365日の質問053:みんなと分かち合いたいのはどんな喜びですか?
おはようございます。てっちゃんです。
マツダミヒロさんの「1日1問答えるだけで理想の自分になれる365日の質問」という本にある質問に、毎日自分なりの答えを投稿してます。
ミヒロさんの質問に答えのルールは
・どんな答えでも正解
・答えはでなくても正解
・どんな答えでも受け止める
の3つです。
きょうの質問は
「みんなと分かち合いたいのはどんな喜びですか?」
です。
これはもう「ご縁の喜び」一択です。
どんな喜びにも、その裏にはいろんなご縁があります。
一見単独でひとりで喜べているようなことでも(たとえば朝日が昇るのを見て嬉しい!とかでも)そもそも感動している自分がそこにいる、自分がそこにいるためには自分をこの世に産んでくれた両親とのご縁があってのこと、と考えると、
どんな喜びにも、その裏にはご縁があると言えます。
自分と出会ってくれてありがとうございます。
自分とご縁を結んでくれてありがとうございます。
これはお互いの喜びで、皆と分かち合いたい喜びです。
一緒に笑ってくれる喜び
しんどい時に話を聞いてくれる喜び
逆に、つらい話を打ち明けてもらえる喜び
ただ、言葉を発することもなくそこに一緒にいてくれる喜び
こころを寄せてくれる喜び
この世にあってくれる喜び
ぜんぶご縁です。
「カルマ」という言葉があります。
日本語では時々「業(ごう)」と訳され、「業が深い」とかいう言い回しでどちらかというとネガティブな使われ方をしたりしています。カルマと聞くと何やら前世からのどろどろした因縁のような。
カルマの本来のインドのサンスクリット語での意味は「行為」です。仏教の世界でカルマというときは、特に悪いことではなく、個々の行為がもたらすな結果を指します。カルマという言葉自体に悪い意味はありません。仏教ではすべての結果には、行為や行いの時空を超えた原因があるとされる因果応報という考え方をします。善い行いには善い結果が、悪い行いは悪い結果となり転生に影響を与えるとされています。(この善い悪いの意味は道徳的な善い悪いではなく、覚りの道として善いか悪いかなので少し注意が必要です)
とするならば、皆と分かち合える喜びがあるのも、過去生においてその原因があったということになりますね。もちろん今の困難な状況も同じです。
もちろん「禍福はあざなえる縄の如し」「人間(じんかん)万事塞翁が馬」で何がいいか何が悪いかは一概には言えませんが、そうであっても少なくとも今あるご縁に感謝できるのであればそれはすなおに、それをもたらしてくれた自分(?)の過去の行為、あるいは過去のご縁に感謝したいと思います。
ほんまありがと。おおきに。
おわり
週末、きょうも寒くなりそうです。ご自愛ください。
読者というご縁を結んでくださった皆さんに感謝!
てっちゃんでした