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アダルトチルドレン卒業ヒストリー⑲「本音を言えた喜びと愛からの決別」執着はおしまい

わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
 
前回の記事はこちら


今日は⑲「本音を言えた喜びと愛からの決別」です
 
 
自分を変えようと、

自己否定でいっぱいになったり
落ち込んで動けなくなる日があっても、
自信がなくても怖くても、

勇気を出して
自分の意見はきちんと相手に伝えたり、

やる前から諦めていたことに挑戦したり

経験したことがないことに
チャレンジしていきました。





自分の元に生まれてきれくれた子供達の
心と体を大切にした
寄り添い子育てを試行錯誤したり。

自分も家族も幸せで、ありのままの自分で生きられる、
ニュートラルに捉える心を軸に
毎日を過ごしていきました。

そして、母親とお互い1人の人間として尊重し合い、
接することができるような関係になりたい。

そこを目標に一歩進んでは五歩くらい下がる。
止まることもなん度もありました。

これでいいのかな?
私は、本音に従った行動をしているのかな?

「すべき」や「不安や恐れ」をベースに考えてないかな。
自分を大切にできてるかな?
 
 
すっかりなくしてしまった感情を
取り戻そうと努力しました。

ひたすら諦めずにコツコツと
ゆっくり進んで行きました。






コーチングを受け、8年たち、
人生のステージが「マイナス」から
「0」になり、プラスに
なりかけたある日。
私は44才になっていました。

ある日、母親から電話が来ました。

出てみると、その内容は、
「〇〇(1番下の妹・三女)にもっと優しくしなさい。
もっと、大切にしなさい」
「子供の頃からakiは〇〇に優しくない」と言うものでした。


聞いてみると、
私が三女に買ったお土産の量が少ないと、
三女が怒ってるとのこと。

三女から、母親にクレームがいったそうです。





「お姉ちゃんは本当にケチ。
こんなものいらない!」
と言っていたそうで
買ったお土産が実家にずっと放置されているとの
ことでした。


誰も食べないお菓子がいつまでも置きっぱなしに
なっていて、邪魔なので持って帰ってと母は言っていました。


三女から買ってきて、と頼まれたお土産は
某有名メーカーのお菓子。

私は12個入りのものを購入しました。

 
入っていた個数が嫌だったのと、
(もっとたくさん入っているものが
欲しかったよう)

またそれまでのお土産もどれも少なかったり、
買っても来ないと怒っていると言うものでした。

三女は、自分はお姉ちゃんにいつも
たくさん買っているのに
お返しをくれない、と思っていたそうです。




確かに、
特別頼んだことはなかったのですが
お土産をたまに買ってきてくれました。

自分は独身だから、
お金がある程度自由になると言う理由で
気を遣って、私の子供のものも
買ってきてくれくれることもありました。

ありがとう、とありがたく受け取っていました。
そんな時は
お土産じゃなくても、私なりに野菜を届けたりしていたつもりでしたが、
妹の求めているものとは違ったのです。
私のお礼や気遣いが足りませんでした。

彼女の優しさに気づけませんでした。





私自身、その頃は、かなりお金に
ケチだったと思います。
三女や他の家族にもそして自分にも。

最低限のお金しか使っていなかったんだな、
と今なら思います。

結果、1番下の妹(三女)とはその後
幼少期からの散り積もった
お互いのすれ違いや色々なことがあって
疎遠になりました。





 
そして、この話のついでに

「私は妹を大切に思っている」こと、
「いじわるしているつもりは全くなく、むしろ全く気づかず、
お返しをしなかったのは、申し訳なかった」と話し、


「三女は思ったことをなんでもはっきりいい、性格がきついタイプ。
子供の頃面倒を見るのにとても苦労した
(母が外で仕事をし始めたので、小学6年生の私が
1年生の三女の面倒をみていた)」
ことや

「幼少期、親が厳しすぎて辛かった」
「期待に応えられなくて辛かった」
「頑張っても頑張っても、認めてもらえずゴールがなかった」
「でも、心から感謝していること」
正直に自分の気持ちを母親に伝えました。






それを聞いた母親は
電話の向こうで
ものすごく怒っていました。


お前をあんなに可愛がってあげたのに。
お前が生まれて、
やっと自分に味方ができたと思って、
あんなに大切にしてやったのに。
恩を仇で返すのか。
感謝するものだ、と。


そう言いながら、
何か物にやつ当たりしている
大きな音が部屋の中で響いているのを
電話越しに聞こえました。


そうです、子供の頃、母親は私を怒る時に
頭を叩くか背中を押す、

さらにいつも物に八つ当たりして
大きな音を立てて威嚇していたのを
思い出しました。



怖くて怖くて、本当に恐ろしかったです。



いつもぎゅっと目を強く瞑り、
ものが何かに当たる音を聞きながら
それが自分の身に降りかかるのでは、と
身を守ろうと無意識に体に力が入っていました。

大人になっても、家の中で何かがぶつかって響く音には
体に無意識に力が入っていました。


 

 

 

 


この電話で、やっと幼少期からの
自分の素直な気持ちを
伝えることができました。


母親が反発しようが、怒ろうが

(生きづらかった時の私は母親を傷つけるのが嫌で、気遣いすぎて
子供の頃から素直な気持ちは1回しか言えてませんでした)

どうでもいいんです。



自分の素直な気持ちを伝えることができた、

自分を誇りに思えました。



 



 

その後3年くらい経って。
相変わらず母は私や夫、息子(夫はいない時)を否定し続けましたが
なんとか関係を続けてきました。


ある出来事が起きました。


母親の母親(おばあちゃん)が
亡くなったのです。


その時の母親の考え方と

⚫︎0か100の思考
⚫︎被害者妄想
⚫︎人をコントロールしようとする
⚫︎私や親戚を敵か味方で判断
⚫︎私に対しては、ものすごい罵倒する、
命令口調になる、キレるのに
他人の前ではニコニコ穏やかで神様のような人柄
⚫︎自分が悪者にならないように
他人を巻き込んでカモフラージュする

私が大切にしたい考え方とは全く合わず、もう縁を切ろう、

と決めました。




大人になって、家庭を築いてる私に
いつまでも文句、否定、罵倒してくる
母や父。


父は、母が猛烈に「お葬式に行くな」と電話で叫びながら私を
支配しようとしている言葉を聞きながら、

「お母さんの言うことの聞けない、本当にダメなやつだ」と
言っているのが聞こえました。

この2人と関係を保つことは私にはもう限界でした。

 
 

 
  



父の仕事が忙しく、母が1人で子育てを
頑張っていたこと。
誰にも頼れる性格ではないこと。
弱みを見せられないこと。
忙しくても、頑張って、手作りのご飯を作ってくれたこと。
遊園地に連れていってくれたこと。
参観日に来てくれたこと。

母親自身も、子供の頃がとても悲しくて
辛かったこと。

 
1人の女性として眺めたら、
寂しくて、悲しくて、とても辛かったと思います。





 
 

私は子供の頃から
大切で大好きな家族を守りたい、
家族で笑顔で幸せになりたい。
悲しんでる母を助けたい。
ただ、そう願ってきました。

ですが、母は必要としていなかったんです。

だからこそ、

そんな思いへの執着、依存は終わりにしました。





 
 

縁を切ってから
格段に楽になり、自分の足で歩いているのを実感しました。


ものすごく重い荷物を
ずっと自分から背負いたくて背負っていたけど、
全部おろした感覚になり、
肩のあたりが不思議と軽くなりました。


やっと、本音の私を素直に生きられるように。


自分の夫、子供達と幸せに過ごしています。 


正直、生きづらかった時は
母親のことを大切な反面、憎んでいました。

ですが、今は憎んでいません。




今でもかけがえのない両親のことが
大好きで大切なことに
変わりはないです。

産んでくれたこと、
育ててくれたことに深く感謝しています。

両親がいなかったら、今の私は
存在していません。


ありがとう






次回は⑳「終わりに。「幸せを諦めない勇気」です。


いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます。


自分も人生も開花する
メンタルコーチaki




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メンタルコーチaki【私を咲かせ輝く方法】
35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。