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日記

確かに日記とは銘打ったが、その日経験したことを当日中に記録したものであるとは言っていない

実のところ、ここに記す内容、あるいはこれを記す契機となった出来事が実際に生じたのは昨日今日のことではない。
もっと前…正確に日付で表現するなら2024年10月30日。
その日、筆者はちょっとした冒険に踏み出し、予想外の結果を得た。そんな話をさせていただく。

念のため明言しておくが、ここに記す出来事は筆者にとって間違いなく吉事に分類されるものである。

で、何があったって?

百聞は一見に如かず、と世に言われる。
この単純明快な真理に則り、まずは文字ベースの説明を最小限に留めて画像中心に説明しよう。
なお、ここで掲示する情報については、予め先方より了承をいただいている。

まず、筆者がした「ちょっとした冒険」がこちら。
とある方のnote記事を拝読し、率直に思うところを伝えるべくそこに残したコメントだ。

そして、コメント先の記事の作者様より頂いたのがこちらのご返信だ。

そう。
「コメント先の記事の作者様」とは、まさにこの方。
イベント"Serenade Promenade"のシナリオに対し否定的な立場の方として先般の記事でも言及させていただいたヨコティス氏だ。
無用な誤解を避けるため、執筆に先立ち賜った氏の寛大なお言葉をこちらに掲示する。
筆者のコメント内容は適当に読み飛ばしてくれて構わないので、「右側に示したご返答は間違いなく筆者に向けていただいたものである」点につきご理解願いたい。

改めて御礼申し上げます

正直に言わせてもらうと、「あの記事を書いてよかった」と心から思えた。

先述した通り、氏は、イベントシナリオ中のマリーの振る舞いについて明確に否定的な立場を取られていた。激昂されていた、と評しても過言ではあるまい。

そんな方にも、筆者の記事を認めていただけた。
その単純な事実が、筆舌に尽くしがたいほどに嬉しいのだ。


思えば、なかなか思い切ったことをしたものだ。
自分と相反する立場の方に、自作の記事を提示したのだ。
先方の目線からすれば、対立者からの挑戦と受け取られても不思議ではない。

とはいえ、全くの見切り発車で切り込んだわけでもない。
まず、イベントよりも前のマリーに対して、互いに近しい見解を持っていることは理解していた。
また、先般の記事でも言及したとおり、イベントについても「感じたこと」自体は似通っていることにも気付いていた。

そして改めて先方の記事を拝読したことで、その立場の根幹にあるのは「困惑」なのかもしれないと判断した。

困惑することについて悪し様に言うつもりはない。
むしろ、それまでのマリーを強固にイメージしていた者ほど、あのシナリオには困惑させられる。
そういうシナリオである旨は先日の投稿にて触れたため仔細は省くが、筆者とてその困惑と格闘しながら記事を書き上げた。
文字通り、身を以て理解している。

あの記事を執筆する上で、明確に心がけていた事がある。
端的に言えば、筆者の無根拠な独自解釈を徹底的に排除することだ。

まず、マリーに対する解釈はすべて作中で確認可能なシーンを根拠に据えた。
さらに、筆者が辿った思考を、その整理も兼ねて、己の表現力が許す限り全て言語化した。
明確な根拠だけでは繋げない場面もあった。それについては、推測である旨を明記した上で、妥当と見なせる最小限度に留めた。
そして、一つのテーマ…「その日、伊落マリーは反抗期を迎えた」に結びつくよう筋道を意識して並び替えた。
ついでに、ネタを仕込む余地を見つけ次第やりたい放題はっちゃけた。

全ては、この解釈に至っているのは全世界で筆者だけかもしれないという想定の上で。
この無名の筆者が書いた文を奇跡的に見出してくれた読者が、一人でも多くこの解釈を理解してくれるように。

だから、いわゆる怪文書のような形式は意図的に避けた。感想文、あるいは考察文と呼べる体裁を保つよう努めた。
ぶっちゃけ分量にして6割を超えたあたりから脳内はだいぶひでえことになっていたが、それも敢えて抑えた。
抑えきれなかったので最後はああなった。

つまるところ、素人なりに目指すべきところを見定めて創意工夫を凝らしたわけだ。

だからどうしろ、などと要求するつもりはない。
読んで、共感して、感想を残し、広めてもらっている。それが筆者の得るべき全てであり、不満があるとすれば解消に努めるべきは筆者の方だ。

ただ、それでも疑問は残る。
果たしてこれでいいのだろうか、納得できない人も多いのではないか、もっと作り込むべきだったのでは…と。
物書きの端くれとして、そうであると自負する限りは常に向き合うべき問いではあるのだろうが。
それでも、自分で答えの出せない問いというのは中々に重いものだ。

そんな問いに、一つの答えが出た。

元々マリーが大好きで、だからこそイベント中に描かれた振る舞いを受け入れられなかった方が、あの記事によってまた彼女を好きになれたと。
あのイベントが大好きな筆者の解釈を、それとは真逆に近い立場にあった方が読破され、そして理解され、しかも共有されるに至ったと。

それだけのものを、間違いなく書けたのだと。
足りない知恵を絞って遮二無二あがいて目指した目標は、確かに達成されていたのだと。
それも、想像以上に理想的に。

嬉しいと述べたのは、まさにこれのことだ。
やってよかった。無駄じゃなかった。
できるかどうか分からなかった、難しいということだけは確かだったことが、間違いなく成功と呼べる結果を示した。
こんなの嬉しいに決まっている。
度合いで言えば、国家資格に合格したときと同じぐらい嬉しい。

と、まあ。
それを自慢したいがために認めたのがこの日記である。
草々不一。






それはそうと…。
なんだろう。
何か引っかかる。


あえて言うなら、既視感?
多分そうだ。どこかで見たような感覚が拭えない。


恐らく、自分の経験じゃあない。
最近そんなことをした誰かがいたような、それを間近で見届けたような…そんな気がするのだ。



ひょっとして…


ああ、多分それだ。



ふとしたきっかけで飛び込んだ新たな世界、そこで見出した新鮮な…それでいて馴染みのある喜び。



この感覚は、もしかすると。

向かい合って初めて、本当の自分に気付く

同じ、なのかもしれない。


結局、なぜ筆者は斯様な冒険に挑んだのか。
長々と語ってきたが、どうやら一言に集約される話だったらしい。

要するに。

シスターマリーならそうしたってことだよ。

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