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開始三十秒。推しの幸せを見て、泣けてしようがなかった日

その日は、頭の先からてっぺんまで完璧にすると決めていた。
髪の毛はいつもより念入りにセットし、どうせマスクで隠れるけれど、お気に入りのブラウンのリップもきっちり塗った。
目的地は都内某所の劇場。玄関で、私は実に数か月ぶりに、何も考えず7cmヒールのブーツを履いた。
恋が終わった次の日だった。

おそらく、向こうはたいして私のことを好いてはいなかったし、興味すらなかったらしい。私の存在はただのステータスに過ぎず、会ったところで楽しくもなかったのだろう。
では果たして、私はどうだっただろうか?と考えると、相手を責めてばかりでもいられない。たぶん、私は相手に対して、相手が私に抱いていた感情よりは重いものを持っていた。でも、私は一切の掛け値なしに、向こうを信じて知ろうとしただろうか?自らを晒せただろうか?と訊かれれば自信はない。
だって数か月間、会うのは一か月に一回、連絡すらもまともに取り合わないような関係性を、自分から修正しようとはしなかったのだから。できなかったといってもいいかもしれない。当時の私は唐揚げの最後の一個、というよりは字義通りの「遠慮のかたまり」ってやつになっていた。
「遠慮のかたまり」になってしまえば最後、全てが愛情から思いやりという名の遠慮へと形を変えた。思慕は、いつの間にか疲労になっていた。

さて、「こりゃもうムリかもな」という予感は、なかなか確信めいたものがある。そういうときは大抵何かに頼らないとしんどいわけだが、私の場合、その依存先は演劇やドラマなどの娯楽だ。相手からの連絡で「こりゃもうムリかもな」を感じ取った日、私はさすがにしんどくなって、推しの出る舞台のチケットを取った。
学生なので、恋人のための資金と観劇の資金、両方潤沢に用意できるわけではなかった。この舞台観劇自体も、約束次第ではお流れになる可能性だってあったから、ギリギリまで保留していたのだ。そんな感じで観劇からも少し足が遠のいていたけれど、もうその必要はなさそうだった。
まあ、さすがに別れた次の日に観劇することになろうとは思わなかったけれど。結局ただのステータスを持ちたいだけの人間と「遠慮のかたまり」人間では、後者に限界が来るのが早かったという、たったそれだけの話だったのだろう。デートに誘う私のお決まりの言葉に対してさくっと投げられた「無期限で距離を置きたい、今は対面で会いたい気分ではない」との趣旨のメッセージに対して、私はつとめて事務的な返信をし、相手に関わるすべての連絡先を消した。

というわけでその次の日、わたしは劇場にいた。
ここまで書いたら分かる人にはいろいろ分かってしまうかもしれないが、その舞台は神話を題材とした悲恋ものだった。
正直、観劇中に苦しくならないか心配だった。
そりゃあそう、所詮失恋(笑)翌日の身体である。悲恋物語なんて劇薬にはなれど、傷に沁みまくるに違いない。
そう覚悟して臨んだのだが。

幕が上がると初めに待ち受けていたのは、幸せな、本当に幸せそうなシーンだった。
一組のカップルの波打ち際での会話、平たく言えば悲恋の前日譚。
このあとこの二人がハッピーエンドにならないのは分かっている。分かっているけれど、純粋に「いいなあ」と思った。推しの幸せそうな、可愛らしいシーンだもの。きらきらした彼と彼女が、とにかく眩しかった。

刹那、私は現実に引き戻されてしまった。壇上の幸せ絶頂の推しと客席の失恋ホヤホヤの私、そのあまりの明度の違いにくらくらした。そのせいで、眩しいを飛び越えて、うらやましいなあ、と思った。
不思議なことに、未練からくるうらやましさではなかった。ただひたすらに、ああ私はあの人といたところで、この二人みたいに楽しめなかったのだな、とまざまざと突き付けられたことから来る、なんだかすごく暴力的なうらやましさだった。じゃあ私はどうすればよかったのだろうか?相手を信じるべきだったのか?もっと会話するべきだったのか?ステータスとしての存在に甘んじているべきだったか?遠慮のかたまりをもっと早くやめるべきだったのか?
そもそも私、本当に好きだったのか?

そういった考えがぶわっと頭を駆け巡り、ぎゅうっと顔に熱が集まった気がした。
そこからはもう駄目だった。
開始三十秒だった。
気合を入れたアイシャドウとマスカラは、根こそぎハンカチに吸い込まれて一緒くたにびしょびしょになった。
ばたばた涙を溢しながら、肩の震えと声をなんとか鎮めようとした。
本当は声を上げて思い切り泣きたかった。でもそこは劇場、ギリギリ嗚咽しそうなのを堪え、必死で演技を追った。

結局、私は苦しい後半でも泣いた。それはそれは干からびる勢いで泣きに泣いたので、なんとなく溜飲が下がった。でも、私が泣けてたまらなかったのは、後半の苦しい報われない物語ではなく、幸せな恋愛模様だったのだ。




それにしても、どう見ても泣き所でない場面で号泣していた私の姿、相当ヤバかったと思う。だいぶ前の話だけれど、どうかどうか壇上から見えていませんでしたように。

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