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世界に誇る日本の精神!生命の危険を顧みず、他のために尽くす愛情主義!!
第三節:愛情視点
弱肉強食主義に異論を唱えた人物はいなかったのでしょうか?
一、立派な人
自己の欲望を剥き出しにする人が立派な人と呼ばれることはありま
せん。立派な人と呼ばれるには、欲望主義を克服して愛情主義を貫
いた事実がなければなりません。
たった一人でいるなら何の問題にもなりませんが、複数の人が関連
することによって欲望と欲望の相互関係が生まれてきます。
欲望と欲望が調和して、より大きな発展をもたらすこともあります
が、欲望と欲望がぶつかり合って、恐ろしい悲劇を引き起こすこと
もあります。
欲望と欲望が見事に調和するか、激しい闘争となるかの分岐点は、
愛情主義に基づいているかどうかにあります。
二、聖人の教え
歴史に燦然と輝く「立派な人」と呼ばれる数少ない人物が存在しま
した。
孔子、釈尊、イエスなどが代表的な例であります。
彼らは、仁、慈悲、愛をそれぞれ説きました。
言わんとすることは、「欲望主義ではなく愛情主義で生きなさ
い。」に帰結します。
ここでは教えの明細には触れません。
欲望よりも愛情を優先しなさい」という結論だけを強調します。
三、愛情欠乏症の恐ろしさ
赤ちゃんが欲望を中心として成長することは既に述べました。
赤ちゃんはとにかく欲望を満たそうと必死に求め続けます。
欲望が満たされれば満足し、微笑みを浮かべ、静かに眠ります。
赤ちゃんから見れば欲望主体ですが、母親から見れば愛情主体であ
ります。
言い方を変えれば、赤ちゃんは母親の愛情で成長します。
肉体は母乳で成長しても心は愛情で成長します。
成長とは、お世話になる生き方から自分で何でもできるようになる
ことを指します。
口に運んで食べさせてもらうのは最高に贅沢なことですが、子供は
やがてそれを嫌がり、自分でさじを使おうとします。
たくさんこぼしながらでも自分でやりたいと主張します。
自立を目指した傾向と言えます。
更に成長すれば、親が何かをやろうとすれば、「いつまでも子供扱
いするな」と怒り出します。
自分のことは自分で何でもやりたいという自立心が謙虚になりま
す。身体だけでなく、心も成長します。
物事の判断力、分析力、精神力など総合的にしっかりしてくれば、
親は大きな安心感に包まれます。
親の愛情は相手の欲望に合わせて適切でなければならないことは既
に述べました。
親は赤ちゃんの様子を見ながら、今何が必要かを考えながら、
一生懸命に世話をします。
親は子供に大いなる愛情を注ぎます。
子供は親とのスキンシップや会話やあらゆる機会を通して親に愛さ
れている事実を認識します。
空腹になれば食事をし、食事をすればやがて満腹となりそれ以上は
食べられなくなります。
お腹いっぱいになってもまだ食べ物があれば、自分以外の人にも与
えようと考え始めます。
受けようとする姿勢から与えようとする姿勢に変化します。
これが欲望主義から愛情主義への転換点となります。
自分の満足が現実となって初めて与える心が芽生え始めます。
与える余裕が生まれます。
この転換がとても大事であります。
子供は身体の成長のために母乳を求めますが、その実、心では本当
の栄養として母の愛情を求めています。
なるべく幼いうちに「もう満腹だ。」というレベルまで、愛された
実感を与えなければなりません。
食べ物で満足しても、愛情で満足していなければ、常に愛情に飢え
た状態を継続することになります。
これが続くと慢性の飢えとなり、心は大変な病気にかかります。
「愛情欠乏症」という病気です。
この病気にかかると、愛されることを求める状態から脱することが
できず、他者に愛情を注ぐことができなくなります。
愛情主体の人生が送れなくなります。
親から愛された満足感こそが、愛情に満ちた人格を形成する基本と
なります。
愛に満足すればやがて感謝することを覚え、感謝の言葉がほとばし
るようになります。
感謝の心が行動となれば恩返しとなります。
成長に応じて恩返しの比率は大きくなります。
感謝もまた愛であり、そのこと自体が喜びを拡大します。
四、子供の独り立ち
子供が独り立ちしたと親が認める三要素があります。
精神的成熟と身体的成熟が前提となります。
◎第一要素
精神において成熟し、しっかりした考えを持つこと。
身体において成熟し、責任ある行動ができること。
【社会的目安として成人式がある】
◎第二要素
良き伴侶を持つこと。
【子供の結婚によって、親は大きな節目を越えたと考える】
◎第三要素
男性なら夫として妻と家族に責任を持てる仕事を持つこと。
女性なら妻として夫に尽くし、子供を立派に育てる責任感を持
つこと。
ここまで到達すれば、親としての責任は終わったと考えます。
その後は幸福な日々が続くことを願い、できれば孫の顔を早く見た
いと楽しみになります。
子供や孫から慕われつつ、楽しい日々を送り、資産を少しでも残し
てあげようと考えるのが通常となります。
五、欲望主体人生から愛情主体人生へ
独り立ちするまでは、欲望主体の人生が許されますが、家庭を持て
ば、もはや自分中心の生き方は許されません。
伴侶のために生き、子どものために生き、社会のために貢献する生
き方ができなければなりません。
成長とは、自己主体人生から他者主体人生へ移行することであり、
欲望主体人生から、愛情主体人生へ移行することであると結論でき
ます。
一言で言えば、欲望主体人生を終えて、愛情主体人生に切り替わる
ことが、一人前になったという証明であり、子供から大人になった
という証明であります。
他者の欲望を満たしてあげることが、愛情主義であることは以前述
べましたが、それには重要な条件があります。
その他者が愛情主義で生きている人でなければなりません。
愛を動機としても、我欲主義の人を助ければ我欲主義の共犯者とな
ります。
六、極限の愛情主義
自己の生命を捨ててまで他者の幸福のために尽くした極限の実例が
あります。
線路に落ちた人を救おうとして飛び込み、救いはしたが本人は生命
を落としたというような場合です。
電車が直前まで近づいて危険にも拘らず、他人を助けずにおれな
かったその人の心はどのように作用したのでしょうか。
線路に落ちた人は何の関わりのない人です。助けてあげたいが、自
分の生命が失われるかも知れません。
「自分にも幼い子供がいる。やむを得ない、放っておこう。」
大概の人はこう考えるかも知れません。
しかし、生命の危険を顧みず、他のために尽くす人がいることも事
実です。
自己の基本的欲望を完全に否定してまで、他者の生命のために行動
した人に対して、その行動が世間の知るところとなれば、誰もが、
その愛情深い行動に感動し、涙を流します。
自分の生命を捨ててまで他者のために行動したことを「立派」と称
えます。
「なんと愛情の深い人だろう。」と感動の涙を流します。
人間らしい生き方とは欲望主体ではなく、愛情主体で生きることだ
と誰もが知っています。
祖国日本のために、特攻隊員として、敵艦目掛けて突っ込んで行っ
た兵士の話を聞いて誰もが涙を流します。
欲望主体ではなく愛情主体の生き方に感動を覚えます。
消防士は燃える火を恐れず、救命活動、消火活動に勤しみます。
被災地での救助隊も同じです。
他者を救うことが前提となった任務であり、愛情主体の活動であり
ます。
その任務、その生き方そのものが、愛情に溢れたものであり、多く
の人に感動を与えます。
欲望主体の生き方と愛情主体の生き方は普段くっきりと区別できな
いとしても、極限状況においては顕著となります。
極限状況は、その人物の本質を白日の下に晒します。
我欲のために生命をかけても無意味ですが、愛情のために生命をか
ければ、最高の価値となります。
万民が称え、歴史が称えることになります。
愛情主体で生きる度合いこそが、その人間の価値を決定します。
親が子供に教えるべき第一条は、愛情主体人生の重要性でありま
す。
公的教育の第一条は、愛情主体の生き方を教えることでなければな
りません。
七、子供のままの大人
成人しても愛情欠乏症にかかっていれば、欲望主体の人生を卒業す
ることができません。
周りが自分を愛しているかどうかだけに異常な関心を持つ人間にな
ります。
人を愛することなど思いもよりません。自己中心からいつまでも脱
することができない大人となります。
欲望主体人生から抜け出せず、愛情主体人生の意味がわからない人
間となります。
このような半人前の人間のままでは、立派な人生を送ることなどで
きず、当然の帰結として、立派な家庭、立派な社会、立派な世界を
生み出す一員とはなれません。
八、三つ子の魂
「三つ子の魂百まで」という格言があります。
幼いうちに植え付けられた習慣は、生涯変わることがないというも
のです。
幼い時期が如何に大事かを教えています。
愛情の満足感が幼い頃に欠如すると大変な障害となります。
3歳までに母親とのスキンシップや家族から潤沢な愛を受けて充分
満足した経験がなければなりません。
空腹は食事によって満たすことができます。
しかし、時間が経てばまた空腹となり、また食事をしなければなり
ません。これはいつまでも繰り返されます。
しかし、愛情の満足は余韻となって長く継続します。
心から満足する経験を一度でも持てば、それは心の記憶として残
り、いつでも思い起こせる余韻となります。
愛情で満足した経験が多ければ多いほど、長ければ長いほど豊かな
人格となり、愛情主義を貫く根拠となります。
幼い頃に無視され、虐待され、愛において満足した経験がなけれ
ば、人間として成長できず、大変な欠陥人格者となります。
親は愛したと思っても、子供の心にそれが伝わっていなければ意味
がありません。
間違いなく伝わった事実の確認をおろそかにしてはなりません。
物を与えたとしても、小遣いを与えたとしても、それだけで子供を
愛したことになりません。
どこまでも心が主体であり、物はその伝達の手段に過ぎません。
物が溢れていても、親の愛が伝わらなければ有害であります。
九、争う欲望と調和する欲望
複数の人間が関わりながら生きていく社会生活においては、人間と
人間の関わり方が一番の要となります。
「従業員の給与をもっと増やせ。お前の報酬は多すぎる。」
このような主張は欲望と欲望の戦いとなります。
一定量の収益に対する配分を誰かが多く取ろうとすると、誰かが少
なくなり、犠牲を強いることになります。
ここに闘争が生じます。
「従業員が創意工夫を凝らしてみんなで頑張り、収益を必ず2倍に
します。その結果を見て、私たちの給料を1.5倍にしてくれません
か?」
これなら、奪い合いではなく、全体の発展となり幸せとなります。
「みんなで頑張って、みんなで山分けしましょう。」となります。
自分の欲望を満たそうとするのではなく、相互に相手の欲望を満た
そうとすることとなります。
愛情主義となります。
物事は調和的、平和的に進みます。
物事は常に思いのままに進むとは限りません。
自然災害に苦しめられることもあり、社会状況の変化で順調に行か
ない時もあります。
しかし、そのような時、自己の欲望を主張するのではなく、他者を
優先する愛情を持って互いに尽くせば、どんな困難も、平和に解決
することができます。
愛情主義と我欲主義に分けて見ることを学んできました。
我欲主義で生きれば、自己の欲望を満たすために、相手から奪い取
ることとなります。
愛情主義で生きれば、相手の欲望を満たすために、与え共に喜びを
分かち合うことになります。
愛情主義で世界が満たされれば、幸福な家庭、平和な社会、豊かな
世界が実現できると確信します。
愛情主義に満ちた世界が一日も早く実現することを願ってやみませ
ん。
第二章 終わり
ここまで読んで下さりありがとうございます。
よろしければコメントなどお待ちしております。
私は助け合い主義の主張に賛同し、モデル都市建設の活動を推
進しています。
現在の日本や世界に疑問があり、何としても解決しなければならな
いと立ち上がろうと考えている方は、こちらのモデル都市推進本部
のHPを御覧下さい。