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アメリカが第一次世界大戦に参戦した驚愕の事実とは!(偽ユダヤ人の策略)

二、偽ユダヤ人当事者の証言


① ベンジャミン・フリードマン(1890-1984)

この証言は驚くべきものであり、世界が常識として認識している事実が如何

に虚偽に満ちたものであるかを明らかにしました。

等の本人が偽ユダヤ人でありイスラエル建国への足がかりを準備した当事者

(元シオニスト)でありながら、その欺瞞性を公言しました。

①現代ユダヤ人と思われている大半は、聖書のユダヤ人とは全く無関係なカザール人であること。

②従って彼らにはイスラエルに国家を建設する資格そのものが無いこと。

③彼らの欺瞞性に今気が付かなければ、アメリカも世界も危険であること。
また第一次世界大戦の背後の事情や、その後の世界に対して、偽ユダヤ人の策略が如何にひどいものであるかを明示した。

ベンジャミン・H・フリードマンの証言

ベンジャミン・H・フリードマンは、20世紀でもっとも興味深く、素晴ら

しい人物の一人です。同氏は1890年生まれ。

ニューヨークで成功したユダヤ人実業家で、ウッドベリー石鹸会社の社長を

していたこともあります。

1945年に、ユダヤ共産主義者が勝利を収めた後、同氏はユダヤ組織と決

別しました。そして残りの人生を賭け、また、莫大な資産約250万ドル

(当時の日本円で9億円)を費やして、アメリカの支配するユダヤ人の権力

構造を暴露しました。

フリードマン氏の証言は特に重要です。それは彼が、アメリカの権力を得よ

うと企んでいるユダヤ組織の中で、トップレベルの当事者であったからで

す。

フリードマン氏は、バーナード・バルーク、サミュエル・アンターマイ

ヤー、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョセフ・

ケネディ、ジョン・F・ケネディなど、時代を動かしてた人々と個人的に知

り合いでした。

このスピーチは、1961年にワシントンのウィラード・ホテルで、愛国的

な聴衆に向かい、コンデ・マギンリーの愛国的新聞「コモン・センス」のた

めに行われました。

フリードマン氏のメッセージは、欧米への警告であり、状況は以前にも増し

て緊迫してきています。 以下音声メッセージを文字起こしします。

ここアメリカで、シオニストたちは、アメリカ政府への支配を完成しまし

た。その理由について踏み込むには余りにも複雑過ぎますが、彼らは既に絶

対的君主のように、アメリカを支配しています。こんな事を言うと、えらく

大まかな話だと思われるでしょうが、私たちが眠り込んでいるうちに何が

あったかをお話させて下さい。何が起きたのでしょうか?

第一次世界大戦は1914年夏に勃発しました。この会場には私と同年代で

それを覚えている人はあまりいないでしょう。

戦争は、イギリス、フランスとロシア対、ドイツ、オーストラリア=ハンガ

リー帝国とトルコによって繰り広げられました。

開戦後2年で、ドイツは戦争に勝利を収めました。

名目上勝っただけではなく、実質的にも勝利を収めたのです。

世界の驚愕の的となったドイツの潜水艦は大西洋から船団を一掃しました。

イギリスは兵士に与える弾薬もなく、食料補給も1週間分しか残っておら

ず、立ち往生していました。その後、飢餓に苦しみます。

当時フランス軍には反乱が起こっていました。

ソンム地方のベルダンの守備戦でフランスの若者の命が60万も失われまし

た。ロシア軍は逃亡していました。おもちゃのような武器を持って家に帰ろ

うとしていました。ロシア兵はもはや、戦争ごっこなどしたくなかったので

す。彼らは皇帝が嫌いでした。イタリア軍は崩壊していました。

ドイツの国土には一発の弾丸も打ち込まれていませんでした。

国境を越えてドイツに入った兵士は一人もいませんでした。

ドイツはイギリスに対して示した和平の交渉は、旧状を保持するというもの

でした。これは、「戦争を止めて、すべてを戦争前の状態に戻そう」という

ことです。

イギリスは1916年夏にはこの申し出を真剣に検討していました。

他に選択肢がありませんでした。ドイツの寛大な和平交渉を受け入れるか、

もしくは、完全に敗北している戦争を継続するか、どちらかでした。

和平交渉が進んでいる中、ドイツのシオニストたちは、東ヨーロッパのシオ

ニストたちを代表して、イギリス戦争内閣を訪問しました。

この話は長くなるので端折りますが、私は、私の話を証明できる文書を全部

残してあります。

シオニストは言いました。「ちょっと待ってください。イギリスはこの戦争

にまだ勝つことができます。あきらめる必要はありません。今、ドイツが提

案している和平交渉を受け入れる必要はありません。アメリカ合衆国が同盟

軍として参戦すれば、あなたたちは勝てます。」

当時アメリカは参戦していませんでした。アメリカは元気で、若く、お金も

あり、強かったのです。

シオニストはイギリスに言いました。「イギリスの同盟国としてアメリカを

参戦させ、あなたたちの側で戦わせることを保証しましょう。条件は、勝利

の後に「パレスチナを我々に与えると約束してもらうことです。

シオニストたちは次のような取引をしました。

「アメリカを同盟国として参戦させる。その代わり勝利を収めたら、その代

償として、パレスチナを差し出さなければならない。」

パレスチナについて、イギリスが誰かに約束できるような権利はありませ

ん。

例えて言うと、アメリカが日本に対して、アイルランドを約束するようなも

のです。イギリスには、パレスチナに対して利害も権利も全くありませんで

した。そのイギリスが、シオニストがアメリカを参戦させる見返りとしてパ

レスチナを提供する。そんなことは、全く不条理です!

しかし、イギリスは1916年10月、そのような約束をしたのです。

皆さんの中で覚えておられる方が何人いるか分かりませんが、その後すぐ、

アメリカはそれまで親ドイツであったにもかかわらず、イギリスの同盟国と

して参戦したのです。

アメリカの新聞は、ユダヤ人が支配していましたし、銀行も、マスコミ媒体

もすべてユダヤ人が支配していました。そのユダヤ人はみんな親ドイツでし

た。ユダヤ人がドイツを支持したのは、彼らの多くがドイツ出身で、それに

加えて、ユダヤ人はドイツがロシアの皇帝を負かすところを見たかったから

です。ユダヤ人はロシア皇帝が嫌いで、戦争に勝たせたくありませんでし

た。アメリカのクーン・ローブなど、ドイツーユダヤ系の銀行家たちは、フ

ランスやイギリスに1ドルたりともお金を出すことを拒んでいました。

傍観して次のように言っていました。

「フランスとイギリスがロシアと組んでいる以上、1セントも出せない!」

と。そして、ユダヤ人銀行家たちはドイツにお金を注ぎ込んでいました。

ロシア帝政体制を倒すために、ドイツ側についてロシアと戦っていたので

す。それが、それがですよ、同じユダヤ人たちが、今度はパレスチナを手に

入れられる可能性が見えたといって、イギリスに行き、このような取引をし

たのです。その時すべてが変わりました。

交通信号が赤から青に変わったようにです。新聞は全部ドイツ支持で、国民

に対しては色々な商業メディアで、ドイツを応援していたのに、それが、突

然ドイツが悪いと言い出しました。

ドイツは悪党だ。

ドイツは野蛮なフン族だ。

ドイツは赤十字の看護婦を銃撃している。

ドイツ人が赤ん坊の手を切断している。

ドイツは悪だ。

その後すぐ、ウィルソン大統領は、ドイツに宣戦布告しました。

ロンドンにいるシオニストがアメリカの合衆国最高裁判所判事ブランダイス

(ユダヤ人)に電報を打っています。

「ウィルソン大統領に取り掛かってくれ。我々の望みのものはイギリスから

手に入れた。ウィルソン大統領がアメリカを参戦させるように動いてく

れ。」

これがアメリカが第一次大戦に参戦した経緯です。

アメリカは大戦に対して利害関係はありませんでした。

アメリカが第一次大戦に参戦する正当な理由など全くありませんでした。

私たちは騙されて引き込まれたのです。

ただ、シオニストたちがパレスチナを手に入れるためだけに・・・・。

合衆国国民は何も知らされていません。アメリカが第一次大戦に参戦した理

由を全く知りません。

アメリカが参戦した後、シオニストはイギリスを訪れ、次のように言いまし

た。「我々はアメリカの参戦を実現しました。約束通り、戦争に勝利した

後、パレスチナを我々に与えると書いた証明を何らかの形でください。」

戦争は1年で終わるか、もしくは10年続くかわかりませんでした。

そこで、イギリスは承諾書を作りました。

この承諾書は手紙の形をとりました。

この手紙は非情に曖昧な暗号のようで、世界の大部分はその意味がわかりま

せんでした。これが「バルフォア宣言」と呼ばれるものです。

「バルフォア宣言」はイギリスの約束に過ぎません。

アメリカを第一次大戦に参戦させた報酬として、シオニストに合意したもの

を支払うという約束。だから、この偉大な「バルフォア宣言」は、3ドル札

が実在しないように、全くのペテンです。

この話に、誇張は全くありません。

これが厄介な問題の始まりでした。アメリカ合衆国は参戦した。アメリカは

ドイツを破った。そうなりましたよね。1919年に戦争が終わり、ドイツ

側がパリ講和会議のためパリに行きました。そこには117人のユダヤ人が

いました。バーナード・バルークを代表としたユダヤ人代表団でした。

私はその一員でした。

それからどうなったでしょうか?

講和会議で、領有を主張するすべての国々にドイツを切り刻んで分配しよう

としていたのですが、そこに参加したユダヤ人たちは「我々のパレスチナは

どうなるの?」と言いました。

ドイツ人には初耳となるこの「バルフォア宣言」を提示しました。

ドイツ人は初めて気が付きました。「そうか、汚い取引だった!アメリカが

参戦した理由はこれだったのか!」ドイツ人は初めて認識しました。

自分たちが敗北し、恐ろしい金額の賠償金を課せられたのは、「シオニスト

がパレスチナを手に入れるための策略だった。」と。

興味深いことがあります。ドイツ人がこれに気づいた時、当然憤慨しまし

た。それまでドイツにいたユダヤ人は、世界のどこの国でも受けられないほ

どのいい暮らしを享受していました。

ドイツのラーテナウ氏は、アメリカの産業や金融界を占めているバーナー

ド・バルークより、ずっとずっと100倍も重要な人ではないかと思いま

す。バリン氏は2つの汽船航路、北ドイツーロイド航路とハンブルグーアメ

リカ航路を所有していました。

ブライヒレーダー氏は、ホーヘンゾレン一族のための銀行家でした。

ハンブルグのウォーバーグ氏は、世界最大の商業銀行家でした。

ドイツでユダヤ人は繁栄を享受していました。

これは間違いありません。そこで、ドイツ人は「これは完全な裏切りだ。」

と感じました。

この裏切りは、こう例えてみるとよく理解できるでしょう。

アメリカがソ連と戦争をしているとします。

アメリカが勝っている。そして、アメリカはソ連に次のように言います。

「さあ、もう戦争を止めましょう。和平条項を結びましょう。これまでのい

きさつはすべて水に流しましょう。」

そこへ、突然中国がソ連の同盟国として参戦してきます。この中国の参戦に

よって、アメリカは敗戦に追い込まれます。惨敗で、賠償金は人間が想像で

きないような額で、一国が支払いきれないような額です。

そしてこの敗戦の後に、次のようなことに気づいたとしたら・・・・。

アメリカにいる中国人、中国系市民が敗戦の原因だった。中国系市民はアメ

リカ人と一緒に仲間として暮らしてきたと思っていたのに、実は彼らはアメ

リカをソ連に売り、彼らを通して、中国が対アメリカ戦争に参戦した。

想像できますか?

アメリカは彼らに対して、どんな気持ちになるでしょうか。

裏切った中国人が顔をさらして通りを歩けるとは思えません。

私たちがどんな気持ちになるか想像してみてください。

そうです、これこそがドイツがユダヤ人に対して感じたことです。

ドイツ人はユダヤ人に大変良くしていました。

1905年にロシアで最初の共産主義革命が失敗した後、ユダヤ人たちはロ

シアから急いで逃げなければなりませんでした。

ユダヤ人たちは皆ドイツに向かいました。ドイツはユダヤ人を受け入れ、非

常に親切に扱いました。

それなのに、ユダヤ人は「ユダヤ国家」としてパレスチナが欲しかったため

に、ドイツを売り、川の中に投げ込んでしまいました。

まだまだ続きますが長いので今回はここまでとします。

ここまで読んで下さりありがとうございました。

次回もベンジャミン・フリードマンの証言の続きを書いていきたいと思いま

すのでご期待下さい。

もしよろしければご意見やご感想などお待ちしております。

私は助け合い主義の主張に賛同し、モデル都市建設の活動を推

進しています。

現在の日本や世界に疑問があり、何としても解決しなければならな

いと立ち上がろうと考えている方は、こちらのモデル都市推進本部

のHPを御覧下さい。







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