神話なの?ミステリなの?とにかく凄すぎる『ザリガニの鳴くところ』ディーリア・オーウェンズ
アメリカ、60年代、ノース・カロライナ州の湿地にて男の死体が見つかった。一体誰が殺したのか?容疑者とされる、湿地の少女カイアの成長譚と、ミステリーが組み合わさったベストセラー、ディーリア・オーウェンズの『ザリガニの鳴くところ』早川書房、2020年。
ジャンル的にはミステリーなんだろうけれど、神話とも言える詩的な雰囲気溢れる本。
凄すぎて、感動を伝えたいんだけど、うまく形容出来ない本というのがある。この本はまさにそんな一冊。ジャンルを越えて、語りの美しさ、一文一文に込められた多義的な魅力が素晴らしい。
物語は、湿地で殺された男の真犯人を巡る謎解きパートと、湿地の少女カイアの成長譚を過去から追いかけるパートが交互に繰り返されて、真相に迫っていくミステリである。が、単にミステリとして読むのにはもったいない!
主人公はノース・カロライナ州の荒れ地扱いされる湿地帯に住む、カイア。ホワイト・トラッシュ:貧乏白人と周りから呼ばれ、地域のコミュニティから孤立している。
父親は飲んだくれで暴力を振るい、母や、兄弟姉妹は過酷な生活から逃げ出して、一家離散となってしまう。このとき、カイアわずか8歳、行くあてもなく、1人で家に留まることになる。
しかも、住んでいる家に食料もなく、燃料もない。強制的にサバイバル生活になってしまう。地域からは、貧乏白人と偏見の目で見られ、助けを求める相手もいない。物理的にも、心理的にも孤立してしまう。
この圧倒的な孤独の中で、何を支えにカイアは生きていくのか?
それは湿地の自然の美しさと、家族の思い出なのである。自然の中で、孤独に苦しみながらも、自分の中に生きる活力、知恵を見出していくカイアのみずみずしい力強さが読んでて眩しい。
また、少数ながらもカイアを助けてくれる人々もいる。その中のある1人のおかげで、カイアは学校をドロップアウトするも、読み書きをマスターする。その後は独学で湿地を研究し、個人的に作成した博物的な資料を学術資料の価値が認められて、結果的に経済的に自立していくことになる。
読書の喜びを覚えていく下りなど、本を読むのが好きな人なら誰でも頷いてしまうだろう。特に印象的なのは詩作の楽しみを知り、好きな詩を暗唱したり、自分でも吟じてみる下りだ。エミリー・ディキンソンが言及されて、アメリカの詩人に詳しい人ならニヤリとしたくなる箇所もある。
孤独ではあるけれど、自然の中でカモメや沼に向き合うとき、カイアの創作活動は活発になり、実に生き生きとしており、創作活動それ自体のパワーが魅力的に描かれる。
そして、もう1人の主役と言ってもいい、湿地の美しさ。ネイチャーライティングの伝統とでも言うか、1950年代から始まる話にも関わらず、この作品の世界は神話のような時間を超越した雰囲気を醸し出している。
沼に生える草木、打ち寄せる波、縦横無尽に生きている昆虫、動物、鳥たちが作り出すダイナミックな景色は、真犯人を巡る謎とか、カイアの成長譚抜きでも絵になってしまう。
人間社会の時間の尺度では図れないスケールの大きさ、善悪で判断できない、自然の凄まじい力強さが迫ってくるのだ。
もし自分が山の中に住んでいたら、海の、川の側に住んでいたら、深夜にでも1人でふらりと彷徨ってみたくなる。怖いけどもその美しさに酔いしれてみたくなる。自然崇拝の感情が一気に身近になる語りは、ぜひ読んで味わって欲しい。
闇の深さ、打ち寄せる波音、動物の繁殖の仕方、鳥たち、そしてその大自然の中に生きるカイア自身も当然、社会の一員というよりは神話の登場人物のようにある種超越した雰囲気を纏い出す。
ただ、そうは言ってもカイアは生身の人間だ。孤独であるのを宿命と半ば引き受けつつも、それでも他者に惹かれて、関係を築こうとする。もし、ホワイト・トラッシュと呼ばれない環境であったら、ここまでカイアは傷つかなかっただろう。
その事が如実に分かるある事件を経て、物語は決着へと走りだしていく。そして最後の最後にきちんとミステリとしてゴールを決めてしまうんだから、お見事というか、なんというか。
ミステリと言いつつ、社会から拒絶されてしまった少女の見事な成長譚としてでも魅力的なのである。それでいて、自然描写も素晴らしいという、本当にもうなんだか凄すぎて消化不良で再読必死な本である。
もし、重厚で神話的な話をお求めなら、面白いミステリをお求めなら、少女が自力で生きていくビルディングロマンスを読みたいなら、ぜひとも『ザリガニの鳴くところ』をご一読を。映画も今年公開されるから、先に読んで比較も楽しいかも。