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レナード・コーエンの唄 転向の季節

2016年にボブ・デイランがノーベル文学賞を受賞してから、早いもので今年で8年の月日が流れた。デイラン本人は元気でライブ活動を続けている。私も老人と呼ばれる年齢になり、同時代に授かった命に感謝している次第である。そして、同じく8年前、2016年11月7日にレナード・コーエンは82歳の生涯を閉じた。以前から、ボブ・デイランがノーベル賞を受賞するのではないかと巷間に流布していたが、もし、受賞するのであれば、レナード・コーエンの方が相応しい。そんな風に私は受け流していた。けれど、実際にボブ・デイランが受賞して、その年にレナード・コーエンはこの世を去った。

この文章を読む方で、レナード・コーエンについて、全く知識を持ち合わせていない人方もいらっしゃるかも知れないので、簡単にレナード・コーエンについて、触れておくと、1934年生まれのカナダ生まれの作家・シンガーソングライター、もう一つ属性を付け加えるとユダヤ人である。
作家(詩人)としてのキャリアは早く1956年に「神話を生きる」という詩集が発表されている。その後、エーゲ海のハイドラ島(ギリシア)に住み61年第二詩集「大地の薬味入れ」63年小説「お気に入りのゲーム」64年第三詩集「ヒットラーのための花束」66年には、第四詩集「天の寄食者たち」そして、レナード・コーエンの名声を確立した小説「嘆きの壁」が発表されている。


そして、1967年に満を持して、コロムビアレコードから、デビューアルバム『レナード・コーエンの唄』原題song of leonard cohenが発売される。
,60年代は時空に歪みが生じた時で、ビートルズはたった8年の活動時期にもかかわらず、初期、中期、後期と時間分けされ、ルルとジミーヘンドリックスとモータウンとドアーズとピーターポール&マリーが同時に活躍していた。ボブ・デイランはフォークシンガーから、エレキギターを抱えて1965年に「ブリング・イット・オール・バックホーム」でロック寄りのアプローチを見せた。


「嘆きの壁」発表の翌年の67年、ジュディ・コリンズのために、2曲提供したあと、ニューポートフォークフェスティバルに出演しボブ・デイランを発掘した、ジョン・ハモンドの導きで、デヴューアルバムも発売するのだが、デイランの転向といい60年代の潮流が作家である、彼を巻き込んだとしか、考えられない劇的なものである。プロデューサーはザ・バンドなどを手掛けたジョン・サイモン。タイトルトラックは1,SUZANNE 2,MASTER SONG 3,WINTER LADY 4,THE STRANGER SONG 5,SISTER OF MERCY6,SO LONG MARIANNE 7,HEY THATS NO WAY TO SAY GOODBYE 8,STORIES OF THE STREET 9,THATCHERs 10、ONE OF US CANNT BE WRONG の10曲


驚かされるのは、やはり歌詞と詩を交互にバランスを取りながら行き来する密度の高い言葉の数々、つぶやく様な、コーエンのボーカルと相まってそれまでの、ポップミュージックに無かった世界観が提示されている。
フォークやブルースなどの、ルーツミュージックの影響が感じられない、あえて言うならば、中世ヨーロッパの吟遊詩人が現在にアルバムを作成した趣がある。


ーお前を愛したある聖者について聞いた、そこで彼の学校で僕は、徹夜で勉強した。 恋人たちの義務は黄金律を汚すことだと彼は教えた。そして、かれの教えは純粋だと僕が確信した時、彼はプールに飛び込んで自殺した。
彼の身体はなくなった、しかしこの芝生の上で彼の魂はたわごとを言いつずけているー  三浦 久訳   o
ne of us cannot be wrong



レナード・コーエンが生み出す詩や歌の界に根底には、キリスト教(ユダヤ教)が生みだした戒律、禁忌、自我、など日常生活の奥深くに潜んでいる人間の深層心理を歌ったものが多数ある。同時代に活躍したミュージシャンよりも、世代が10歳上でしかも、作家として積み上げてきたキャリアが他のシンガーソングライターと違った作品を生み出した。その後、スタジオアルバムを14枚発表している。


現在生きていたら、今年で90歳で私の父親と同い年である。彼も又、同時代人である。随分前にレナード・コーエンが京都を訪れていた時分に、NHKの教育テレビで、筑紫哲也のインタビューを受けていた番組を録画して観ていた記憶がある。その時の受け答えで、音楽を始めた理由を聞かれて女性にもてたかったと答えていて正直な人だなと感心した。

キャリアの後半には、禅に傾倒して作品は寓話のようなものからそれこそ、禅問答のようなものに変化していった。西洋人で創作を続けるアーティストのお決まりのコースではあるが、自分自身を空しくする禅の教えにコーエンがのめり込む理由も分かる(のめり込む時点で空しくないが)
ポピュラー音楽の世界内で変化したマイルス・デイビスやボブ・デイランやジェームス・ブラウンの様な例は幾例かはあるが、レナード・コーエンの様な転向の例はあまり聞いたことがない。もし、2024年90歳のレナード・コーエンが存在するならば、完全に媒体が死んでしまった、配信サービス全盛期のいまどういった転向を仕掛けるのだろうか?

私も曲がりなりにも転向者であるが、残りの人生じっくりと、人生の秋の夜長にレナード・コーエンの残りのアルバムを楽しんでみたい。


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