続「大正のゆめ🎈秘密の銘仙ものがたり」
皆さんこんにちは みさこです
今回は前回紹介しきれなかった
「大正のゆめ 秘密の銘仙ものがたり」展の続きになります
前回は、女学生がターゲットでしたが
時代と共に働く女性に移っていきます
ーーーーGEOMETRIC 幾何学模様ーーーー
働く女性に向けた銘仙は、新しい潮流を汲んだ
クールな幾何学模様
女給さんが着ていたものも銘仙が多く、彼女たちには大胆な色柄が人気でした。下駄はヒールになっている珍しいものです。エプロンのリボンは帯の中に入れて、後ろ姿は帯を見せることが多かったようです。😍
夢二と銘仙
大正時代を代表するアーティスト「竹久夢二」挿絵画家として活躍する一方
大正3年に開いた「港屋絵草紙店」でキュートな図案の半襟、千代紙などを販売し若い女性に大人気となりましたーーーー
夢二が描く女性の着物は、華やかな柄は少女に、大人の女性には縞や格子など小さな柄が中心でした。
♪日本とアメリカを結ぶ浅間丸🚢
浅間丸は太平洋の女王と呼ばれた豪華客船
出航記念の絵葉書や写真をヒントにこの図案が
つくられたのでしょうか?風になびく色とりどりの紙テープと
羽ばたく鳩。大海原へ出航する豪華客船。後ろに描かれているのは
ホノルルのようです
♪戦後すぐの「白鳥の湖」が夢とロマンを与えてくれた♪
敗戦からわずか一年後「白鳥の湖」が全幕日本初演されました。
観客は幻想的な公演に感動し異例のロングラン公演となりました。
少女たちの習い事にバレエが登場してきます。少女漫画でも数多く取り上げられバレエは大ブームに。女優、岸恵子や十朱幸代もバレエを習う少女でした
幼児の可愛いエプロン姿
現代では見かけない幼児のエプロン姿ですが、昭和初期は男女とも
着物の上にエプロンを付けてご飯を食べたり遊んだりしていました。
食べこぼしや泥が着物に付かないようにするためです。
南国への憧れ
戦前、約8万人の日本人がミクロネシアとその周辺の島々に移住しました
第一次大戦に勝利した日本は南洋諸島を統治することになりインフラ整備や
学校を作るなどミクロネシアの日本化を進め、移住を推薦しました。
今回の展示会で銘仙を提供してくださった
銘仙コレクターの桐生正子さんは
学生時代を京都で過ごし
北野天満宮で開催される骨董市「天神さん」に
行くのが楽しみだったそうです
厳選して集めた銘仙の数は600枚を超え
関連書籍や生地見本、葉書やポスターまで
銘仙を理解するためのピースとして収集されたそうです
そこで分かったのが、当時銘仙が時代を写す鏡であったこと
そして大衆の為の着物だったからこそ銘仙は面白く
時代が変わる中で少女たちが抱いた希望や憧れが銘仙に
織り込まれました
また銘仙の展示だけでなく杉浦非水や高畠華宵が銘仙の
図案を描いていたことやデパートの戦略なども紹介しています
戦後、銘仙は粗末な着物として扱われることが多かったそうですが
いかに流行の最先端にいたのかが良く分かります
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ここからは、夢二美術館の常設展のご紹介です
~~~楽譜表紙絵の世界~~~
I セノオ楽譜
セノオ楽譜の表紙デザインには、杉浦非水・北沢楽天、斎藤佳三も
携わりましたが夢二の装幀が圧倒的に多く、夢二の評判がセノオ楽譜の
人気を支えた一面もありました
外国の歌謡
セノオ楽譜の発行は大正時代の音楽文化に大きな影響を及ぼし
、クラシックから流行歌まで、西洋の歌曲幅広く紹介しました
数多くの楽譜の表紙絵を手掛けた夢二は音楽を視覚化し
イラストレーションの形式で、近代の日本人に洋楽を橋渡しする
一翼を担いました
Ⅱ 童謡楽譜
大正中期以降、童謡を「子供たちのための芸術的な歌」と位置付けて
<童謡運動>が発生しました。大正末期には、旧来から歌い継がれた
民謡と一線を画し、新しい時代の民衆の民謡を作ろうという詩人たちの
運動から生まれた新民謡が隆盛し詩人、北原白秋・野口雨情・西城八十
作曲家は中山晋平が活躍しました
Ⅲ 民謡楽譜
大正8年、作家の中山晋平は、詩人の野口雨情らとともに
実施した民謡調査の旅を契機に、地方民謡の制作を開始しました
最後までお付き合い頂きありがとうございました
銘仙の世界お楽しみ頂けましたか?
コレクターの桐生正子さんの
女学生や働く女性の「戦闘服」という言葉が印象的でした
夢二の描く楽譜の世界も当時の人々を楽しませて
くれていたのでしょうね~
では、素敵な秋をお過ごしください