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三題噺『私とクロックスの愛の子』【短編小説】


1つ目は『鄙びたアパートの一室』
2つ目は『サンダル』
3つ目は『揺蕩う』

 レジ袋を持って外に出る。水を手に入れるためだ。
 サウナ室が内と外でひっくり返ったように、空調のない我が家よりも外は暑かった。遮る雲一つない青空に白く輝く太陽が放射状に尖る日光を振りまいている。その一つ一つの尖った日光が肌に突き刺さり、目に突き刺さり、首筋に流れる汗に突き刺さり、そして回避してもコンクリートを水泳選手がターンするみたいに蹴って、足元からも熱で刺してくる。既に汗がシャツの下に着たタンクトップを湿らせている。脇の下になるべく布地が付かないようにフラフラと歩く。
 遊具もない公園に立ち止まり、防災用に残された井戸水の汲み上げポンプの前に立つ。遊具はないがこの公園は戦前の名残で青銅のポンプが残っている。緑青の柔らかい色合いは照りつける太陽をボコボコとした表面で吸収して鈍く光るばかりだ。
 『飲料水ではありません!』とデカデカと書かれた注意事項がポンプの後ろに立っているが、別に飲み水の確保に来たわけじゃない。いくら自分が職を失って久しい貧乏無職だからといって、まだ水道は止まっていない。まぁ、水道代を節約しようとしてきたのはその通りだが。
 手押しポンプを上に下に数回やると、ごぽごぽと溺れる動物のうめき声のようなものがポンプの内から聞こえてきて、やがて太く水が流れ出した。ポンプの真下に作られた網の排水溝に流水が当たると勢いよく飛び散って周囲をびちょびちょにする。打ち水のような具合になって多少の涼は感じられるかもしれない。
 もう少しポンプを漕いだ後、私は腕を片方ずつ流水に差し出した。冷えた水が夏の太陽に火照った肌を冷やしてくれる。はぁ、と短い溜息がでた。ついでに、頭からも被る。額を通り、鼻筋を通る水。後頭部を滑り、うなじに滴り、耳の裏から流れ落ちる水。汗もポンプの水も全て網の下に落ちていく。
 頭がさえた所で、レジ袋に水をたっぷりと溜めた。

◇    ◇ ◇ ◇ ◇

 でっぷりと肥えたレジ袋を右手に持ち、大股でまた大路を端によって歩いていく。
 コンビニ袋は通常何リットル入る想定なのだろうか。
 文字通り頭を冷やした後ではこれがいいアイデアには思えなくなってきた。
 この水は水槽に張るための水だ。私はサンダルを飼おうと思っていたのだ。
 頭がおかしくなってしまったから。
 そう自任できるだけましかもしれない。
 印刷会社に勤めて三年が経ったのだ。
 年を喰って横柄さが肥えたお局、新人だからと忘年会でやらされる一発芸、過度な高齢化した空間がもたらす上下関係の溝、旧態依然な風潮、非生産的かつ強制的な残業、シンプルな薄給。今時カレンダーなんて言うのは時代遅れの産物で、誰も買わないのではないだろうか。私はずっとカレンダーを売り込む営業をしていた。芸人やアイドルの日めくりカレンダーはもちろん、企業にオフィス用品として売り込むこともままある。しかし、現代ではオンラインでスケジュールを管理できる時代。寧ろ、数十人単位でスケジュールの共有がしづらいカレンダーは逆風にあるし、業界自体が縮小している。
 印刷業という言葉に私は何の魅力を感じていたのだろう。それももう遠い砂漠の蜃気楼のように思い出せない。私はじっと空の水槽に満ちた水の動きを見ている。
 透き通る。何もない。波もない。穏やかな静止。
 私は辞めた。正確には逃げたんだ。
 退職金は貰い損ねたが、特に趣味もなく、忙しくて休日を何に費やすこともしなかったおかげで幸いにも貯金は恵まれている。昼間は電気をつけず、なるべく飲料も水道水を飲み、一日一食でやりすごしているおかげか計算上後二か月はこうしていられる。
 私はもう昼と夜を何度も見た。星を見た。
 自分の頭のことを考える日もあった。
 自分がストレスに耐えられないのは精神の軟弱さや盲目的であるからではなく、脳の構造の問題なのだとここ数週間考えて結論付けた。様々な実践的な実験で自分の習慣やストレス耐性を引き上げようとしたが、それも無念に終わった。私はいまだにこの家と無限に繰り返す『日常』から抜け出せていない。
 脳のしわや回路がもし、現実に対応するような形になっていないのであれば、私がいくら意識的に改革を目指そうとしてもどうしようもないではないか。そこに可塑性はないのだから。だから諦めたのだ。
 見据えることを。
 生き死ぬことを。
 今や私は死ぬために生きているだけに過ぎない。
いや、死ぬことを意識しないために生きているだけだ。
 それではあまりにも味気がないから、今日はこのようにサンダルを飼うことにしたのだ。さっき水を汲みに行くときに履いていったグレーのクロックス。これを水面にゆっくりと着水させ、浮かべる。
 これが今日から私のペットなのだ。
 餌も必要なければ、水替えの心配も要らない。なんてコスパの良い趣味だろう。
 私は水槽に顔を近づけ、透き通る水中をクロックスの足裏にくっついていた泥が散り落ちるところを眺めた。もっとも壮大な変化はこれに留まることだろう。
 子供のころからペットを飼ってみたかったのだ。小学生の時に友達の湯沢くんに彼の家に招待してもらったことがある。そこではなんとも高価そうなつる植物の文様があしらわれたヴィクトリア調のソファを独占するようにでっぷりとした白色の毛の塊が鎮座していた。それを彼は猫と呼んだ。名前はないらしかった。
 私もその猫に触らせてもらったが、初めて人間以外の生き物を触った気がした。アリやダンゴムシのようなものは虫であり、虎や象とはランクが全然違うのだ。猫は正しく私の中で生き物と呼べるものだった。
 猫。ふわふわの。そして、暖かで、意思があるもの。
 私はその年のクリスマスに両親に猫をねだった。どうしても欲しいのだ。自分の中にある生き物を愛したい欲求は絶頂を迎えていた。湯沢くんちの猫のようなものを私もソファの上に置いてみたかったのだ。しかし、我が家は経済的な事情で猫を飼うことなんて夢のまた夢だった。加えてマンション住みでペットはNGだった。クリスマスの夜明け、私の枕元にあったのは猫のステッカーだ。自分のほっぺに張って泣いた。
 飼いたかったのだ。生き物を。猫を。だから、クロックスを浮かべている。クロックスはいたって健康そうに溺れる様子さえ見せない。水面をあの猫がそうしていたようにふてぶてしく浮いているだけだ。なんとも言わない。しかし、それが私の心を落ち着けた。
 自分だけのペットだ。死ぬこともないし、生きることもない。究極、世話の必要もないが、それでも愛でられる。成長もしないし、老いることもない。もしかしたら劣化していくこともあるかもしれないが、しかし、しばらくはこの完璧な形を保ち続けるだろう。
 水面をクロックスは少し回転するようにゆっくりと動いている。それがコリオリの力とか、万有引力とか、或いはアニミズム的にとらえてクロックスの意志による動きとかなんであってもかまわない。私の視点から見えないことはどうでもいいのだ。内的要因だろうが、外的要因だろうが、等しくその動きを愛で、安心を吸収できる。
 猫に私が求めていたのはそういうことなのだ。
 ふと、まるで脳のようだ、とクロックスを見て思った。

◇    ◇ ◇ ◇ ◇

 数日が経ったある日、クロックスの穴から何か雑草みたいなものが芽生えていた。
 それは穴の中から二つの葉っぱを見せていた。
 まさかあの出かけた時にクロックスの中に雑草の種でも紛れ込んでいたのだろうか。なんということだ。本物の生命が誕生してしまった。変わらない日常が壊されてしまう。
 私は急いでクロックスを水から出してやった。濡れそぼったつま先を優しく親指の腹で撫でてやる。そうしながらこの雑草の処遇を考えていた。
 本物の命を育んでしまった。クロックスが命を生んだんだ。いや、この雑草は私とクロックスの間に生まれたまさに子供じゃないか。クロックスがタネを運び、私が育つように水を満たした水槽を用意した。それが例え偶然、気の迷い、狂いであったとしても、出来上がってしまった生命を育成する責任を放棄する理由には成らないだろう。私は唇を強くかんだ。自分の中にある倫理観と日常を崩壊させてしまうこの新たな生命の息吹の影響が互いに相克し、葛藤し、常に伯仲している。まるで天秤の両方が常に揺れているかのようだ。ここで下ろすべきか? 私にはその決断ができる。クロックスを苗床とするこの生命を寄生虫のように唾棄して、簡単にゴミ箱に突っ込むことができる。その後は静かな水面に浮かぶクロックスをただ眺める日々がまたちゃんと続いていくのだ。電気を消して、蒸し暑い日々、汗も流さず、ただ浮かぶだけの。
 本来であればそれがいい。でも、私にはこの生命を育むべきだという予感がしている。それは予感であって、道徳観でも倫理観でもないのだ。もっと狂気的な欲求だ。しかし、狂った人間にこそ必要なのはその人物が考える最大の倫理性ではなく、その人物がさらに思う狂気性だ。二重の捻じれが正当な方に私の脳を導いてくれるかもしれない。
 そうと決まれば私はまた公園に行き、土を採取した。
 道端に捨てられていたコーラのアルミ缶を手で捩じってひきちぎり、小さな植木鉢の代わりにした。クロックスに芽生えた新しい命をそっと指でつまみ、鉢の中へ入れてやる。最初は根を勝手にはるまで埋めたりせず、ただ地表に置くだけにしておいてやった。
 夏空に雲がかかり始める。よくみる入道雲というやつだ。この先また台風がきたりするのだろうか。心配だ。しかし、ラッキーだ。先に芽生えてきてくれたおかげで私は雨の中に鉢植えの代わりと砂を採取する必要がなくなったわけなのだから。

◇    ◇ ◇ ◇ ◇

 クロックスと私の間に生まれた植物はすくすくと成長した。それはもう犬や猫よりも速く成長したことだろう。私は犬も猫も飼ったことはないが、情報として生育速度は知っている。この草の種族名は知らないが、元々私とクロックスの間に生まれた子供であるから、命名権はこちらにある。しかし、なんて名前をつけようか。そう思う頃には色白だった子も緑色をちゃんと帯び始めていたし、茎も堅くしなやかになっていた。私は今なら植物に名前を付けられる気がした。名前を付け、その子の一生をちゃんとタイマーを見るように見える気がした。
 この子を養うためにも私は再就職をしなくてはならないと思って、スーツをアイロンがけし、身なりを整えて今はよく中途採用の面接を受けたりしている。
「前職を止めてから今までの間は何をしていましたか?」
「はい。親をしていました」


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