東京輪舞を観劇して ②
東京輪舞 強い感動や、深い考察を。
PARCO劇場で3月10日から28日まで開催された『東京輪舞』を観た感想やら考察などをツラツラと書きます。
※1投稿に纏められず…まだ書きます🙇♀️
東京千穐楽を含め 計5日間6公演を観劇させていただいた舞台。
同じ作品もこの短いスパンで何公演も観るのは初めて、なのに全く飽きなくて、まだまだ観たいと今でも思っている。
最初の観劇は 3月11日月曜日のマチネ。
実は2人芝居というものを観るのは人生で初めての経験。
膨大な言葉を掛け合わせ続けることに驚き、当初の情報で得ていたより上演時間が長いことにも驚いた。
でも、オムニバス形式のストーリーが個々に特徴的で面白かったこと、2人がリレー形式で交互に2話分ずつ役を替えてバトンを渡すように登場する面白さ、終わってみると あっという間の3時間(休憩15分を含む)だと感じた。
推しの髙木雄也さんを観るという主目的があって選んだ演目だったが、清水くるみさんの演技の緻密な感じにも惹かれた初日。
髙木くんがミスってないこと(そもそも初見ではミスを分からないとも言えるけど)、台詞をちゃんと言えてることにも安堵した。
※圧倒的に保護者気分、、、🤭
2度目に観劇したのは 3月14日の木曜日。
この日は当初ソワレのチケットだけを持っていたが、急遽マチネも増やしマチソワのチケットを手にした。
自分自身がトータル約6時間の集中を強いられることに耐えられるのか、と少し不安が過らなくもなかったが、この日はまるで演じてないように演じる髙木くんとこの日もきっちりと演じ切る清水さんの魅力にハマってしまったので、見終わってみれば劇場から立ち去り難いほど、まだまだ「東京輪舞」の世界に身を置いていたいと思ったほどだった。
初回劇場に足を運んでから3日経過しただけなのに、14日のマチネの髙木さんと清水さんの演技がさらにパワーアップしていたことには、本当驚いた。
休演日も挟んだし、たった3日の間に何の魔法があったんだろう?
初回に観た演技も好きだったけど、この日は ほんっと素晴らしかった。
定規のようにキッチリ寸分違わないお手本のように見える清水さんの演技に意気揚々していて変化ある髙木くんの演技が、いい具合に重なり合って 見心地の良い舞台になっていた。
特に髙木くんは、演技がとてもナチュラルな感じになっていたことがすごく好きだなと思った。
前回(3/11)は 初日の翌日(2公演目)というのともあり緊張していたのかな?
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※以下、台詞はすべてニュアンスで正確なものではありません
②『妻』
「東京輪舞」には、妻という立場の人物が2人登場する。
一人目は大学院生と不倫をし始める建築家の妻であり、自身も売れっ子作家であるサヨさん
二人目は、俳優の妻であり 俳優の所属している会社の社長であるショウコさん
2人とも好きだし 結局のところ既婚者である私と共感点の多くあるキャラクターであることに間違いはないが、東京の千穐楽を観た後で 何度も何度も脳内で繰り返されてるのは 第9景 俳優(夫)と社長(妻)のシーン、ショウコさんだ。
これは不思議と 個人的な初日(3/11マチネ)と同じ現象。
初見で、傘をさしたまま俳優(夫)の地方公演先のホテルに帰宅する社長(奥さん)のインパクトは強い。
傘をさしたまま酔ってフラフラと部屋に入ってくる、そして 夜なのに サングラスをかけている。
違和感だ。
傘やサングラスが意味するものは?
おそらく深夜、ほろ酔いでまあまあご機嫌にホテルの部屋に戻ってきたショウコさん。
夫婦の世間話から一転、夫の身勝手な唐突の告白に 「世間の何人(なんぴと)からも 夫であり所属俳優であるあなたを守ってきたんだ」と涙するシーン。
妻の言葉には重みがあるように思う。
「もうその役目をやめていいよ」と優しくも勝手なことを言うジンさん(夫)に、「じゃあ誰が私の代わりにこの憎まれる立場をやってくれるの?」とショウコさんは半ば叫ぶように言う。
ショウコさんの台詞を一つ一つ聞きながら、気がつけば自分の目にも涙がいっぱい溢れてしまった、そんなシーンでした。
お茶目で誰からも愛されるキャラクターらしい夫であり俳優のフクモトジン。
世間にはマクベス俳優としてのイメージ(おそらくマクベスの勇敢さのこと)を期待されているという。
彼が最近好きになり恋仲になったのは、第7・8景の登場人物 インフルエンサー チャムこと音菜。
この子の印象は、おそらく超美形で可愛らしさのある中性的な男の子。そしてインフルエンサーなんていうのは時代の寵児。
どちらかといえば、音菜の方がジンさんの虜になってしまったように描かれているが、綺麗なもの(人に限らず物とから芸術とか)を愛する気持ちが強いのは舞台俳優っぽいな、という私の個人的なイメージもあり、果たしてアプローチをかけたのはどちらからだろうと思う。
そんな辛いならその立場やらなくてもいいよと、ジンさんは ショウコさんに言う。
それが優しさだと思っているのかもしれません。
でも、これは本当の意味の優しさではなくて、ショウコさんが叫んだように「あなたって本当に自分勝手」だと私も思うのです。
日本中の多くの妻の叫びのようでもあり、さらに所属タレントを守ろうとするショウコさんの計り知れないほどの苦悩が顕されていく。
夫婦の分かり合えなさの具合 が端的に上手く表現されていて、素晴らしくも哀しいシーンだと思いました。
夫婦生活なんて総じて夫の身勝手により、苦楽の苦の方が多いから…と私自身が思っているからかもしれませんけど、、、
そして、生活環境や生き様、年齢や性別などの違いで見えてるものが随分大きく異なる、深さのあるストーリーだなと思うのです。
入室してから 奥様(自分)と使用人(夫)というシチュエーションにして話し始める妻ショウコさん。
途中で「あーそういう設定ね」と夫(俳優)は納得したようなことを言うけれど、ここにはちょっとした皮肉(社長と所属俳優という立場)もこめられているのではないか?と思いました。
そして、理解したつもりのジンさんは、実はこのストーリーの中でずっと会話の本質は理解してない状況が続いている人物に思えてならない場面にも見えました。
傘をあえてさし深夜にサングラスをかけて室内に入ってきたショウコさん。傘やサングラスは世間の批判から身を守る道具の象徴に見えた。
(インフルエンサーチャムが顔出しをせず、マスクやサングラスをかけて顔を晒さないというのを意味するものと同義)
大雪の外、「千穐楽の後で良かったわね」というショウコさんの台詞からも、彼女は四六時中ジンさんのために存在してきたと感じさせられる。
そして、これは私の深読みかもしれないが…
彼女も昔は俳優を目指していたことがあったのかもしれない。
自分は夢を断念するしかなくて、その夢を夫であるジンさんに託し続けているのかもしれない。
また、ここのシーンで前景に出てくる 作家のショウジサヨさんの離婚のニュースをSNSでみたというシーンが描かれているのは面白いと思った。
ジンさんはショウジさんの作品に映画で出演したことがあるにも関わらず(作品名「星々の女たち」)、瞬時にこの離婚ネタに「誰?」と言う。
どれもこれもショウコさん頼みで、イマドキの言葉でいうなら「ジンさん『くさ』ww」というシチュエーションだな、なんて思っていました。
ここからは駆け足になってしまいますが、『アデュー 下僕さん』と手を振るシーンが好き(くるみさんの手の振り方も好き)だし、枕を投げるやり取りも好き。
律儀に枕を取って渡すというジンさんの優しさが返す返すも優しくしたい想いだけが前のめりの、本当の優しさとかけ離れたキャラクターに見えてくる。
ジンさんは マチソワで疲れ切ったオッサンなんだけど、あんな素敵な舞台を見せられた後で若い音菜は帰り難かったと言う。(第8景)
なんでこんなオジサンのことが好きなの?とジンさんの問いに「ジンさんは君恋人いないの?」と聞かないから…と答える音菜、すかさず「君恋人いないの?」と聞くジンさん。
ジンさんは音菜の新曲を聴いたといい、「2秒出とちった」「あの舞台を2秒も遅らせるなんてすごい影響力だよ」という。
私は個人的にジンさんは出とちらないと踏んだし、でも この会話からジンさんのモテ男ぶりがしっかり伝わるのが良いと思っている。
腕のマリア様のタトゥーにどんなに誓っても、百合の花言葉が言えて信仰心があったとしても、ジンさんは浮かばれない人。
なぜなら彼はマクベスだから。
他のどのシェイクスピア劇でもなく、マクベスを選んだのは、もしかして作家さんは”マクベスの呪い”を知っていてのことなんだとしたら、ものすごく挑戦的だと震える。
(これを読んだ皆さんは 観劇後、劇場を出たらマクベスマクベスマクベスと3回唱えて下さいね。不吉なことから逃れられます。シェイクスピアを学んだ人には割と浸透している迷信です😌)
あの『地獄を知ってるからね』からの一連の髙木くんのマクベス役を真似るシーンがすごく好き。(瞬きせずに観てしまいましたww)
そして、本当の地獄は知らないでしょ?ジンさん。って私は言いたい。
本当の地獄を背負っているのは皮肉なことにショウコさんの方ではないのだろうか?
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もう一人の妻は、大学院生との不倫に手を染め始めるサヨさん
売れっ子作家の彼女は、一つ一つの言葉選びが上手すぎるという役柄。
「このつまらないミニマリストの部屋に私を留めておけるだけの言葉でお願いして」
素直な気持ちをぶつけて「一緒に居てください」という学生マサくん に「5点!」と言い放つサヨさん。
「5点だからね5分だけ居てあげる」
常にサヨさんの方が上手(うわて)で続いていくこの二人のやり取り、会話のテンポが絶妙ですごく好きでした。
そして 性欲隠しきれないマサくんに対して、やっぱりこのまま友達のままいた方がいいんじゃないか、と言うサヨさん
「私はあなたに依存するようになって、つまらない自分に蓋をして、、、それを隠すかのようにまた誰かに依存して」
マサくんが自分の方がサヨさんのことをもっと好きだよ(流れからの予測)と言いかけたところを遮って、サヨさんがシーと指を当てる仕草から話し始めるこの台詞。
14日に観たマチソワで、この部分に涙が出てきて、おそらく強い共感すぎて泣けてきて…
あーそうだよなって、心にストンとこの言葉が入ってきて 涙が出てきたんだと思います。
当初予定していなかった18日のマチネではこの台詞とこのシーンを今か今かと待ち構えていたほどでした🤭
(前日夕方 劇場に電話かけて当日券予約するというシステムを初めて利用して追加チケ手にしてみました)
サヨさんは 劇中で20代後半の年齢設定だったけど、このセリフは40を過ぎたくらいの中年ゾーンに入り始めた女性という設定でも良かったかなと思ったほど、年齢を重ねていく女性としての怖さみたいなものを上手く言い表した言葉にも思えました。
恋愛にのめり込んでそこに依存して、それでも若さがある時はどちらに転んでも良かったのに、歳を重ねて自立したハズなのに、好きとか嫌いとか相手の言動に一喜一憂する自分なんて、客観的に見たら「なんてつまらない女」になってしまったんだろうと思ってしまう。
私はここまでの人生で不倫をしたことが無いんだけれど、道徳観が素晴らしいとかだけじゃなくて、恋愛なんかして「つまらない女」に成り下がりたくないというプライドが、実は根底にあるのではないか?と考えさせられた。
そして、この景ではすっかり若くて可愛らしさ全開のマサくんですが、その裏の面(一つ前の景)の家事代行・フィリピン人のジャスミン への有無を言わなさなかった態度を思い返してゾッとしてました。
1つの役が2つのシーンをまたぐことで、人間にある二面性がハッキリと際立つのが、「東京輪舞」の面白さだな、と改めて思います。
そして、サヨさんは意を決して不倫に足を踏み入れるのですが…
去り際、「修羅の道だよ。この道は…」というこの台詞がすごく好きです。
『道徳』の反対語は 『修羅の道』って辞書に書いてるんじゃないかな。
きっとそう。。。
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明日4/5から二日間 久留米で「東京輪舞」ですね。
福岡公演の無事を遠い空の下からお祈り申し上げます💞
PARCO PRODUCE 2024
東京輪舞(トウキョウロンド)
原作/アルトゥル シュニッツラー
作/山本卓卓 演出・美術/杉原邦生
出演/髙木雄也・清水くるみ
東京公演/3月10日〜3月28日 PARCO劇場
福岡公演/4月5日〜4月6日 久留米シティプラザ ザ・グランドホール
大阪公演/4月12日〜4月15日 森ノ宮ピロティホール
広島公演/4月19日 広島上野学園ホール