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「虎に翼」59話から見た児童養護について

戦災孤児となり悪さをして、警察に捕まったミチオを引き取る猪爪家。

●母親の財布からお金を盗もうとしたミチオ。「そんなはした金持って出ていくより、三食食べられて、温かい布団で眠れる方がいいんじゃない?」と諭される。
●英江の息子たちに陰口を言われ複雑な気持ちになるミチオ。
●弟、直明もミチオの力になりたいんだ、と申し出るも「偽善者面するな」とミチオに見透かされ「はっ」とさせられる直明。
●「優しくされることになれていないだけなのよね。」ミチオの心情に寄り添おうとする母。
●元夫、直道の服を着せてやると直道を思い出して涙ぐむ花江に「俺が替わりになれないかなぁ」と歩み寄る。
●そこへ花江の息子たちが「お母さんに触るな!」とばかりにミチオになぐりかかった。
●タイミング悪く登場した母親、それまで必死にかばおうとしていたが「まさか、、、」とミチオに疑いの眼差しを向けた。「やっぱりそうか!」と人を信頼しようともがくミチオは裏切りられた!と怒りをあらわにして、猪爪家から脱走したのだった。

 以上が6月19日、この回のあらすじである。胸の痛くなる回だった。
ミチオの振る舞いはまるで、過去の自分を見ているようだった。

深く傷つけられたせいで、周りの人がみんな敵に見える。
そんな態度は取るべきではない、頭ではわかっているが、信用が出来ないから安心も出来ない。疑心暗鬼や不安や妄想が渦巻きモヤモヤばかりが頭に浮かぶ。
だから相手を何度も何度も試す。自分が安心出来るまで。
陰口を聞いて、猪爪家はみんないい人だが、自分は邪魔者なんだ、受け入れられてないんだ。
混乱と複雑な思いを処理出来ず苛立つミチオ。


 コミュニケーションの観点から見てみる。
独断と偏見の勝手なイメージだが、この状況は、
虐待されて育った子供と、それを受け入れて行こうと努力する里親や養護施設のスタッフたち、との関係性、、、のようにもイメージ出来た。

猪爪家は、突然降りかかってきたことに対する変化の対応に頑張っていたし、ミチオも一人で葛藤し戦っていた。悪者はいない、時代のせいであるだけ。現代でさえ、お金持ちも貧困層も関係なく突然の変化に人はストレスを感じ、慣れるのに物理的時間がかかる、それだけだ。

個人的に驚いたのは、同じ時代に生きて、同じ場所で、戦争を経験すると言う同じ境遇にある、年下か近しい年代の相手に対してさえも、自分らの置かれた安心した状況が脅かされそうになると、人間はストレスを感じ脅威を感じ、普段穏やかな人間でも拒否反応を露骨に示す。
この演出はドラマだから、に限ってはいないと思う。実際にわかっていてもどうしようもなく仕方のない事なんだろうと思った。

ではそのような場合、コミュニケーションの技や考え方を知っていたらどうか。

①まず、突然起こってしまったこの状況にみんな戸惑いを隠せないでいること、動揺しているということに気づく事。共通認識として理解すること。
②そして、お互い傷つけあわぬよう、思いやりのあるやり取りを心がける。
(植物を育てるように手間暇かける、会話を多くとったり良い言葉使いをする。良い言葉で接する。)
③お互いの置かれている状況を思いやり、ミチオは三食食べられる環境や猪爪家の温かさに感謝をし、当たり前だと思わず、投げやりな態度や言動、試す行動は控える。相手を見ながら歩みよる。←双方がわかっていれば苦労しない。片方わかっていても、片方はわかっていなかったりするというのがネック。

、、、、、というのが、理想の波風立てない上手な関係構築、と考えてみた。
しかしこれは極めて優等生的で、①はともかく、これを表面的に長い事真面目にやって無理していたら、お互いやっぱりいつか病む、かもしれず、ドラマのようにミチオが思い切り大人への不信感、敵対心、怒り、わかってもらえないつらさ、を気を遣わずに、本音で本心を言って付き合って何度も相手を試し脱走し苦しみながら理解しあって行く、というのが現実であるし、(余談だが、里子を育てた経験のある人から実際に聞いた話。そんな苦しみ抜いた経験から心理学に目覚め公認心理士になった知人。)

つまり、苦しいけれど本音でつきあう事で本当の感情をぶつけ家族になって行く、人間的な成長がある、人間ドラマだなぁ、、、なんてというのもどこか都合のいい理想の話のような気もしている。
当の家族には想像に絶する現実があると思う。
人間関係に答えなどないのだろう。

ついでに言うと最近はSNS普及によるものなのか、本音で、、、なんて有り得なくてどこかふわぁっと、やんわりとオブラートに包むような言い方、が
浸透しているように思う。
本音を隠して上手に付き合うのか、本音でぶつかりながら付き合うのか、やんわり付き合うのか、その場、その時、相手にも寄りけりでカスタマイズ、チョイスして、、、ってやれたら人間すごいかも。
相手に合わせた話し方を変えることはAIに出来ても、関係性を判断して話す内容を変える、なんてAIには出来ないんじゃないかなぁ、と思うのだが。
人間関係の在り方も、時代に左右されているしなぁ。(昭和、平成、令和ミックス~こんなドラマがありましたが。。)

ただ、言いたいのは全く知らない、のとコミュニケーションの取り方、としてこういうのがある、と知識と理解の上で関係性に努力し続けるのとは違うと思っている。
お金をかけなくても出来る事!

最近は里親制度、養子縁組制度が活発化しているように思う。以前よりは。
これも関係者から聞いたことだが、
赤ちゃんが欲しい、
子どもが出来ないから欲しい、
女の子が家にはいないから、女の子が欲しい、などなど。
受け入れを選択するのは大変な決断だ。
しかし受け入れ側都合で物を考えてないか。
「子どもを受け入れる」というのは徹底して子どもに寄り添った、受け入れられる側の子どもの視点にたって欲しい、との事だ。
どんな子であっても受け入れる覚悟があるか?

自分も周りも幸せになる、より良い人間関係を、一緒にがんばって行きましょう。

お読みくださり、ありがとうございました。



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