中本晃太郎31歳使命を自覚した
さっきまで、ライティング・ギャラクシーのマインドアップ会だった。
そこでの相談を通じて、僕は自分の使命を自覚したので、書き記しておく。
使命というよりは、何の課題を乗り越えるために生まれてきたのかがわかった感じだ。
①中庸を取る
1つ目の課題は中庸を取ることだ。
中庸を取るとは、どちらにも偏らずに真ん中を取っていくことだ。
理想や夢を追い求めて夢想家になるのも、
理念を捨てて、拝金主義になるのも、
これらはどちらも片方だけに寄っている典型的なケースだ。
大事なのは、理想もお金もあきらめないことだ。
そこで生まれる苦しみ、葛藤と向き合う。
向き合って向き合って向き合った先に、成長がある。
僕は、性格上すぐ片方に振ろうとする。
なんでそうなのかをとよぴーに聞くと、「そのほうがラクだから」とのことだった。
耳が痛い。そうだった。僕はいつも安きに流れそうになることがある。
自分の意見を言わずに、相手に意思決定権をゆだねる。その方がラクだから。
しんどいと感じる人とは関わらない。その方がラクだから。
過去のトラウマを理由に、チャレンジしない。その方がラクだから。
とんだ甘ちゃんだったな、と。
僕の名前は中本晃太郎という。
少し前に自分の名前のネーミングストーリーを考えたときに、こんな風になった。
中庸を大事にするって言っちゃってるんよ。(笑)
だから、自分がこの極度にすぐどちらか片側に振ってしまう特性も、神様が与えてくれた課題なんだなって思った。
そのためには、胆力を鍛えることも必要だし、聴く力を磨くことも必要。
禁欲して、己を律することも、アンガーマネジメントで感情コントロールをすることも必要なのだ。(安きに流されないってそういうこと)
まとめると、中庸を取ることを学ぶために僕は生まれてきたんだと思う。
②父性愛を表現する
ハッキリいえば、僕は人当たりが良いとよく言われる。
親しみやすいし、話しかけやすいから、よくいろんな人から話しかけられるし、道を聞かれることも多い。
これって自分の努力で身につけたものでもなんでもなくて、気が付いたら備わっているものだった。
だから、自分なりに寄り添った対応なんかもどちらかといえば得意である。
でも、これはあくまで母性愛。
ときには厳しくする愛も必要で、こちらは父性愛という。
僕はこの父性愛が苦手だ。厳しくできない。
自分が得意なことをする方が良いとずっと思っていた。
これもちがった。
母性愛だけに偏ってはいけない。もっと父性愛を磨かないといけないのだ。
先に挙げたネーミングストーリーだが、実は名前の中で一文字だけ、意味づけしていないものがある。
「郎」だ。
これだけはどれだけ調べても、頭を働かせても、「男性」を指し示す以外に言葉が出てこなかった。
今ならはっきりわかる。
自分は父性愛を学ぶために生まれてきたのだと。
だって名前がそう言ってるし。
男性を示す究極の文字なんよ。ごまかしがきかない。
だから、もしネーミングストーリーを変えるなら、こんな感じになるだろうか。
なんか、、
すごいしっくりきた!!!!!
使命を自覚したからには、やらねばならぬ。
相手がいかに品上がるように、自分が学びながらできているか?
常に逃げずに問いかけ続ける。
目の前の人をしあわせにし続ける。
これが僕の使命なんだ。
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