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コラムとやらを書いてみた。
追悼
自分の思いや感情が抑えられなくなった時、文字を書くことで、発散され浄化されるような気がしている。でもこの一週間何も書けなかった。
4月にとったチケットは発作的に破り捨ててしまった。思考が止まった。情報はシャットアウトした。SNSも見ない、それらしい記事が目に入ってはとばす。誰かの追悼文なんてもってのほかだ。私は認めない、そんな現実は受け入れないと心に誓う。
他の事を一生懸命考えた。やりたくもない単調なゲームを必死にやった。なんの感情も動かない音楽をひたすら聴く。涙が流れる…YOUTUBEでお笑いを見る。どうしても逃げられない。これでもかって鼻の中がキューンとなって目から汗があふれだす。
悪い夢。
大人になって声をあげて泣いたのはいつぶりだろう。
泣いてしまうから、頑張った。
くじけそうだから、頑張った。
苦しいから、頑張った。
無念だろう、悔しいだろう、まだまだやり残したことがあっただろうと思うと突然の別れはあまりにも残酷すぎる。
目に入るつば九郎をすべて隠した。携帯、iPad、PC、グッズも目に入らないよう、引っ張られないよう片づけた。豆苗見ただけで泣きそうだ。でもいるんだよ、消しても消しても記憶のあちらこちらに…
名もない男性が人生をささげたこの30年は【中の人】なんて言葉で簡単にかたづけてほしくない。命を吹き込み、つば九郎という人格を誕生させた。いい人生だったと笑ってあげなきゃいけないのかな。でもね、私はそうは割り切れないんだよ。人を楽しませる、喜びを与える人間はそのパワーを吸い取られていくんじゃないかって思うんだ。
昭和の大スターたちがそうであったように、みんな短命。
幸福な王子という寓話を思い出す。
自己犠牲の上に私たちはあぐらをかいていたのだろうかなんてことを何度も何度も考える、勝手な罪悪感で押しつぶされそうだ。
物事にはいずれ別れが来ることはわかってる。でもそれは、先生の意志で神宮で引退セレモニーを行い、普通のつばめに戻りたいと言ってマウンドにヘルメットを置いて盛大な拍手の中、退場する。
長谷川氏に「つば九郎~男の流儀~」なる本を書いてもらう。
るーびーを片手にしれっと客席でファンと一緒にヤクルトの選手たちのヒロインにそっとダメ出しをする。そんな将来像を勝手に描いていたんだよ…
人生にはどうしようもなく耐えがたい別れがあることをいまさら知った。
先生、本当にごめんなさい。まだまだ思い出になんかできないよ。ありきたりなお別れの言葉なんか言えない。寂しいよ、本当に寂しいよ。
私たちもいずれはそちらへみな行きます。こんなに人のために生きた人生だもの、先生は極楽浄土に決まってる。そこはきっとコンプラもない、好きなだけあーだこーだ大好きなプロ野球を語ろうよ。私も地獄へ行かない生き方をして必ず、見つけだします。
そしてスワローズを絶対に勝たせよう、どんなてをつかってでも。