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空に星があるように  荒木一郎再訪 

10月15日から17日まで、所用があり東京へ出掛けた。
海外旅行の拠点地として、宿泊したことを除けば、30年ぶりの東京旅行であった。ここ最近、加齢も進んでいるので日本国内へ意識的に出かける事にしている。山手線に乗り継いで上野のビジネスホテルにスーツケースを預けた。

一番初めに向かったのは、国立。多数の大学生と同乗して国立駅で下車した。衆議院選挙のために、維新の党が大きなアナウンスをしていた。
私にとっての国立は山口瞳「月曜日の朝・金曜日の夜」であり、RCサクセションの「僕の自転車の後ろに乗りなよ」の国立である。
いつかは、訪れたいと思いながら、ようやくたどり着いたら還暦だった。


「月曜日の朝・金曜日の夜」は、古本で販売しているが、ハードカバの大きな本は見当たらない、以前、大阪中央図書館で失業時代に読みふけったのが、懐かしい。「僕の自転車の後ろに乗りなよ」をネットで検索するとSMAPの曲と提示される。同名異曲であって、ほっとしている、心の底から・・・
駅から、暫く歩くとロジーナ茶房が見える。ご主人であろうか?表のベンチで煙草を嗜んでおられた。
10月15日秋なのだが、初夏のような日差しが大学通りの並木に降り注いでいた。

大学通りを端まで歩いて谷保天満宮へ着いた。関東で最古の天満宮らしい。
山口瞳の随筆に度々登場するので、谷保という地名に愛着がある。天満宮には、必ず牛の像があるが、ここでは、座牛といって菅原道真公が亡くなった際、悲しみで座り込んでしまった牛が石造されている。昭和48年作でこれまた、山口瞳の随筆にドスト氏という呼称で登場する関敏氏の作品である。

翌日、江戸城(皇居)から神田神保町、靖国神社と散策した。想像上(私の頭の中)の東京と実際の場所を確認する答え合わせをしていた。山手線から、地下鉄を乗り継いだのだが、駅名などは、記憶していない。岩波書店、白水社、明治大学、日本大学、給地の固有名詞に度々出会った。ビートルズの武道館も2.26事件も三島由紀夫の割腹自決も東京裁判も全てが現在進行している、京都や大阪とは違った異質な時間枠を感じた旅であった。


歩き回ったせいで、疲れてきってしまい新幹線のこだまの中で配信サービスの音楽をザッピングしながら聴いていた。
インターネットのおすすめは時にベストな選択を施すことがあるのだが、今回は正にどこからか、降りてきたかのように荒木一郎の「空に星があるように」「いとしのマックス」が選曲された。東京の人はどういった捉え方をするのだろうか?私にとっては荒木一郎こそが、東京の人といった感性がある。敢えて言葉で表現すると「粋でいなせ」といった手垢にまみれたものになるのだが、英語でいうところの「セクシーと悲しみ」いったものか
いずれにしても、京都や大阪には無い文化・・・


1960年代は、ビートルズがいて、ピーターポール&マリーがいて、オーチス・レディングがいて、セルジュ・ゲンスブールいてカエターノ・ヴェローゾいる雑多な時代で荒木一郎は、1966年に現れて60年代と共に姿を消した。本当に見事にこの時代に刻印されてしまった。幸か不幸か荒木一郎は
この当時の荒木一郎のまま現在も存在している。


”何もかも まわりは、消えてしまったけれど 春に小雨が降るように
秋に枯葉が 散るように、 それは誰にもあるような ただの季節の
かわりめの頃” 「空に星があるように」
帰りの新幹線のこだまの中で深川めしの駅弁を食べながら、荒木一郎と
現在も歴史が続いている東京のことを考えていた。 


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