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楽しむことは最強!

はじめまして。
1年の本田昂大です。
まずは自己紹介をさせていただきます。

所属:理学部物理学科
身長:173㎝
出身:北海道
高校:大麻高校
趣味:サイクリング
PB(高校まで):800m 2’08”98 1500m 4’35”57 3000m 10’22”2 5000m 18’17”01
PB(大学で更新):800m 2'08"25(学連3戦7/6) 1500m 4'27"75(七大戦7/27)  

ん?高校ベスト遅くない?でも大学でもうPB出てるんだ
そう思った方もいるでしょう。
陸上を6年間やってきた割になんだかおかしな記録ですね。
なぜこうなったのか読んでいくうちに分かると思います。

これまでの経歴をお話しします。

小学校

この頃はとにかく背が小さかったです。具体的には小1で身長108㎝、小6で135㎝(小学校卒業後の春休みに遊園地のゴーカートに乗ろうとしたら身長制限で止められるくらい)。この頃は同級生とスポーツをしても8割方負けていましたね。それでも、小5あたりから足が速くなってきて運動会の徒競走で初めて「頑張り賞」ではなく「〇等賞」の賞状がもらえるようになりました。結局、フィジカルは弱いけど走りなら平均より上?といった感じでしょうかね。

中学校

最初から陸上部に入ろうと決めていました。(←足が速い方だと思っていたから笑)しかし、陸上部に入部した僕は衝撃を受けました。
みんな速すぎる!
小5のときグラウンドで100m17”6くらいだった僕は入部して最初の記録会の100mを12秒後半、13秒台で走る周りの1年生達を見て絶望して短距離を断念。結果的に、短距離が遅かったから。という理由で長距離を始めました。長距離を始めるきっかけが短距離が遅かったから。という人は一定数いるのではないでしょうか?笑

練習にも慣れてきた中1秋、悲劇が起こります。市内四種競技大会という市内の他の中学と親睦を深める会(?)のウォーミングアップでジャベボールを投げたときのことです。1番小さい体で誰よりも遠くまで投げられて嬉しくて調子に乗っていたら右肘靭帯を部分断裂。しばらく運動できませんでした。復帰するも1年冬に今度は足首の疲労で痛くて歩けないほどに・・・。それから半年間ほどまともに走れませんでした。
ただ、2年生になると顧問の先生が変わって何も分からなかった僕にリハビリから丁寧に教えてくれて、中2夏頃に復帰。そのまま冬練も良い感じでこなし、3年の中体連はいけるかも!と思っていた矢先、、、
状況は一変。
新型コロナウイルスによる臨時休校・中体連の中止。途方に暮れて自主練もサボっていました。結局、納得のいく結果を出せないままあっという間に中学陸上が終了しました。

ついでに高校受験勉強のお話をします。当初の目標は札幌東西南北のどれかに入ることでした。しかし、現実的ではなく、だからと言って札幌圏の中堅の高校に行くのは通学時間と定期代が勿体ない、そして金銭的に厳しいから私立高校は受験しないでくれと親に言われました。
必然的に、ほぼ間違いなく受かる且つ自転車通学できる高校を受験することになりました。もちろん公立一本勝負は怖かったですが勉強へのモチベもなくダラダラと過ごす毎日でした。結局、定員割れし何の問題もなく合格できましたが何かトラブルがあって受験できていなかったら人生詰んでましたね笑

高校

リスキーな高校受験を経ていざ入学。すぐに中学で不完全燃焼だった陸上部に入部しました。高校では部活がんばるぞーと考えているうちに僕はある違和感を覚えました。
ん?なんか俺校内順位高くね?
このとき気づいてしまったのです。
この高校、勉強する人少ない!最初の1~2か月は想像と現実とのギャップで戸惑っていて、次第に自称進特有の校則にも嫌気が差していました。他の高校に行った友達からは「なんでそんな高校行ったの?」と心配される、或いは馬鹿にされる始末。悔しすぎてこの時期から大学受験は頑張ると心に誓っていました。

一方で陸上の話ですが、初めのうちは頑張っていたものの高校受験の失敗を悔やみ、二度とこんな思いをしたくないという強い気持ちが高まって次第に自分の中で優先順位が受験勉強>>部活になっていました。
気づいたときには部活は受験勉強期の精神力と体力の向上を図る場と化していたのです。それでも用事がない限り部活には出ていたし冬の大雪による臨時休校中も自主練していました。
しかし高2の3月末に怪我をして1か月近く走れませんでした。
完全に高体連諦めモード。
この頃は全道行けなくていいから早く引退して受験勉強させてくれ、と思っていました。
案の定、高体連の個人種目は全て札幌支部予選落ち。マイルリレーも順位ひとつ時間にして0.13秒足りず全道を逃しました。個人種目が完敗で正直言って集中力が切れていましたが、マイルはちゃんと走らないとメンバーに申し訳ないと思い、全力で走っての結果でした。

色々な気持ちはありましたが、高体連後はスパッと受験勉強に移行。当初は親にも北大は無理だからやめろと言われていましたが最終的には高校3年間で北大E判定からB判定まで上げることができました。
親と相談して、国立大一本で一般受験(前期も後期も北大)をして落ちたら浪人する予定でした。あまりにもリスキーだったので受験機会を増やすために高3の6月に知った北大のフロンティア入試(僕の受験した学科は11月中旬に数学・物理・化学・英語・物理の口頭試問を受けて12月上旬に合否が出る制度)を受験しました。まともに対策もしなかったしあくまでも一般入試で総合理系に入るつもりしかなかったのでフロンティア入試の試験前日も共テの対策をしていました笑
ところが、これが学科内最下位でギリギリ合格したのです!フロンティア入試にチャレンジするか迷っていた僕の背中を押してくれた高校の進路指導部長には感謝しています。
想定外の終わり方でしたが受験勉強は楽しかったです。

受験期での最も大きな収穫は「何事も楽しむことが最強である」ということを身をもって体感できたことです。僕の場合ですが、何事も上手くいったときはそのこと自体を心から楽しんでいたときでした。このことはもちろん陸上にも共通していると思うので大学以降も大切にしていきたいです。

同期のマネージャーが3年の皆のために作ってくれた(実際のスパイクのデザインと同じ!)

大学

憧れの大学に入学。ワクワクの生活が始まり、部活・サークルをどれにするか迷っていました。新しく始めたいスポーツも沢山。陸上部に入るか否かの気持ちはまさに半々でした。5月に入る直前まで悩んでいましたが陸上部に入る決め手となったのは大きく二つあります。
一つ目は一種のプライド。6年間陸上していたのにこんなタイムで終わるのは嫌だ!という想いです。何とも子供じみた理由ですがこれが本音です笑
二つ目は中長歩パートの人数の多さと人間性。中高ずっと少人数で中長距離の練習をやってきていたのでこれまで北大陸上部のような人数規模で、かつ高いモチベのある集団で練習をしたことがなかったです。その集団の一員になりたいという憧れがあったのかもしれません。

全力で走り、出し切ってあんなに遅かった高校までの自己ベストも、今のところレースを走る度に更新しています。練習内容も環境も全く違うからどの変化がどれくらい競技力向上に寄与しているかは不明ですがPBを更新できるのは楽しいですね、やはり。とにかく今は陸上が楽しいです。

さいごに

大学4年までに達成したい目標
800m 1'54 1500m 4'00

PB更新劇がどこまで続くのかは分からないですが、この先伸び悩んだり怪我したりしたとしても楽しむことを第一に学生陸上を満喫したいです。本気で楽しんでいればいつか必ず輝く瞬間があると信じて。

拙い文章・構成でしたが
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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