深田恭子の教え:「スイミング」の歌詞について
今となっては「初めて買ったCDは?」という問いは若い世代には失笑者かもしれない。かつては「初めて買ったレコードは?」に対して「レコードってw」と思っていたが、時代が変われば立場が変わってしまう。
私が人生で最初にCDを買ったのはもう20年以上前の、中学生の時だった。たまたま遊びに来ていた祖父母からもらったお小遣いで、どこでだったかわすれたが深田恭子さんの『煌めきの瞬間』を買った。
なぜこのCDを買ったのかというと、当時聞いていた西川貴教さんのラジオで、深田恭子さんのラジオ番組をネタにしたコーナーがあって、それが面白かったらだが、この経緯で行くと本来西川貴教さんのCDを買うべきでは無いかと思う。が、細かい動機は覚えていない。好きな人には申し訳ないが、今聞いても特に何の感想もなく、ファンアイテムだなぁくらいにしか思わないのだが、初めて買ったCDということもあってか、たまに聞きたくなる。
深田恭子さんはその後も何枚かCDを出しているようなのだが、後述する「スイミング」を除いて記憶にない。むしろなぜ、『煌めきの瞬間』を買ったのかのうほうが、自分自身に対して謎である。
まあ、それはいいとして、「スイミング」の以下の歌詞は、初めて聞いたときから今まで、私の中で「教え」として何度も反復されている。
女の子は比べられるのが大キライなの
中学生だった当時、「そうか、女の子というのは比べられるのが嫌なんだなぁ」と、女心の一端をわかった気になっていたかどうかはもはや記憶の彼方だが、このフレーズはずっと頭に残っている。
このあと1番では「たとえ、どんな友達とでも」、2番では「たとえ、マリリン・モンローとでも」と続く(今読むと、2番の例えにはおじさん感があるなぁ)。
他の部分の歌詞も読むに、「他との比較ではなく自分自身を見てほしい」というどーでもいい内容なのだが、「比べられるのが大キライなの」というのは傾聴に値する。
「女の子」に限らず、人を比較すること、厳密には比較していることが相手に伝わってしまうのはあまり良くないと私は思う。比較するということは、優劣を付けるということだし、「同じだ」ということを言っても、じゃあ交換可能だいうことになる。
「Aさんよりもあなたのほうがよい」と言う人は、自分のことも別のだれかと比較しているのではないかという疑いを生む。自分が褒められているときはいいが、なにかネガティブなことが起こったり考えたりしているときにそいういう人に接するとしんどい場合もある。
だから、他人に肯定的なことを言うときには先述の歌詞を思い出して、比較ではない言葉を探して伝えるようにしている。「Aさんよりもいい」ではなく、「ここがよかった」というように。
これが果たして相手にいい効果があるのかどうかはわからないので、自己満足なのだが、個人的にはこっちのほうがいいと思っている。
と、ここまで書いて、さっきわざわざ取り消し線で消した「どーでもいい」という印象が、「どーでもよくはない」ことに気がついたのだが、「女の子ってこういうものなのよ」という感じがなんかアレなので、そのままにしておく。
今聞いても歌が……、いやなんでもない。