Webデザイナーにさせたくなかった(と思われる)私がなれた理由を冷静に考えてみた。
『フレーズライン』として独立して2019年5月12日で5周年を迎えました。
2018年は事件目白押しで自分でもどうなるかとヒヤヒヤしてましたが、どうにか今も続いているのはありがたく思います。支えてくださっている方々、お仕事をくださる方々、そして未熟な私につきあってくださる方々。いつもいつもありがとうございます。
さて。今回は、これまで書こうと思いつつ、書かなかったネタをひとつ。
元々、Webデザイナーではなかった私が、なぜWebデザイナーになることができたのか。その理由について振り返りつつ、考えてみようと思います。
デザイナー志望で転職したけど、実際、割り当てられた仕事は別の仕事でした。
私は、最初からデザイナーではありませんでした。
地元の会社を退職して心機一転。松山の会社にデザイナー志望で入社した会社で割り当てられた仕事は様々な会社のサイトの更新・運用の業務でした(バナーやパーツを制作したり、1ページの小さな改修が主な仕事。Blogがまだ普及していない時代でもありましたので、手動でニュース更新もしていたり、サーバー管理やメールアカウント追加などのちょっとした業務などとにかく簡易的・小規模的なものはすべてこなしていました)。
理由は2つ。
ひとつは同時期に入社したもうひとりのデザイナー(女性)がDTPを経験していて、私よりもはるかに優秀だったこと。そしてもうひとつは、転職前の会社でECサイト運営・管理を3年担当した経験と知識の方が活用した方が良いと社長に判断されたことが原因だと思います。
当時、会社の規模もまだまだ小さかったので、個人の希望を叶えて内部がアンバランスになるよりも、個人が持っているスキルを有効に使って、会社を大きく発展させる方向を取りたかったのだろうと、今になっては理解はできます。
とはいえ、内心悶々しているものは消えることはありません。実際、転職も考えましたが、当時、対人・制作スキルの粗さが目立つ私が、この地方都市で自分が満足できる希望が叶えられる会社に巡り会えるのか、と思うと踏み切ることができず、また、一人暮らしのために貯金もはたいてしまったので所持金もありません。そんな状態で転職活動をするのは無理と判断し、諦めることに。
ひとまずは、与えられた仕事をただこなすことに集中。仕事上で自分が気づいた点、逆に他の社員の対応の仕方を見ての感想を家に帰って書き溜めて、私ならどうするかなどを考えたりして、チャンスが巡ってくるのを待つことにしました。
チャンスは巡る…しかし。
そこから3年後。デザイナーが産休に入ることになり、引き継ぐデザイナーを探さないといけないということに。ようやくチャンスが巡ってきた!と心が踊ったのもつかの間。社長が指名したのは後輩(男性)と新人さん(女性)でした。
もちろん、これについても理解はできます。
ひとつは制作速度はどうしても遅いこと(※1)。そして私の年齢。当時、私は30歳。彼氏もいました。一番結婚⇒出産に近しい立場は、女性社員の中では私であり、もし、産休に入る同僚に続いて私まで産休に入られると、人材を確保しないといけない負担やリスクを避けたかったのだと思います。
「もしかしたら潮時かなぁ…」とぼんやり思いつつ、また変わらない日常を過ごすことになりますが、数日後、事態は急変します。
もう一度、チャンスは巡る。
突然、デザイナーが緊急入院。出社ができなくなり、産休に入る前までに引き継ぐ二人に教える予定が全くできなくなってしまったのです。とはいえ、仕事を止めるわけにはいきません。どうにかこの穴を埋めようと社長と二人は奮闘しますが、うまく仕事が回すことはできず、混乱に陥ります。
そんな様子を傍目に見ていた私は、ある日の朝礼時に、社長に告げてみることに。
「社長、私じゃダメですかね?」
しかし。
「いや、オレがやる」
と、返答。
(却下されたか…)と思いつつ、その場はそのまま引き下がることに。
しかし、数時間後。
「オレがイメージ伝えるから、打ち合わせに行っている間にこのサイトのカンプ作ってくれ」
長年待ち望んでいたデザインの指名。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と思ったのは言うまでもありません。
本来の自分の仕事を切りの良いところまで対応した後、あれこれ悩みつつもなんとか制作。その後、帰社した社長に見せると、今までにない度肝を抜かれた顔をしていたのは今でも覚えています。
その後、他に溜まっている仕事を全部回してきて「これら全部片っ端からやってくれ!」と言われ、すべて対応。
これをきっかけに社長により直々に「Webデザイナーになってくれ」との言葉をいただき、正式に『Webデザイナー』と名乗れることに。
この日は本当に嬉しくて、平日なのに、帰りにコンビニで缶チューハイを買って(アルコールダメなのに)、ボロボロ泣きながら1人乾杯しました。
仕事の願いは仕事で解決するしかない。
今、思い返すと、社長は、私をWebデザイナーにはさせたくなかったと考えていたことは間違いないでしょう。それをひっくり返すことができたのは『現実にできることを見せたこと』『危機に直面した問題を解決したから』だったからだと思います。
もし、やりきれない感情を爆発させて「デザイナー志望で入社したのに何で?!」と訴えたとしても、軽くあしらわれるのが関の山だったと思います(社長をよくよく観察していると、単に「○○してほしい」「○○したい」と訴えたことは大抵あしらって忘れるパターンがほとんどだったように思います)。
結局、現状を冷静に分析した上で、仕事で仕事の問題や願いを解決するしかない。それに尽きると思います。
さらに思い返すと。
これまでにも『訴える』ということは、それこそ幼い時からやってはいたのですが、聞き入れてくれないことがほとんどでした。逆に聞き入れてくれたとしても、適当に聞いて放置されるか、私を(悪い意味で)利用しただけだったことが多かったと思います。
もちろん、訴えることは全く意味がない、とは言いません。ただ、状況を見て、効果的になるように、他のことと組み合わせたりするなど『使い方』を考えないと自分の首を締めてしまうと思うのです。
淡々と日々の努力を重ねることとチャンスを確実に掴んでものにしようとするスキルに勝るものはない。
いつも謎に思うのが、願いを叶えようと躍起になるほど、なぜかその到達地点から遠ざかってしまうことが多いこと。これはあくまで私の考えですが『躍起になる=自分に無理を強いている=自然に出せる力ではないから』ではないかと思ってます。
自分に無理をしたところで、できることは歪になるし、もし、たとえ叶えられたとしても無理をしている時点で自分のキャパを越えているわけですからどこかで崩れてしまうからではないかと私は考えています。
だとすると、やはり自然な状態でできるようになるには、日頃の小さな積み重ねが大事と思うのです。
実はデザイナーになった後、(話は割愛しますが)いろいろきっかけがあって、ディレクションやマーケティング、お金についての勉強など、とにかく機会さえあれば勉強もするようになりました。
「デザイナーなんだからデザインの仕事に集中しろ」と言われることもありましたが、元ECサイト管理運営の仕事をしていた感覚もあって、単体だけの仕事だとそれだけだと将来デザイナーとしてもダメになるとは心の中で思っていました(そういう意味では、更新・運用の仕事は適応していたのかもしれません)。
フリーランスなった今、コツコツいろいろやってきたことがいろいろいい形で芽生え、チャンスも以前よりもつかみやすくなったことは自分としても実感できています。
今から10年前の2009〜2010年頃にやっていた仕事と2019年にやっている仕事や常識・考え方はずいぶん変わりしました。使っている機材やツールも変わりました。いつまでも同じような仕事をしていてはしっかり歩むことはできないなとこれまでの人生を振り返ってきても思います。
これからも常識も考え方も変わってくるでしょう。どこまで自分が追いかけられるかわかりませんが、せめて冷静な心で状況判断をする力は保って、相手が求めているものを理解して形にできる力を培いたいと思います。
過去にやったことは、良くも悪くも未来に生きてきますから。
あ、デザイナーになってからもあれこれ苦難は続きますが、それはまた別の機会に書くことにします。
後日談。
過去話で登場したデザイナー候補の新人さんと後輩(男性)についてのその後に書いてなかったので補足。
新人さんはその後、退職。家業に戻り、現在は『師範』としてご活躍されている模様。そして、ありがたいことに退職後も私のことを心配してくださったり、今でも食事などご一緒させていただいてます。いつもありがとうございます(深礼)。
そして、後輩(男性)は、現在も在籍してオールマイティな人材として活躍しているようです。私がデザイナーになってから2年後、自分の存在の限界を感じて退職したので、デザイナー人材確保のリスク回避の意味では、社長が判断したことは正しかったと思います。