実際にそれをやってみる。
ネット上に書かれている材料を自ら準備して、実際に実験を繰り返す。
動画を見て、やれるはずだというだけで作品作りに入らない。
思ったより簡単にできるとか、やってみると期待外れだとか。そういう確認までを行う。
ここまでやったら、すぐに作品作りに入ると私は思った。
ところが、トリックだしは、作品作りの本のきっかけに過ぎない。
青山剛昌はそこから人払いをして、イスに座ったまま何時間も動かなくなった。
最初、青山はこの場面の撮影を拒んだ。
人がいたら、考えることができない。
考えることができなければ、いつまでたっても作品ができないというわけだ。
そのため撮影スタッフも同行が許さなかった。
創作の秘密が映像で見られないとなれば、今回の取材の価値は半減する。
スタッフも粘る。
最終的にカメラだけを置かせてもらうことで、撮影が許可された。
初めて世間に公表された映像。
撮影スタッフの粘りのおかげで、青山剛昌の創作の時間が私たちの目の前に現れた。
使えそうと思ったアイディアをどう生かすのか。
どうすれば読者に伝わる作品になるのか。
青山は、イスに寝ころんだまま、そのことをひたすら考える。
いきなり紙に書くのではなく、頭の中で、たった一人で、何時間も考え続ける。
この時間こそが、作品作りの肝なのだ。
この時間だけは、編集者も含めて、周りに人がいては行うことができない。
たった一人で、作品に向かい合う。
この過程が終わると、初めて青山が鉛筆を握り、紙の上に作品を書き始める。
その後も、作品作りは止まらない。
編集者の意見も入れながら、少しでもいいものを作る。
少し難しいと感じる位くらい物語ができても、子供だましのようなものは作らない。
読者を認め、なめたことをしない。
そうやって作品を作り続けてきた。
私は世代ではないから、名探偵コナンを夢中になって呼んだ経験はない。
でも漫画が置いてある風呂に行った時や、漫画喫茶で手に取ることはある。
子供向けの作品だと思うと全く違う。
その工夫されたトリックに引き込まれてしまう。
子供だましではない、斬新なアイディア。
青山はそのアイディアを作り、新作を生み出す傍ら、世界中で売られているコナン関連グッズのチェックも行う。
少しイメージと変わってしまっているコナンについては、改めてペン入れを行う。
微調整によりコナンらしい仕上がりにする。
まさに、誠意の塊が、作品を作っているという感じ。
子供を馬鹿にしない。
子供だからこそ、本物を見抜いてくるという確信。
おそらくそんな思いが、青山剛昌をしてこんなにまじめな作品作りに取り組ませているのだ。
作者自身の子供の目が、作者が手を抜くことを許さない。
無理をして倒れて以来、作品を発表するペースを落としたそうだ。
それでも睡眠時間を削って作品を作り続けている。
命を削って、作品を作るとはこういうことなのだ。
凄かった。