みんな誰かに掴まれたい
人見知りは甘え。そうわかっているけれど人見知りだ。
初対面の、とくに同い年の人とはどうやって話していいかわからない。1つでも年が上なら敬語が使えるのに、同い年だとそうもいかない。
仲のいい人への喋り方をそのまま初対面の人にするわけにもいかないけれど、距離を取りすぎても怖がらせてしまう。ちょうどいいさわやかな口調を目指したいのに、結局いつもの小さい声で口数が少ない、感情の読めない子になってしまう。
そしておとなしい子というイメージを貼られて完了。その人とわたしの関係は、自分が望んでるものと、なんだか違ったものになってしまう。もっと仲良くなりたいのにな。本当のわたしを知ってほしいのにな。なんて考えることはしょっちゅう。
でもやっぱりこれって甘えでしかないんだと思う。初対面の人との関係を構築するのに積極的になれないくせに、自分のことを相手が掴みきれてないと物足りなさを感じてしまう。
そしておとなしいイメージがつけられた私は、おとなしい子に対する対応をされはじめる。
でもそうじゃないんだけどな。もっとこうやって接してくれればいいのに。自分の中での理想の関係と、実際の関係が乖離していく。
自分の扱われ方が理想と違うと、その人は自分のことをわかっていないと自分勝手に思ってしまう。自分だって相手の性格をつかもうとしていないのに、自分を掴んで欲しいと丸投げしてしまうんだ。
なんて無責任なんだろう。わかっているけれど、なかなか直せないところ。こういうの、きっと私だけじゃないんだろうなあ。
人は誰かと知り合うときに、相手のことを知ろうとすると思われがちだけど、自分のことを知られたがっていることの方が多いんじゃないかと思う。自分はこういう人間で、変わったところもあるんだよ。ただのおとなしい子じゃないんです。だから私のことを分かって。私と仲良くするポイントを誰か掴んで。
こうやって思う気持ちを盛り込んで、一生懸命、注目されそうなエピソードや自己紹介をこなしていく。
何もしなかったら淡々と過ぎていく、何も起こさない、ベーシックな自己紹介だってできるけれど、誰かに掴まれたい私は色をつける。
それでもそんなに上手くは行かなくて、結局掴まれてないなあと感じながら関わっている人も実際は多いんだ。やっぱり偉そうに、掴まれてないって丸投げの感情を持ったまま。
本当は自分が掴ませてないってわかってるんだけどね。
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