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HITOSHI NAGASAWA|ロマン的魂と夢《4》|挙措とダンディズム
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〝ダンディズム〟というのは、いまではいささか手垢がついた通俗性の美学に成り下がっていて、あまりこの言葉を出したくないのだが、それでもこのところ観ていた映画や、あるいは19世紀初頭の手彩色銅版画などで、再度、ダンディズムとはなんぞや? と思う日頃である。
現代ではもっぱら〝服装術〟と勘違いされているであろうダンディズムをその〝挙措〟の側面から顧みてみたい。
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ダンディズムという概念がイギリスの一介の郷士、ジョージ・ブライアン・ブランメル(1778-1840)によって創始されたのはご存知のとおり。のちにボー・ブランメル(Beau Brummell)と呼ばれることになるのは、その洒落者ぶりによってである。
ブランメルの盛期は1800年代初頭あたり。フランス革命によって王政そのものが瓦解し、流行風俗が王侯貴族のものであった時代の概念が揺らぎ始めた時期である。そんな時期なればこそ、貴族ですらないブランメルが社交界を席巻し、摂政皇太子(のちの国王ジョージ4世)の寵を得て彼の服装術の指南者ともなれたのであった。
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ダンディズムの〝挙措〟を再現した映画、『紅はこべ』(1934)
ブランメルを人物造形のモデルのひとりにしたであろう映画が何本かある。サイレント期にはジョン・バリモア主演でずばり『Beau Brummell』(1924)が製作されているが、よく言われるブランメルの〝傲岸不遜〟な態度を醸し出しているかというと微妙だ。ただのロマンス映画になってしまったし、バリモアはこのときすでに42歳。薹(とう)が立ちすぎていた。
最も良い作品はフランス革命後の恐怖政治期、断頭台に向かう貴族を助けるべく暗躍した〝Scarlet Pimpernel〟と呼ばれる英国の義人をテーマにした『紅はこべ』(34)だろう。
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主人公パーシー・ブレイクニー卿(=紅はこべ)を演じたレスリー・ハワードの挙措が秀抜で、その態度や言葉遊びはブランメルとオスカー・ワイルドを参考にしたものに間違いない。
ブレイクニー卿は年頃30前後の長身のダンディで、首から提げるルーペを欠かさない。これで品定めするように人を見る。
姿勢は良く、少しのけぞり気味。顎を出し気味にして人を見下すような目線で話す。しかも韻を踏んだ喋りが好きで、笑いながら詩もよく口にする。
なにかと言えば、逆説的なもの言いばかり。これはワイルドを参考にしたものだろうが、映画では〝紅はこべ〟本人であることを隠すために真逆の性格を演じているという設定だ。
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舞台は1792年の英国、仕立て中の服を殿下がブレイクニー卿に評してもらうシーンがある。
卿は殿下をルーペで観察しながら「う~む、後ろは完璧... 前はまぁまぁ... 襟は... 悪くはない... 袖は... 何だね、その酷い袖は?」と言う。
殿下が「さほど悪くはないだろう」と応えると、仕立屋までが「殿下もそう、仰ってますし」と反抗する。
すると卿はこう返すのだ。「殿下は〝さほど悪くない〟と仰ったのだぞ... 〝さほど悪くない〟ものほど悪いものはないのだ」。
この言い方は、オスカー・ワイルドのいくつもの逆説的な謂いを思い起こすことだろう。
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さらに卿はこう加える。「これは私の評判には致命的だ。殿下のご趣味は私の指南と誰もが知っているから」。
なんという尊大さ。しかし、この台詞はボー・ブランメルが摂政皇太子の服装を指南していたという歴史的事実を下敷きにしている。のちに皇太子と仲違いしたボーはこう言ったと伝えられる。
「彼(皇太子)をつくったのは私だ。今更、つくり直しもできないさ」
逆説的なものの謂いは、不遜であり、尊大にも聞こえる。さらにそれは韜晦(ミスティフィカシオン)ともなる。妻マルグリットが「あなたは茶化してばかり」と言うと、ブレイクニー卿はこう応える。
「3音節以上の言葉は浮かんだためしがない」と。
これ以上の自己韜晦もあるまい。
ダンディズムが残した〝服装術〟以外のものがこれらである。軽妙洒脱さのなかの傲岸不遜、自己韜晦。総じてそれをダンディズムの挙措(ふるまい)と言ってよいだろう。
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では、映画ではなく服飾史でそれらを伝えてくれるものはないだろうか?
『紅はこべ』の時代設定と同じ時期、つまりは革命直後のフランスでは「アンクロワイヤブル」と呼ばれる洒落者たちが形成される(上図)。同時に興った女性の洒落者は「メルヴェイユーズ」である。
アンクロワイヤブルのスタイルは、極端に広いラペルのルダンゴト、首を隠すように高く巻かれたネッククロス、手には望遠鏡(単眼のオペラグラス)かルーペ。あるいは竹製の節くれ立った短いステッキ...
直前のロココ時代とは打って変わっての、奇抜でPunkishな装束だった。
ナポレオンか、アンクロワイヤブルか…
当時の銅版画が伝える彼らは、よくウェストコートの前合わせに片手を入れている。この仕草がいつから始まったのかをこのところ調べているのだが、どうにもアンクロワイヤブル以前が登場しない。となると1790年代に彼らが創始したポーズだったということになる。
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ちなみに画家ダヴィッドが1812年に描いたナポレオンの肖像画もこのポーズである。ナポレオンお得意のポーズで1807年にポール・ドラローシュが描いた肖像画でも、1812年にロベール・ルフェーブルが描いた肖像画でも同じポーズを取っているので、ウェストコートの前合わせに片手を入れるのはナポレオン創始のように思われている。
しかし時間軸を精査すると、どうもアンクロワイヤブルのほうがナポレオンに先んじていたらしい。
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ひとつの例が1798年から1808年にかけて刊行された52枚のファッション・プレート『Modes et Manières du Jours』の一枚。上図のようにコートに手を入れている。デブクールの画によるこのプレート集は1796年にシャルル・ヴェルネが描いた奇矯な伊達男たち「Les Incroyables」に比べると全体に大人しい。男たちが着ているものこそ革命後のアンクロワイヤブルに近いが、態度は控えめだ。
それに対し、ヴェルネは1810年から18年にかけて有名なプレート集『Incroyables et Merveilleuses』を刊行する。下図のようにこちらの男性たちのポーズはかなり不遜そうである。
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つまりはダンディズム特有の傲岸不遜さというのは、アンクロワイヤブル出現とともに、1790年代から1810年代にかけて形成されたらしいことが、朧気にわかるのである。
まさにボー・ブランメルが社交界を席巻した時期と重なるではないか!
フランス革命後の虚無的な時代精神がダンディズムを生んだ
ブランメルが賭博で大負けしたのが1814年。その2年後、フランスのカレーに逃れ、長く地味な余生を送ることになる。
ブランメルの社交術、その挙措の根底にはアンクロワイヤブルたちの傲岸不遜な立ち居振る舞いがあったのではないか?
彼はそれを社交界に持ち込むことで寵児となったわけだが、まさに体現していたのはフランス、イギリスという国を超えた時代精神(ツァイトガイスト)そのものということになる。
ダンディズムはブランメルひとりによって創出されたものではない。その基底に革命後の虚無的な感性から生まれたアンクロワイヤブルらの挙措があった。ブランメルはそれを〝ダンディズム〟と呼ばれるひとつの体系に仕立てあげたのである。
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長澤 均|グラフィックデザイナー・ファッション史家 →HP
装幀、CDジャケット、展覧会などのグラフィック・デザインのかたわらモードを中心に文化史にまつわる著作を多数執筆。『美女ジャケの誘惑』、『20世紀初頭のロマンティック・ファッション』、『流行服~洒落者たちの栄光と没落の700年』、『ポルノ・ムービーの映像美学』、『BIBA スウィンギン・ロンドン1965~1974』他。オンライン古書店モンド・モダーンを運営し、モード雑誌は1910年代からの『Gazette du bon ton』の完本を21冊、1920年代から70年代までの『Vogue』、『Harper's Bazaar』は180冊あまりコレクションしている。
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