
アメリカと日本の根本的違いは欲望主義か愛情主義かである
助け合い主義第2章
欲望主義と愛情主義
白人による世界植民地化の悲劇について見てきました。
そもそも人間は常に弱者に襲いかかる非情な存在なのでしょうか?
有色人種同士の争いもあるし、社会生活にも、家庭生活にも
争いはあります。
単なる口喧嘩から大量虐殺まで、突き詰めれば人間と人間の
ぶつかり合いであります。
このような悲劇を解決するために、「そもそも人間とは何か」
について考察します。
第一節:人の一生
人の一生は誕生で始まり、死で終わります。
これが人生です。
生まれた瞬間から赤ちゃんは独り立ちを目指して成長の日々を送り
ます。
一人前になれば、良き伴侶を求め、結婚を起点として新しい家庭を
形成します。その家庭を根拠地として、社会に貢献しながら歳月を
重ね、やがて人生の終わりを迎えます。
死に直面することになります。
一、人生三大局面(誕生と結婚と死)
誕生と結婚と死の三つは、親戚、家族が最大の関心を寄せる
人生の重大局面です。
誕生と結婚と死の三つは、生命そのものに直結する局面であり、
人生三大局面と呼びます。
二、基本的欲求
人間は誰しも生来的に、生存を維持しようとする基本的欲望を持っ
ています。身体自体、生存を維持するために必要な器官を備えて生
まれてきます。
酸素を取り入れるための肺があります。意識するしないに拘わら
ず、呼吸を止めることは許されず継続しなければなりません。
何かの理由でそれが阻害されれば、苦しみ悶えることになります。
生存を維持する本能的な作用だけでなく、意識的なコントロールが
ある程度可能な欲望もあります。睡眠欲や食欲などであります。
睡眠欲や食欲などであります。
生存に不可欠な基本的欲望を列挙します。
三、人間の基本的三大欲望(生存欲、家庭欲、社会欲)
◎生存欲:個体の生命維持に欠かせない基本的欲望
(食欲、睡眠欲、所有欲、安全欲など)
◎家庭欲:子孫の繁栄を目指す基本的欲望
(結婚欲、子孫欲など)
◎社会欲:社会を喜ばせ社会の讃辞を求める基本的欲望
(ビジネス欲、名誉欲など)
四、欲望と愛情
人生の第一歩は生存欲を満たすことから始まります。
その欲望は自己中心的な性格を持ちます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、何もできないように見えますが、
お腹が空けば必死に乳房を求めて泣き始めます。
誰から教えられなくても、母乳を吸い込む能力は生来的に備わって
います。母親がどんなに赤ちゃんに飲ませようとしても、赤ちゃん
自身に飲もうとする意志がなければどうすることもできません。
赤ちゃん自身に生存維持の基本的要件は整っているのです。
さて、赤ちゃんが乳房を求める行動は欲望で説明できるが、
赤ちゃんのその欲望を満たしてあげようとする母親の行動を
母の「欲望」と説明するには、無理があります。
母の欲望ではなく、母の「愛情」と表現されるべきです。
五、欲望と愛情の違い
自己の欲求を満たそうとする衝動は「欲望」で表現され、他者の欲
望を満たしてあげようとする衝動は「愛情」で表現されます。
考えてみれば、赤ちゃんは母親にひどいことをしています。
母乳の元は血液であり、赤ちゃんは母親の血を吸っていることにな
ります。
母親を犠牲にして、赤ちゃんは生きようとしているのです。
赤ちゃんは間違いなく自己中心の行動を取っています。
独り立ちするまでは、多少なりとも他者を犠牲にしながら成長する
しかありません。
その期間を欲望主体期間と呼びます。
限度を超えない範囲で自己中心に生きることが許される期間である
とも言えます。
母親に視点を移してみましょう。
母親は嫌々ながら赤ちゃんに母乳を与えているわけではありませ
ん。自分の血液が吸い取られる事実は認識しているが、それでもそ
れを歓迎し喜んでいます。
愛情は、愛する者のために、自分が犠牲になることさえ喜びと感じ
るのです。
赤ちゃんは暴君のようであります。
自己の都合でうんちをし、自己の欲望のままに夜泣きをします。
親は振り回されながらも、そのわがままを許し、愛おしく、可愛く
感じ、赤ちゃんを抱きしめつつ、幸福感に酔いしれます。
愛情と欲望は明確に異なります。
欲望は自己的に作用し、愛情は利他的に作用します。
だからといって欲望を単純に悪と捉えることはできません。
母親が赤ちゃんを愛するにおいて、時には母乳を与え、時にはおむ
つを替え、時にはおもちゃを与えます。
その時、お腹が空いた赤ちゃんに乳を与えれば、それは愛情として
成立しますが、お腹いっぱいの赤ちゃんに無理に飲ませようとすれ
ば愛情のない行為となります。
おむつの汚れで泣いているのに、おもちゃを与えても愛情とはなり
ません。愛情を動機とした行為もその行為が相手の欲望と一致して
いなければ、意味を成しません。
つまり、愛情が成立するには、それにふさわしい相手の欲望がなけ
ればならないことになります。
相手の欲望が前提となってこそ、愛情が成立することになります。
このように、愛情が欲望と無関係に存在することはできないため、
欲望もまた愛情と同じ価値を持っていることになるのです。
六、欲望主体の人生と愛情主体の人生
如何なる人間にも欲望はあり、同時に愛情があります。
この両者においてどちらが主体であるかが大きな問題となります。
自己の生存を主体とすれば、欲望主体人生となり、
他者の生存を主体とすれば、愛情主体人生となります。
欲望と愛情は人生においてどのように作用しているのでしょうか?
誕生から一人前に成長する間は、比較的欲望主体とならざるを得ま
せん。
他者のために何かをやってあげたいと欲してもそれをする力がない
からです。特に赤ちゃんは欲望だけの時代を通過しますが、
その成長に応じて徐々に他者のために生きることを覚えます。
他者のために生きることが可能になった分だけ、愛情主体人生へ
転換されたと言えます。
成長とは欲望主体で生きる人生から、愛情主体で生きる人生への
転換であると言えます。
一つのお菓子を一人で食べるなら問題は生じません。
食欲という欲望を本人が満たして終わります。
ところが二人でひとつのお菓子を食べようとすれば、いくつかの選
択が発生します。
◎相手を無視して自分だけ食べる。
◎相手にあげて自分は食べない。
◎2つに分けて双方で食べる。
◎どちらも食べない。
どの選択を選ぶかで欲望主体か愛情主体かが判断されます。
飢餓による飢えの極限状況で考えてみます。
わずかの食料を二人で見つけたとします。
自分が相手より腕力が圧倒的に強い場合、
◎相手を殺して自分だけが独り占めにする。
◎相手を押しのけて自分だけ食べる。
◎少しだけ相手に渡してほとんどを自分が食べる。
◎半分に分けて同量を食べる。
◎自分は大丈夫だから君が食べなさいと全て与える。
◎自分は少し食べてほとんどを与える。
◎双方とも食べない。
などいろんなケースがあり得ます。
また、両者の関係も深く影響します。
親子の場合、夫婦の場合、恋人の場合、敵対関係の場合、上司と部
下の場合。相手が強く自分が弱い場合、などによって変わる可能性
があります。
選択の幅を広げてみましょう。
◎相手を殺して全てを奪う。
◎相手を奴隷にして働かせて全てを奪う。
◎相手を騙してその気にさせてこき使う。
◎生かさず殺さずで最大限の利益を奪う。
◎相手の幸せを願いつつ、共に助け合う。
考え方にもいろいろな選択肢があり得ます。
◎全ては力で決定され、「強い者が弱い者を支配するのは当然のこと」と考える。
◎「知恵のある者が知恵のない者を支配するのは当然」と考える。
◎嘘、騙し、脅迫、殺人などあらゆる手段を駆使しても構わないと考える。
◎力で物事を決めるのではなく、正義、大義に従うことが大事と考える。
◎全体の幸福を最大の価値として、場合によってはそのために自己を犠牲にしても構わないと考える。
など様々であります。要は欲望主体で捉えるか、愛情主体で捉える
かが尺度となります。
そもそも人間らしい生き方とはどのようなものでしょうか?
人間に潜む醜い部分と美しい部分に照準を合わせます。
今回はここまでとします。
ここまで読んで下さり有難うございます。
私は助け合い主義の主張に賛同し、モデル都市建設の活動を推
進しています。
現在の日本や世界に疑問があり、何としても解決しなければならな
いと立ち上がろうと考えている方は、こちらのモデル都市推進本部
のHPを御覧下さい。