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アダルトチルドレン卒業ヒストリー①「青空に誓った願い」

わたしの絶望だらけの暗黒時代から
心の自由を取り戻し、
等身大の自分のまま輝いて生きていくまでを
書き記すシリーズ。
 

前回の記事はこちら

 
 
今日は1日目。

「青空に誓った願い」


 
 

私の1番古い記憶は幼稚園の年長の頃。
 
 
5歳児で初めて通う幼稚園。
朝は父親が10キロ離れた園に
毎日職場に行くついてに車で乗せていってくれました。
 
 
お昼は母が作ってくれたお弁当の日もあれば
親から預かったお昼購入専用袋に入ったお金を先生に渡して
大好きなクリームパンを買って食べるのが楽しみでした。




 
基本、1人で過ごすことが多く、
外遊びが大好きだった私は
冬は外で毎日遊びキラキラしたものを見るのが大好き。


 
 
今もキラキラ光って虹が見えた氷のカケラを
ずーっと眺めていたのを
ワクワクした感覚と共に覚えています。
お昼休みをオーバーしてまで見ていました。



 
 
ある日お泊まり会があり、
父親が仕事を休むことができないので
バスに乗って母親と幼稚園まで2人で行きました。

 
大きな荷物を母が運んでくれました。

 
その時、手を繋いでもらったのが嬉しくて嬉しくて。
ギュッと握りしめたのを覚えています。



 
 
もう、その頃は妹たち2人がいたので
2人のお世話に忙しい母が
ワンオペで大変だったのを覚えています。
自分も寂しさでいっぱいでしたが、
寂しいとはいえず我慢して一人で遊んでいました。


 

私が手を繋いでもらったのは
この日が最後だったと
記憶しています。



 

 
幼稚園での帰りは、1人で市営のバスで帰っていました。
 
 
バス停のすぐそばの
写真屋さんの店内にある時計をこっそりとみて、
あと少しでバスが来るからのろう。と
1人で行動できる自分が未知の世界を冒険しているようで
ワクワクしていました。

この時はまだ幼稚園ですが
自分はできると(まだ言葉にはできていませんでしたが)
感覚的にですが自信があり、自分を信頼していたと記憶しています。




 
 
小学一年生に
 
小学一年生になる少し前。
左利きを治すため親が厳しくなりました。
 
 
母親もワンオペ3人育児に必死だったのと
私が苦労したら困るだろうと
左利きの矯正が始まりました。
 

左から右への矯正。
私の頭の中はそれまで理解していたことが
一気にわからなくなり、と同時に親が説明するたびに怒るので
教えてくれてることの意味もわからず
ただただ怯える毎日が始まりました。

 

それまで左でやっていたものを
右にするのに???で
何かを指示されても人より理解するまで
時間がかかりました。



 
 
先生の指示は、1つは聞けてもその後は全く聞けず、
パニックになったのを覚えています。


 
頭の中は、混乱と焦りと動揺の
数年を過ごすことになったのです。

 
そんな中でも鮮明に覚えている小学一年生の夏。 
 
 
いつも通り外で遊んでいた私は
大好きな青空を見ながらふと

 
 
「いつか、
この大好きな青い空と繋がってる違う場所や国から、
またこの空をワクワクしながら眺めるような大人になろう」

それが私のしたいこと✨
 
 
そう願い誓いました。



 
どこか日本の違う場所や
地球上のどこかの国で
一緒に行った人やその現地の人たちと一緒に
ワクワクしながら笑顔で空を眺めよう。
この空を通して
いろんな素敵な人たちと幸せに繋がりたい。 
笑顔で笑い合いながら、一緒に高め合いながら
自分の力を使って幸せな未来をつくろう。

 
 
今の私が言葉にすると、このようなことでした。
目をキラキラと輝かせていたと思います。


 

 
 
でも、この数ヶ月後に
人生での絶望が始まることは
幼い私には予測できませんでした。



 
 
次回は「打ち砕かれた心」です。
 
 
つづく

 
 


いつも最後までお読みくださり、ありがとうございます😊

自分を生きてくれなかったアダルトチルドレンママの
幸せマインド&望みを叶える

メンタルコーチaki


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35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。