365日の質問011:失敗から何を学びましたか?
おはようございます。てっちゃんです。
マツダミヒロさんの「1日1問答えるだけで理想の自分になれる365日の質問」という本にある質問に、毎日自分なりの答えを投稿してます。
ミヒロさんの質問に答えのルールは
・どんな答えでも正解
・答えはでなくても正解
・どんな答えでも受け止める
の3つです。
きょう2回目のメルマガです。(昨日出し忘れたので)
きょうの質問は
「失敗から何を学びましたか?」
です。
昔、ぼくはしょっちゅう家では家族、会社では部下や周りに対して怒っていました。
正義感に駆られて。
自分は正しい、向こうが間違っている。間違ってるから正さないといけない。正しいことを言う俺は正しい。
言っても治らないときはさらにきつく怒らないといけない。
しょっちゅうです。怒ってる人でした。
ただ、自分でも、どうして俺はこんなにしょっちゅう怒っているんだろう・・・とはどこかで思っていました。でも、相手がおかしいのだから仕方ない、父として上司として怒るのは仕方ない、それが責任だろって。
でもその正義感、責任感というのがくせものでした。
正義感、責任感というのはその人の中にある「こうするべきである、こうあるべきである」という信念の体系です。
それは人によって色々違うしあってもそれ自体は悪いことではない。
でも、それを表に出して振りかざす、相手に押し付けるのはちょっと違う。
怒る行為は往々にして、無意識での自己意識の現れであることを知りました。(電車の中でやたら怒っているおっさんをイメージするとわかりやすい)
自己意識の作用は強烈です。自分が自分を感じれる効果もあり、自己効力感や陶酔感すら感じるときがあります。その快感感覚に対する中毒症状で、あんなに怒っていたんだと知りました。
やめられない止まらないかっぱえびせん状態です。
つくづく失敗だったなあって、思います。「かっぱえびせん自己意識過剰味」、ポリポリポリポリ無自覚に食べてました。
でもまあ気づけてよかった。気づかないといまだにえびせん食べながら怒れるおっさんをやってました。
あの怒りは正当だったのか、あるいは単に自己意識の暴走だったのか、わかる方法があります。
神様から「あなた、きょう寝て明日起きたら目が覚めなくてそのまま死ぬことになってますから」って言われたとして、怒ってたことを思い起こしてみると、それが単に時間の無駄だったのか、意味があったのか感覚的にわかります。
最後の時になって、あ~あのとき無駄な時間を過ごしたな~、人を嫌な気分にさせたな~、てことは極力思わずに済む生き方をしていきたい、と最近つくづく思います。
おしまい
あ、今週は3連休ですね。よいお休みを。
よっぴーでした
ごきげんよう