ライティング・ギャラクシーに入って3ヶ月が経ちました。
ライティングギャラクシーに入って、3ヶ月が経った。
正直めちゃくちゃ濃い3ヶ月間で、こんな濃かったのは、学生時代に山籠もりの修行をしたのと同じくらい。
いや、それ以上に濃い時間を過ごさせていただいた。
結論、ライティングギャラクシーに入って本当によかった。好きだ。愛している。
ここまで、僕を導いてくださったすべての人に心から感謝申し上げます。(特に、ぬんさん、たくさん、だいちゃん、とよぴー、かずやさん、けんたろうさん、ギャラクシー生のみなさんには非常にお世話になりました。)
僕がライティングギャラクシーに入ってよかったと思うのは、
収入が上がった
ライティング力が上がった
案件数やクライアント数が増えた
とかそんな枝葉の部分ではない。
もちろんそれもあるのだが、それよりも大事なことを教わった。
それは、自分自身が課題から逃げずに、向き合うという姿勢だ。
とよぴーやだいちゃんの姿を間近で見て学んだこともあれば、ときには厳しい愛あるお言葉を頂戴したこともある。
もうその時は本当につらくて悲しくて腹が立って、「俺はなんでこんなにダメなんだろう?」「なんで道を間違えたんだろう」「消えてなくなってしまいたい」と本気で思った。
ゆにわ塾に触れ、樟葉でカッコよく生きる人たちと相対し、その生き様に触れたとき、自分はなんて腑抜けだったんだと落ち込み、樟葉に行けなくなり、ライティングギャラクシーからも距離を置いた時期もある。
もうこのままダークサイドに堕ちてしまおう、その方がラクだと自分をごまかしつづけ、他人を、なによりも自分自身のことを傷つけた。
それでも、人からは、「すばらしい理念をお持ちですね」「誠実ですね」「お仕事をお任せしたいです」と言われてしまう。
苦しかった。
本当の俺はそんな人間じゃない。裏ではこんな悪いことをして、人を傷つけて、病気のせいにして、なかったことにしている。
人からどう言われるかではない。自分がどう思うかだ。
自分のことは自分が一番よくわかっている。
課題から逃げていることも、ラクな方向に流れていくことも、自分の弱さも。
文字通り、”ぜんぶ”だ。
一番しんどかったとき、「もうこれ以上苦しみたくない」との思いから、自分で命を終わらせようとした。
死ねば楽になれる、と本気で思った。
台所へ向かい、しまってある包丁を取り出し、首に突き立てた。そのまま頸動脈を切れば、出血が止まらなくなり、やがて失血死するだろう。
家には誰もいない。誰も異変に気付かず、救急車も呼ばれず、じっくりと身体が冷たくなっていく感覚を感じて、死んでいくのだろう。
そう思った。
意を決して、包丁を首に動かす。
・・・
微塵も動かなかった。まるで誰かが僕の手を押さえつけていたかのように、ピクリとも動かせなかった。
数分力を入れ続けてもどうしようもなかったので、僕はとうとう諦めた。
包丁を投げ捨て、床に突っ伏して赤子のように泣いた。
生きたい。
生まれ変わりたい。
自分にまっすぐに、嘘偽りがないように生きていきたい。
ゆにわの人たちのように課題から逃げずに立ち向かいたい。
本気で変わらないとダメだ。
そう思い、意を決して、妻にすべてを話す。
文字通り、”すべて”である。
自分がこれまでやってきたこと、ずっと妻に言えなかったこと、本当は言いたかったけど心配をかけたくなかったこと、死のうとしたけど死ねなかったこと・・・
話すまでには、何度も言葉がつまり、声が出なくなった。
こわい。離婚を切り出されたらどうしよう。子どもたちと離れ離れになったらどうしよう。
本当に怖かったが、僕は一歩を踏み出した。すべてを話し終えるまでに1時間以上はかかっていた。
でも、言えた。すべて。
ひとしきり話を聞いた妻からは、「生きていてよかった。」と泣きながら言われた。
その顔を見て初めて「生きていていいんだ」と心から思った。
弱くていい。強くなくていい。
がんばらなくていい。カッコよくなくていい。
こんな生き方が、本当はかっこよくて、真に強いことなんだと学んだ。
それからだと思う。
すべてが好転し始めたのは。
既存のクライアントとはより深い関係値になったり、離れたいたクライアントとはまたお仕事でご一緒できたり、自分が理想とする案件に出会えたり、実は営業が得意で好きだということに気付いたり・・・
挙げだすときりがない。
でも、すべて共通しているのは、自分の課題と向き合った結果だということだ。
課題とどう向き合うか?
僕はひとつ乗り越えた。僕の人生にとって大きな大きな一歩である。
これからは何があっても大丈夫だ。
妻がいる、ゆにわがある、ライティングギャラクシーがある。
なにより、嘘偽りのない自分がいる。
まだまだ僕の人生は始まったばかりだ。
これからも、邁進していきたい。