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他者の感情から逃げること

他者の感情からの逃げと自分との向き合い方、感情の当てはめ方と言葉の紡がれ方について。

暗い気持ちになりたい自分が存在するときがある。とことん苦しみの底まで感情をそのまま突き動かして、悲しみの根本を知ろうとしている自分がいるのだ。当たり前だけど、このとき私は苦しくて悲しい。逃げてしまえば感じない悲しみを、あえて自分から進んで抉りに行こうとしている。そこから逃げれば、なんとなく実感のない時間が続いて苦しみに気づかないでいられるのに、逃げずに受け入れたいと思う自分がいる。

そういうことって誰にでもあるんじゃないかと思う。

自分で自分に問う。そして、今起こっている事実と、自分の感情を照らし合わせて、すこしずつ傷つきながら感情を受け入れていく。

でも私は、このとき浮かぶ感情は他者にリードされたくない。絶対に。

もしかしたら同じ状況の悲しみを、私は人と共感し合いたくないのかもしれない。自分の感情をリアルに感じて自分の言葉にして生み出したいのに、他者の感情が目に入ると、その感情に沿った、いわばレールの敷かれた状態で言葉を紡いでいってしまう可能性がある。私の感情が捻じ曲げられてしまうかもしれない。それが怖くていやなのだ。

感情というのは、自分で言葉にして初めて生まれるものだと私は思っている。思考の上澄みを、自分なりに言語化して初めてそれは感情となるように感じる。だから、自分の感情が理解できていない状態で、人の感情に触れたくない。

感情は言葉になってはじめてわかるのに、言葉が他者の感情のレールに敷かれたら、この感情は知らない間に勝手に変形して、違う色の絵の具と混ざっていくような、知らず知らずうちに他者の感情が混ざってしまいそうになる。

こうなると、さっきあの瞬間感じた私の純粋な感情が、他のものと混ざって知らない間に組み替えられて、咀嚼しきれていない言葉に当てはめられることで、この感情さえも自分のものでない、他人のもののように感じてしまう。

思いが深いのに、言葉を知らないから、他者の言葉に流されてしまう。本当は思いが強いから、納得のいく言葉で当てはめたいのに言葉を知らない。言葉にすればするほど自分の感情そのものとぴったり一致しないでどんどん乖離していくような気がして嫌になる。でも何か言わなきゃ、自分で発信しないと他者の言葉に自分の感情が占領されてしまいそうな気がして怖い。そしてその場で出したそれっぽい言葉を埋め込んで感情を紡ぐ、この言葉がそのままぴったり自分の感情ではないと知っているから葛藤が溜まっていく。


そこから逃げることで自分を守った。他者の感情から逃げて、自分なりの感情を固めてからでないと簡単にリアルな感情を見失ってしまうんだ。私はまだ、思考の軸が定まってないから人の感情から自分を守る。
まだ私は逃げ続ける。思考の軸ができるまで。
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エメ
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