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哈尔滨旅行记(ハルビン旅行記)③:最終回
前回、前々回の続き
3日目
本屋:众创书局
最初に行ったのはショッピングモールの中にある本屋・众创书局。円柱状の本棚が店の中心にあり、その周りをらせん状の階段を昇りながら本を選ぶことができる。途中には会員制の自習スペースや、カフェもあって結構洒落ている。 中国の本屋は結構内装を凝っているところが多い印象がある。本の装丁も日本に比べて素材等含めて豪華なものが多い。読まなくても飾れるくらい素敵なものもある。
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ただ、この本屋は構造上の問題なのか本が少なかった。見せることに重きを置いているのか、表紙を見えるように陳列している物が多く、階段の構造上脚立が置けないからか、高い棚には本が置かれていない。本末転倒である。
ちなみに中国の歴史の本を買った。ソフトカバーで500ページで68元(約1,360円)。日本より本は安い。ただ、文庫本はない。
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電光看板があって街みたいになっていた
中央大街
哈尔滨の観光名所の一つ、中央大街へ。
ハルビンを代表する歴史的な大通りで、ロシア統治時代は「中国人街」(ロシア語でキタイスカヤ)と呼ばれた。南北の直線の通りで全長1450m・幅21.34m(内、車道の幅は10.8m)。南端は経緯街(十字街)、北端は松花江防洪記念塔。
ロシア統治時代の建築物が数多く残され、「東方のパリ」とも称される西洋風の街並みが一直線に北の松花江に向かう。道をはさみ、欧州風建築物が建ち並び、その数は71棟。ほかに、ルネサンス式、バロック式、折衷式など中国でも珍しい多種多様な市指定建築物が13棟、保護建築は36棟ある。現在の花崗岩で敷き詰められた道は1924年に建設されたものである。その後も改築が重ねられ、現在は中心通りは歩行者天国となり、その後の中国の都市の通りの手本となった。
行ったのは月曜日だったが、平日だというのに人が多かった。角々にロシアのお土産屋があり、妻がマトリューシカを買うというというので数件立ち寄ったが、結構店によって値段が違う。出来が違うのかもしれないが、ぱっと観た限りどれも同じように見えた。ただ、店によってはドラえもんやパンダなどの変わり種も扱っていて、それはちょっとおもしろかった。
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記念写真を撮っている人多数
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平日なのに人が多かった。
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一本となりの通りに、昨日行ったユダヤ教会の一つ前の旧教会があったので立ち寄った。
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この時点で13時くらいだったのだが、暑さ(29度だった)のせいで体調が悪くなり、一旦ホテルに帰った。
夕ご飯
哈尔滨はロシアに近いということで、ロシア料理を食べることにしていた。が、予約した店についたらボルシチはあったがピロシキはなく、よく観たらヨーロッパレストランだった。
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昨日一昨日と、东北菜(東北料理)は分量が多いことはわかっていた。しかしこの日は洋食である。とはいえあまりたくさん頼まないようにしようとした。結果……
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一人だったらこれだけでワイン1本いける量だ。
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脂が乗っててうまくてでかい。
哈尔滨は洋食も分量が多かった。後でデザートを頼もうと思っていたが、もう無理だった。
散歩
あまりに満腹だったので、店を出た後付近にあった公園を散歩。
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4日目:最終日
午前中の飛行機だったので、起きたらすぐに空港へ。空港内で朝ごはんを食べた。
前日の夜もホテルの上階の水音に悩まされ、睡眠時間があまりとれず結構フラフラ。
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おわりに
哈尔滨はいいところだった。車は飛ばしているが、街はのんびりとした雰囲気もあって、自然豊かな北国というせいもあるのか、私は実家のある札幌を思い出していた(札幌の車はトバしてはいないけど)。またいつか、何年か何十年かしてから、もう一度訪れてみたいと思った。きっと大きく変わっているだろう。
中国で旅行に行くときは、毎回その地域の博物館や美術館に行くようにしている。外にずっといるというのがしんどいというのもあるが、その地域のことを、写真や映像、物を実際に見て感じることができるからだ。ただ、中国で地域の歴史に触れるということは、必然的に日本との戦争についての記述を眼にすることでもある。今回行った博物館や展覧館にもあった。別にだいだい的に喧伝されているわけではないが、場所によってはより詳細に書かれているのだろうと思う。
戦争は和平交渉が成立し戦闘が集結すれば、終わったとみなされる。そう記述される。とはいえ、それでなにもかも終わるわけではない。戦後補償という問題もあれば、感情的な部分についても当然にしこりが残る。終わったのは戦闘行為としての戦争であって、出来事としての戦争は過去になること無く未来にまで影響していく。私たちは否応なく過去のあらゆる出来事の影響の中で生活をしている。外形上終わったとされる出来事であっても、その影響は消え去ることはない。別に戦争に限らず、どんな過去の出来事であっても。
今回の旅行中、タクシーの中で妻と運転手が話している時に、「彼は何人だ」と聞かれた妻が「日本人だ」と応えると、運転手が無言になってしまうということがあった。目的地につくまでずっと無言だった。哈尔滨では何度もタクシーに乗ったが、このようなことは1度だけで、観光中も私たちは終始日本語で会話をしていたが、類似の出来事は起こらなかった。あるタクシーの運転手は、日本語で「気をつけて」と言って笑顔で見送ってくれていた。
なぜ彼が黙ってしまったのか、本当のところはわからない。もしかしたら、単に話の最後に聞いただけなのかもしれないが、たぶんそうではないだろう。正直なところ、上記のタクシー内での一連の出来事で私は衝撃を受けた(当該会話程度は私もリアルタイムで理解できていた)。プラスもマイナスもなく、シンプルにショックだった。私はその瞬間に、恐らく生まれてから最も近い距離で、過去の戦争に直面したのだと思う。
私は個人としては、自分が、自分が生まれる前におきた戦争の責任を負っているとは思っていない。それは不可能であるし、安易に責任を負うのは無責任である。他方で、私は日本という国家に国民という資格で属しているが、その国家が戦争という出来事に対する負債を負っていることを否定するつもりはない。負債というのは賠償という直接的な問題とは別の意味だ。国家は出来事と同様、継続するものであり(国家自体も歴史的な出来事だと思うが)、それは影響し続ける。
私に今できるのは、彼の沈黙に対して、その沈黙に、私なりに向き合うことだと思っている。