
幸せな人生とは?この世に財産を積むことより天に宝を積むことです
ルカによる福音書 12:16ー
そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。
そこで彼は心の中で、
『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、
『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
そして自分の魂に言おう。
たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。
さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
すると神が彼に言われた、
『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。
そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
それから弟子たちに言われた、
「それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。
命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。
からすのことを考えて見よ。
まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。
それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。
野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、
あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。
これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。
ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。
恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。
自分の持ち物を売って、施しなさい。
自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、
虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。
あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。
地上人生の全ては霊界の宝を積み上げる為のものであることを理解しなけれ
ばなりません。
人間は誰でも必ず死にます。死んで霊界での永遠生活に入ります。
人生の真の到達点は霊界にこそあり、真実の愛だけが永遠の財産として残り
ます。
地上でたとえ、どんな財産を築いたとしても霊界に持っていくことは出来ま
せん。
たとえ、ティッシュ一枚だとしても持っていくことは出来ません。
私たちは神様の偉大な愛を動機として誕生した
人間は、受胎の瞬間から胎内期間を通じて、地上生活ができる最低
限の準備を整えて生まれてきます。
受精卵はあまりにも小さいのですが、その中には、成長して必要と
なる全ての要素が初めから内在するように手配されています。
総理大臣であろうと、男性であろうと、女性であろうと、如何なる
人でも、受精卵から始まった事実を否定するらことはできません。
胎内生活を通して、誕生後に必要なあらゆる機能が準備されます。
コントロールセンターとしての頭脳、情報収集のための目や鼻や耳
が準備されます。
自由に動き回るための手足が準備されます。
地上生活では、空気中の酸素を取り入れる必要があります。そのこ
とをあたかも知っているかのように、
胎内から肺の準備がなされます。
地上の生活では食物からエネルギーを摂取しなければなりません。
取り入れる口、そして食道、さらに消化のためのの胃や腸などすべ
てが準備されます。
必要な目も、必要な手も、その準備は胎内から行われます。
胎内にいるだけなら、目も手足も不要です。
また、その準備は本人の意志に基づいて行われるのではありません。
母親でさえ、その認識を持っていません。
母親の誰が、「今から肺の準備をしよう」とか「内臓を作ろう」な
どと考えたでしょうか。
これは過去に生きとし生きたすべての人、地上に今生きているすべ
ての人に通用する事実です。
受精卵を通過していない人は一人もいません。
すべての人が、元の元を正せば、受精卵の変形体であることを認め
ざるを得ません。
当の本人が、自覚もせず、親でさえなんの手出しもできない中で、
受精卵は一人の人間を目指して変化します。
そのような経過を辿って、地上人生が出発できるようになりました。
誕生一つとっても、人間を超える偉大な力が作用した事実を、決し
て否定することはできません。
すべてが奇跡としか言いようがありません。
現代の優れた科学技術を持ってしても、如何なる科学者も人間誕生
の事実を解明し、解説した者は居ません。
人生と宇宙は、奇跡の積み重ねで成立していると言えます。
また、男性と女性の関連性においても奇跡は存在します。
ある人は生まれてみて、自分が男性であることを認識します。
またある人は生まれてみて、自分が女性であることを認識します。
ところがその男性と女性には、その両者を関連付けるもっと高い意
志が先んじてあったことを認識せざるを得なくなります。
男性は男性としての存在の前に、女性は女性としての存在の前に、
両者を関連付けるもっと大きな目的が前提
となっている事実を認めざるを得ません。
事実、この男性と女性の存在無くして、受精卵としての人生の出発
点はありえません。
男性に聞いてみましょう。自分が一人の男性として人生を出発する
時、女性が別に存在していることを知っていたでしょうか。
女性に聞いてみましょう。自分が一人の女性として人生を出発する時、
男性が別に存在していることを知っていたでしょうか。
人間がどう考えようと、人間の思惑を超えて、宇宙を貫く別の意志
が作用していることは否定できません。
その男性と女性が成熟すれば、相互に引き合い、結婚することにな
り、新たな人生の出発点としての受精卵が再び登場することになります。
この事により、人生の連続性が可能となっています。
もちろん、個人としての人生は死によって消え去ります。
それでも、新たな別の人生がすでに始まっている事実によって、
人間の永続性が保証されます。
受精卵から誕生までは胎内生活期間と言えます。
誕生でその胎内生活は終わります。
誕生から死までを地上人生と呼びます。
死で地上人生は終わります。
ところが 男性と女性が結婚することにより、新たな受精卵を生み
出し、新たな人生の芽を吹き出します。
そのことによって、誰か個人の死が訪れても人間の歴史は消滅する
ことなく、連続することが可能となっています。
男性と女性が存在するには、男性と女性の相互関係を必然とする共
通目的が必要であり、意志が必要です。
その意志こそが神様と呼ばれるものです。
親は子供の幸せを最優先します。
子供が病気で苦しんでいれば、できれば代わってやりたいと思い、
子供には、親以上に立派になってほしいと願い、
親以上に幸せになってほしいと切望します。
同じく人間を生み出された神様も、我が子人間に対して、神様以上
に立派になってほしいと願い、神様以上に幸せになってほしいと願
われたことが理解できます。
このように私たち人間は、神様の偉大な愛を動機として誕生したと
結論づけることができるのではないでしょうか。
私たち人間の親である神様はご自分の持てる特権の全てを人間に与
えようと願われました。
神様は100%与える存在です。
神様に奪うという概念は存在しません。
それは神様の本質が愛であるからです。
神様はこの宇宙を造り、この地球を造り、あらゆる生命を生み出し
てくださいました。
鉱物も、天然エネルギーも、空気も植物も、あらゆる動物も、すべて私たち
人間に喜んでもらいたいという親の愛を動機として準備して下さいました。
私たち人間が神様の特権全てを相続するために、まずやるべきことは、私た
ちのために準備して下さった神様に、感謝の気持を伝えることからです。
神様!この美しくきれいな花を準備して下さり有難うございます。
神様!美味しい果実や野菜や魚たちを準備して下さり有難うございます。
神様!わたしという存在をこの地上に生み出して頂き有難うございます。
神様!男性なら女性を、女性なら男性を与えて頂き有難うございます。
と、つきない感謝を神様にお伝えすることからはじめましょう。
それが神様の喜びであり、幸せなのです。
神様に心から感謝をし、神様を真心の限りを尽くして愛すること、
それが神様に財産を積むということなのです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
もしよろしければコメントお待ちしております。