ティッシュペーパーの思い出
汚い話が始まる。
予め、お詫びしておく。
その昔、我が家に限らず、町中がボットン便所を使っていた。
それぞれの家のトイレの便器の下には、おけがあった。
そのおけの中に大小の排せつ物がたまっていく。
そして一定量までたまると、衛生車という車がやってきて、別の出口からそれを吸い上げて持ち去ってくれた。
場合によっては、その排泄物をひしゃくで掬い上げて畑まで運び、肥溜めに保管した。
新しい人糞は、畑にまくと臭いがしたりして評判が良くなかったが、肥溜めで十分に発酵が済んだ人糞は、播かれてもあまり臭いがせず、いい肥料になった。
そのトイレでお尻を拭く時の話。
私より前の時代は棒きれで拭ったという話を聞いたことがある。
だが私が実際に体験したのは新聞紙から。
トイレに新聞紙が置いてある。
この新聞紙を丸めたり、伸ばしたりして十分に育てる。
育てるというのは、柔らかくしていくこと。
この育った新聞紙は、普通の新聞紙より、お尻にフィットしやすくなる。
トイレに行って、大をする時には、同時に新聞紙をとって、それを育て始める。
同時に何枚もは使わない。
元の新聞紙を4分の1くらいまで小さくしたサイズ。
これを丁寧に揉んで柔らかくしてから使用していた。
この新聞紙を使う時期がしばらく続くと、便所ちり紙というのが売られ始めた。
漂白されておらず、新聞紙と同じような色の紙。
サイズはA4くらいか。
トイレでお尻を拭くことに特化した紙。
これが1メートルくらいの束になって売られていた。
ざらざらしていて、決して肌触りは良くないが、新聞紙の様に揉んで育てなくても、破れずにお尻を拭くことができた。
そしてこれと並行してあったのが、白い便所ちり紙。
白い便所ちり紙は、やや柔らかくて、お尻にも優しかった。
多くの家は、この紙を便所でお尻を拭く際、柔らかくて快適な紙として使っていたのだと思う。
でも私は、小学校にこの紙を持って行っていた。
お尻を拭くためではない。
毎日持って行くべきハンカチ、ハナカミのうちのハナカミとして。
つまり、鼻水が出た時のため。今でいうティッシュペーパーとして利用していた。
私はずっと、その使い方に疑問を持ったことはなかった。
ハンカチと、便所ちり紙のうちの5枚くらいを畳んで持ち歩く。
洗濯にズボンを出す時には、ハンカチは洗濯機に。
このちり紙は居間の台の上に置いた。
チリ紙を出しておかないと、他の洗濯物がすべてだめになる。
今に置いたチリ紙を、翌日またポケットに入れて持って行った。
だからチリ紙は、何度もポケットから出したり、入れたりして持ち運んでいた。
ある日のことである。
私は小学校の高学年になっていた。
異性を、異性として意識し始めたころだ。
学校で女子が「誰かティッシュ持ってない?」と呼びかけた。
私はごく自然に「あるよ」と答え、ポケットから普段から持ち歩いている、便所ちり紙を取り出して渡した。
その瞬間の女子の何とも言えない複雑な表情が忘れられない。
あれが誰だったのかはすでに覚えていない。
でも彼女は、私が欲しいのはそんなものではないのだという顔をしていた。
そしてそんなほしくない、汚らしいものを取り出した私に、どこかに行ってほしそうだった。
私は彼女の表情を見ることで、彼女の求めているティッシュが、私が持っている便所ちり紙ではないことに、気がついた。
でも時はすでに遅かった。
何とも言えないみじめさが、私を包んでいた。
周りの誰かが、彼女に、彼女が本当に求めているティッシュペーパーを渡したらしかった。
誰も私のことを咎めたりしなかった。
でもそのことのおかげで、私は自分の家が周りの家とは違うらしいことに気がついた。
改めて周りを見てみると、私の様に便所ちり紙を持ち歩いている子供は居ないらしかった。