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最近、妻の元気がない。

夫である僕としては、結構これが寂しかったり。

理由はいくつかあるんだけど、一番は転職に対する不安なんだと思う。

妻は僕と出会ったときからもともと言語聴覚士だった。

病院でリハビリをする仕事である。

国家資格ということもあり、就活では100社くらいから逆オファーを受けるような、まさに異世界の住人だ。(ふつうの4大卒の就活生は100社くらい受けて1社受かるもの)

妻も楽しく仕事していたけれど、そんなときに大きな事件が起きた。

脳出血だ。

当時、妻は27歳。

先天性の脳動静脈奇形により、脳内の血管が破裂。

意識を失い、救急車で運ばれ、およそ7時間半の手術ののち、なんとか一命を取り留めた。

意識が戻ったのは3日後。

運動機能を司る小脳が出血したことにより、妻は構音障害となった。

口を動かすための筋肉をうまく使えずに、発話が難しくなった。

もっと端的に言えば、言葉が言いにくくなったのである。

意識が戻り、妻が発する言葉のうち9割近くがよくわからなかった。

あの衝撃は数年経った今でも忘れられない。

それでも僕は妻から離れようとは思わなかった。

むしろ、「生きててくれてありがとう。」と思った。


入院中、リハビリを重ねて妻はどんどん復活していった。

でも、以前のように大好きだった歌を歌えるようにはならない。

前のように一般的なスピードで話すこともできない。

それは仕事にも影響する。

妻は言語聴覚士の資格を持ちながら、言語聴覚士として職場復帰することはなかった。

担当したのは事務仕事。

それでも病院の中では、お役に立てる仕事だ。

実は、僕は妻をなんとかして働かせてくれている今の職場に感謝していた。

術後、目が覚めたときに、妻は働けたとしても、就労支援所みたいなところぐらいかもと本気で思ったからだ。

だから、今まで通り、雇ってくれることに心から感謝した。

妻も最初はそれでよかったんだと思う。

でも、いつしか妻はそんな現状にたいして、ある思いを抱くようになる。

それは「やっぱり言語聴覚士として働きたい」ということだった。

構音障害のせいで、100%以前と同じような業務はできない。

それでも、妻の一念は、「言語聴覚士として働きたい」だった。

それほど仕事が好きだったんだろう。

でも、今の職場ではもうそれは叶わない。

それならいっそのこと、、

ということで、最近とうとう転職を決意した。

心の底から湧き上がってくる本心にずっとずっと蓋をしていたけれど、その蓋がパァン!と音を立てて弾け飛んだ。

そして、始まった転職活動。

近所に良いところを見つけて、妻が見学に行った。

妻から話を聞くと、とても嬉しそうに見学の様子や内容を語ってくれた。

仕事の話であんなに楽しそうにしている妻を見たのは何年ぶりだろう。

少なくともここ1〜2年はなかった。

応援したいと思った。

しかし、その職場は正社員ではなくパート勤務だ。そして、1日の勤務時間も極端に短い。

つまり、月収は下がる。

兼業も可能だが、時間帯も微妙でできるかどうかも怪しいところだった。

楽しく働けるならと僕も最大限応援したかったが、僕も独立してまもなく、世帯年収がこれ以上下がることは現実的に厳しかった。

悔しかった。

資本主義を、時間が限られていることを、何より稼げていない自分の実力不足を呪った。

だから、現実を見た。

今時給換算するといくらなのか、文字単価はいくらなのか、受けている案件の価格は適正か。

たぶん人生で一番向き合ったと思う。向き合うのが遅すぎたのかもしれない。

ようやく自分の立ち位置を把握し、自分がいかに実力不足か、妻の助けを借りていたかを悟った。

恩返しをしたかった。

僕がライターになれたのは間違いなく、妻のおかげなのだから。

だから、既存クライアントさんに単価交渉をしたり、業務を絞ったりした。

自分が不得意なことをするのは稼ぐ上では効率が悪い。

得意なことで、エネルギー消費が少ないことにリソースを割けば、お金にはなりやすい。

それでも基本的に要望通りにならないことが多かった。

理由は明白で、僕のスキルが足りていないからだ。

これが現実か、と悟った。

ただ、現実面に振りすぎてもダメだと身に沁みてわかる出来事があったので、きちんとご縁を大切にしていく。

でも、妻には我慢してほしくない。

心から楽しく、一念を叶えられるような職場で働いてほしい。

僕の葛藤は続いている。

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