HITOSHI NAGASAWA|夢は第二の人生だ
Text|長澤 均
「ロマン的魂と夢」......なんと心惹かれる言葉か、と思うのだが、じつはこれはドイツ・ロマン派研究の碩学アルベール・ベガンの浩瀚な書物のタイトルだ。
とても分厚い本で、ドイツ・ロマン派を論じながらフランスの小ロマン派にも言及している。しかも書物全体を通して「夢」を基軸に。
そうそう、夢というならジェラール・ド・ネルヴァルは「夢は第二の人生だ」と書いた。ネルヴァル自身この一節がたいそう気に入ったとみえ、彼のいくつもの小説でこの一文が登場する。
そんな夢に拘泥する「ロマン派的心情」(ゲミュート)をうまくタイトルにしたのが、アルベール・ベガンの書物だった。
1937年、ベガン36歳のときのデビュー作。
申し遅れたが、ここから自己紹介を少し。
グラフィック・デザイナーを生業にしつつ、そもそも文章を書くのが好きで......いやいやちょっと違う。ただの文章なぞ書いてもしょうがないのだ。「美しい文章を書くのが好き」だったのだ。
そうこうしてワイマール~ナチに至る文化史本(『倒錯の都市ベルリン』)や、都市とデザインに関する本(『パスト・フューチュラマ』)を書いてきた。
最も売れたのは『BIBA スウィンギン・ロンドン1965-1974』。この本はスウィンギン・ロンドン期のファッションと文化を扱ったもので、ご存じの方もいることでしょう。
そもそも服が好きで、それも1930年代のスタイルが好きで、18歳のときから自分で立体裁断してそんな服を作ってきた。まだ周りが長髪、ベルボトムのヒッピー文化が残存していた時期に。
母はそれを見てファッション・デザイナーになりなさいと言ったが、当時は「最新流行」なぞにあまり興味がなかったので、そうはならずになぜかグラフィック・デザイナーになってしまった。
まあ、いまから振り返るとここで大きく道を誤ったという気がしないでもない。
最初に本を書いたのが28歳。ベガンより10歳若い。でも、デザイン仕事をしながら本を書き続けるのは難しい。本気で自分の書きたい本を何冊も上梓したのは40歳を過ぎてからだ。
山田五郎が僕の本をこう評してくれたことがあった。「美を論ずることのみならず、美しく論ずることが肝腎であると証明した」。
最近、この一文がよく頭に浮かぶ。そうか、自分が何十年もかけて追求してきたのは、まさに「美しく論ずる」ということではなかったか、と。
縁があって、こちらのブライオニー荘の一角でなんぞやテーマをつくって文章を書いていくことになった。これから文章にしていくすべてに通底するであろうことが「ロマン的魂と夢」。
ロマン派か否かではなく、いつの世でもロマン的魂をもって彷徨してしまう人というのがいる。
女優ジェニー・コロンへの一方的な恋に破れたジェラール・ド・ネルヴァルは精神を病み、晩年はザリガニに紐を付け、夜間、パリの陋巷を彷徨ったと伝えられる。
それは伝説に過ぎないが「ロマン的魂」の最たる顕現という気もする。ネルヴァルが最初に狂気の発作を起こしたのが1841年。彼が記すところによれば「現実の生への、夢の流出」がここから始まった。
現実が夢に流入するのは悪夢だが、夢が現実に流出するなら......狂気もいささか甘美な様相を帯びるかもしれない。
ロマン派だのデカダン派だの、デュオニソス的心性にこだわる気もなく、そんなヨーロッパ的落日は笑い飛ばしたく思いつつ、でもどこかで夕暮れを探しているようなテーマをここで書いていきたいと思っている。
夕暮れを探す? そう、いつの時代にもあるあの甘美で寂しい時間。昼と夜をつなぐ、とても重要な時間。でも、誰かが探していないとあっという間に消えてしまう時間.......
ガブリエル・フォーレを聴きながら、それをサンプリングして140BPMのダンストラックにしてしまうような軽やかさを持って、それを探しに行きたいのです。
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