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小説 コレクターズ・ハイ 感想

村雲菜月さん著 講談社「コレクターズ・ハイ」を読んだ。村雲さんの作品は先に「もぬけの考察」を読んだことがあるので2作目

どちらの作品も、私には登場人物が無機質に感じられた
何と言うか物質との境界が曖昧な感じがあり、生きている温もりが薄い印象がある

本作の主人公は「なにゅなにゅ」と言うキャラグッズの新商品が発売される度に収集に走る昨今の推し活ブームを体現している若い女性

いわゆる大人買いも惜しまないし、クレーンゲームが得意な人に特殊な交換条件で欲しいグッズ景品を取ってもらったりもする

長く消費が低迷している昨今、それでも自分の趣味や好きな物・人と言った「推し」には財布が緩む心理を利用して「推し活」と言うブームが作られたように思う
でも、推し活商法はブラインド商品と呼ばれるランダム売りやゲーム・クジでの景品としての展開、特別な時期・場所でしか買えない限定販売等、購買意欲を煽るだけ煽りながら獲得する為の手間も経費もかかる仕組みになっている

この小説で面白いと思ったところは、主人公が、そうしたグッズを企画制作する側の人間であること

なのに自分の推しキャラグッズに対しては自室を圧迫するほど買い続けるし、自分より収集力の高い人に嫉妬が生まれたりもする

主人公の目線で出会う人物達は、何らかのこだわりがあり、どこか歪んでいる
ある一部分にのみ執着が高くて本来の人同士の繋がりが希薄
そこが、私には無機質で温かみの無い物質のような感覚を受ける

もっと言うと、登場人物の何人かの性別が、私には判断が付かなかった
男女どちらとも読める人が何人か居た
今まで、登場人物の人物像が曖昧なままなことが、あまり無かったので不思議な感覚だった

ただ、主人公が若い女性であることと、主人公が嫌悪感を抱くと人物の性別がハッキリ分かった
それが、とても興味深かった

そして、一途に好きを貫いているはずが常に誰かの行動と比べて自分の立ち位置を確認しているように見える、主人公の一種の息苦しさのようなものが終始感じられた

時折、推し活界隈に見え隠れする現象でもある

それだけ見えている世界が狭いことの現れでもある気がする

本来、推し活は自分の好きの賜物であって、基本は自分ペース
例え公式からでも、誰かに煽られて行動するのは、もはや自分の軸からブレる
ブレれば歪むのは当然
自分の領域を侵されれば穏やかでは無くなる

世界は広く、そこだけが世界の全てではない

例え好きなものでも、単一で自分の世界を構築すると、自分の世界はドンドン狭くなる

だから、隣の芝が青く見えるし何個買っても満たされなくなって行く
奇しくも本作の主人公も、単一キャラを無限に収集しているファンに対して「同じものを何個も集めるのには労力がかかる。そこにゴールはない。ゴールのないことに執着していると、どんどん周囲に対して鈍感になり、好きなもの以外のことが考えられなくなる。」と気が付いている

それなのに、自分は同じものを複数買うことはない…と別次元のつもりでいる
でも、読んでいるコチラには五十歩百歩に見える

やはり、自分のことは見え難いと言うことかも知れない
そうして、我が身も振り返り、自分の楽しめるペースが大事だと自戒も込めて、改めて推し活について考える機会となった

時間もスペースも金銭も全ては有限
足るを知る…は、自分の立ち位置を知ることでもあると思う
自分の立ち位置は、自分が満たされてこそ正確に測れるのかも知れない

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