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【短編小説】えんらえんら【三題噺】

1つ目は『廊下』
2つ目は『本棚』
3つ目は『飲む』

 飲み会で膨張した空気に息苦しくなった坂本栄一は、タバコを吸うことを口実に居酒屋の外に出た。外に出た瞬間に酒気や人の声が一気になくなり、しんしんとした空気に包まれる。一服しようとポケットをまさぐるも、しかし上着のポケットに入れっぱなしだったことを思い出す。中で持って帰ってくるか、と戻ろうとしたとき丁度、卓を共にしていた相沢美奈子が出てきた。
「よっ、栄一」
「っす」
 栄一は目を逸らしつつ、してるんだか分からないくらい浅い会釈をする。
 実のところこの美奈子のことが苦手だった。一つ年上の先輩で、酒を飲み、下には持て囃され、上には食ってかかってじゃれる。面倒見もよくないことはないが、むらっ気が強い。それに栄一は何を話していいかよくわからなかった。
 ということで退散しようと入違いざまに居酒屋に戻ろうとしたが、美奈子がどかず、そのまま体で押し切られてしまった。手押ししないスモウのように。
「ちょっ、なんすか。酔ってんすか」
「あったりまえだろ。なんだよ、お前こそスパスパしにきてんじゃねえの」
 いやぁ、中に忘れてきちゃってとバツが悪い栄一。
 これは捕まったなと思う。
「あれ、でも、ミナ子先輩って吸わねぇっすよね?」
「吸わん! あんなもん、毒だろうが。毒で死ぬとかユダヤ人じゃあるまいし」
 そう言ってゲラゲラ笑う。
 不謹慎なブラックジョーク。笑えない。そういうのを一人で笑って面白かったことにする。そういうところもまた苦手な要因だ。押切かな。押し切られるのが苦手なのかな。と栄一は冬の寒さに冴える脳をもって考察した。
「身体的に蝕む毒か、社会的に蝕むストレスかっすよ。俺はタバコ吸って、嫌なことから逃れてるんです」
「逃避行か。ランデブーか」
「今は逃避行っすね」
「今は? カッコつけちゃってさ」
「うるせぇ~」
 美奈子はゲラゲラ笑う。品もなく。こういう勝気でぶっきらぼうな人の相場は美人で、それだから男子の人気があって許されているというイメージが栄一の中にはあったが、別に美奈子よりも顔で好かれている人はサークル内に指折り数えるようにいるだろう。けれども、美奈子は自分が最も美しいと信じて疑わないかのように、まるで自分の羽を広げて飛んでいる。
 どこでも彼女は押し切っているのだろう。
 きっと美人だと言わせているのだろう。
「タバコ忘れたんなら、くれてやるよ」
 と、知らん銘柄のタバコを渡された。
 タール量を確認したら栄一が普段吸っているやつよりも高い。
「吸わねぇって言ってなかったスか?」
「ん? 忘れもんをな、拝借して」
「どろぼうじゃん」
「こんなもん道路にめちゃくちゃ落ちてんだろ。今更それが増えるくらいならアタシが捨ててやろうと思ったんだけど、燃えるごみ出していいか迷ってさ」
 そういって美奈子は新品のタバコのビニールを剥く。ピーっという心地いい音がしそうなぐらい簡単にタバコの封が開けられていく。店先にかかるネオンの赤をビニールが反射して、安っぽいキラキラがリボンのように線を描く。
「本棚に置いてあったんだよな」
「彼氏っすか?」
「さぁ」
「さぁ、て」
「アタシに思い出してほしいみたいな奥ゆかしいダイイングメッセージなんかね? 喫煙者としてはどう思うよ」
「さ、さぁ?」
「お前もやないかい。でも、アタシ吸わないからさ。やるよ。花言葉とか調べずに花買うタイプだし」
「そもそも花買うんすね。よしんばしても、道端の花毟ってるかと思ってたっすよ」
「タバコより花だわ。税もかかんねぇし」
 初めて開けるのか、酔ってるせいか。美奈子はまるで箱の上部を引きちぎるように乱暴に開封した。上部は殆ど首の皮一枚繋がっているような具合で、中身も少し潰されてしまったのがある。
 栄一は一本そこから取った。取らなかったら殴られそうだった。そのくらい強い目を美奈子はしていた。
「じゃ、遠慮なく」
 咥えてから百円ライターで火をつけて、それからゆっくり煙を吸った。味はそんなに好きなものじゃなかった。肺に入れすぎないようにすぐにふかした。美奈子はそんな栄一の顔をやぼったそうに見ていた。跳ねるまつ毛、カールした髪。風になびいていた。
「おい、これにもつけろよ」
「吸うんすか?」
「吸わない。でも、なんかよ、お前だけ吸わせてアタシ手持無沙汰になったわ。それに誰かにタバコの火ィつけてもらいたかったんよ」
 最初はなんだか断ろうかと思った。遠くに聞こえる友人の笑い声に意識が持ってかれて、今目の前にいる苦手な先輩のことなんて線路の敷石を縫って咲く雑草の花ぐらいに、途端に矮小に思えたからだった。
 でも、やっぱり火をつけてあげてしまった。
 彼女の手の中で燃えるタバコは吸われることもなく、煌々と赤に燃える。まるで剥き出しの火葬場のようだった。上り立つ煙は誰の屍か。
「……線香花火みてぇだ」
 美奈子の瞳には命の灯のような光があった。
 彼女の言うところの線香花火のように小さな光だったが。
「そんな綺麗なもんじゃないでしょ」
「こんな間近で見ることなかったしな」
「吸えば?」
「吸わねぇよ」
「口寂しい人には丁度いいと思うっすけどね」
「そうかよ。でも、悪かねぇか」
 タバコを左手に持ち替えて、スマホを取り出して、その手の写真を撮った。フラッシュに青白く染まった彼女の手はなんだか生に濡れている気がして、美しかった。
「ストーリーに載せよっと。じゃ、これ、吸っといて」
 俺がタバコを吸っている間にもう一本のタバコを遊ばせた手に握らされていた。
「え、はぁ?」
「あ。後これもな」
 握りしめられたタバコの箱をがさつにズボンのポケットに突っ込まれた。
 きっとその下で鋭利なタバコの角が栄一の内ももをひっかいて、みみずばれにした。
「火ィ、気をつけろよ。後、身体大事にしろ~」
 ピシャリと引き戸は閉められ、後には冬の寒さだけが残った。
 二本か。
 吸わねぇと持ったいねぇかな。
 意外と嵌りそうだから。
 まだ吸っていないタバコの方の灰を砂利コンクリートの上に落として、線香花火のように見つめてる。
「でも、さみぃって」
 くしゃみを一つすると、続いてせき込む。
 細いタバコの煙が一気に霧散した。
 

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