天使の聖戦
あらすじ
小閑木ユキは交通事故により両親を亡くし、天涯孤独の身となる。自身も生死の淵を彷徨ったが、その時から霊視能力が開花し始めていた。そしてある日クラスメートの白黒アクから話しかけられる。
「ご両親に会いたい?」
アクは自分が天使だと言い、聖戦に勝てば願いが叶うという。
そしてユキは、天使たちが己の願いをかけて戦う聖戦に巻き込まれていく――。
第一話
数年か数百年、不定期に起こるそれは次期上位天使を決める天使達の戦い。
天使たちが現界に降り、人間社会の中に紛れつつ行われるその戦いは天使の聖戦と呼ばれる。
上位天使になることで得られる恩恵は多々ある。目玉といえば神様が願いを一つ叶えてくれるそうだが、キリエには魅力的には映らなかった。神様に叶えてほしい願いなど、とうに失っている。聖戦に参加する気なんてこれっぽちもなかった。
しかしその栄誉ある候補者に選ばれてしまったのも、彼女が中位天使の中でも古参にあたるからだ。
面倒なことになってしまったが、なってしまったのだからしょうがない。
まぁなんとかなるだろうと、彼女は現界へと降り立った。
そんな楽観的なキリエだったがは現在、窮地に陥っていた。
いや、これは窮地と言ってもいいのだろうか。
とある都市のありふれた進学校。その保健教師として聖戦のために現界の社会に降り立ったその日。
キリエは天使だと思われる者に声をかけられた。
それは本来、ありえない事であった。
聖戦の際、天使達は降り立つ場所は、ある程度の距離を置かれた配置となる。全世界に散らばっているうえに、前回の聖戦の件もある。
まさか初っ端からライバルを蹴押す動きを取る天使などいない。そう鷹を括っていたのだ。
そもそも、この高校にいるという事を知っているのは、この地域を管轄する下位天使しかいない。
つまり、油断した。
「あの子、情報を流したわね……」
この高校に来る前に一度会った下位天使に毒づき、キリエは近くの教室へと滑り込む。
全生徒がすでに帰宅した夕暮れの教室。その教壇に立ったキリエは大きく深呼吸をした。
状況を整理しよう。
つい先程、数分前の出来事だ。
物事を円滑に進めるべく各教諭に挨拶回りを終え、校舎の玄関を通過していた時。
そこで、一人の女生徒と出会った。
可愛らしい少女だった。この高校の制服を身に纏う彼女は、誰かを待っているのか、靴箱の側に立っていた。
今日出会ってきた生徒達となんの変わりもないただの少女。
特徴があるとすれば、悪魔の羽が装飾されている黒い鞄を背負っていることだろうか。
これくらいのオシャレならこの高校ならうるさく言わないだろう。
そんな事を考えながらその少女の前を横切る。
「さようなら―」
他の生徒達にも幾度となくした挨拶。
笑顔を貼り付けて、愛想を振り撒く。
「ねぇ、先生。聖戦のお手伝いしてあげよっか」
キリエの足が止まる。
少女の口から出た聖戦という言葉。聖戦という言葉自体は現界にも存在している。
現界における神話や創作においてよく使われる言葉だ。
一般人に天使は認識できず、まして聖戦などというものが行われている事は知る由もない筈だ。
天使同士で行われた戦闘によって現界に起きた破壊や怪我は、全て事故として処理され隠匿される。
しかし万が一この少女が天使として、あるいはそれに類する者として聖戦という言葉を使ったのだとしたら。
この目の前の少女が、キリエの敵として現れた可能性を捨てきれない。
「聖戦? なんの話?」
貼り付けた笑顔は保てていただろうか。
「聖戦だよ。聖戦。先生、天使なんでしょ?」
「おもしろそうな話だけれど、ごめんねちょっと急いでるの」
可愛らしく小首を傾げるその少女から、逃げるように階段を上がる。
とっさに人払いの術法もつかってしまった。
自分らしくない。混乱していることがわかる。
「彼女は何者?」
呟くも、答えが返ってくるはずもない。
少女の顔にキリエは見覚えがなかった。この聖戦に参加している天使についてはある程度把握している。
少なくとも全員の顔と名前は頭に入っていた。力を使ってないときは天使だと判別できる聖痕や光輪、羽根は見えないのだから、それくらいは必須知識だ。
ならば、あの少女は誰かの眷属ということか? それにしても早すぎる。
とにかく、何かを知っているであろう下位天使に連絡をとろう。
そう思った矢先。
ガラリ、と。教室後方の扉が開く。
「キリエせーんせ。まだお話は途中だよ?」
「……どうやってここに?」
「普通に先生を追いかけてきただけだよ?」
そんなはずはない。キリエは階段を登った後、人払いの術法を使っているのだ。
ただの人間がついてこれるわけがない。
━━つまり。
瞬間、霧絵の両肩に光が灯る。天使の証である二つの聖痕が淡く輝いた。
「聖罰三則。汝、動く事を禁ずる」
キリエが呟くと、少女の体を中心に、白い輪が浮かび上がる。
神の権限を天使が借り受け、天使が天罰を執行する。だが今回の罰の条件はこじつけだ。故に、拘束力は低い。
それでも普通の人間を拘束することは簡単だ。そもそも、人間は聖力による術法は認識する事ができない。
できないはずなのだ。
「わぁ、白い光」
「ッ!?」
彼女はソレを認識していた。
次の一手を、そう思考を巡らせるキリエよりも早く、少女が動かせないはずの左手を振るった。
ゴバッ!
物凄い勢いでキリエの横を何かが薙ぎ払う。
「くっ……」
痛みを感じ、見ると左足に裂傷ができていた。
「あ、ごめんなさい先生! 当てるつもりはなかったんだけど」
慌てたように叫ぶ少女は、机を縫ってキリエへと近寄ってくる。
キリエの手には、既に次の一手として召喚した拳銃が収まっていた。
白銀のリボルバー式拳銃に装飾があしらわれた、眷属を罰するための天使が持つ儀礼銃。
近づいてくる少女にその銃を向けた直後、キリエは目を見開く。
「なに、それ」
漏れ出た言葉に少女は答えない。
教卓に辿り着いた少女は、霧絵の構える銃口を見つめる。
「懐かしいね、断罪の銃だっけ? どうするの先生。それで私のこと、撃つ?」
少女は臆することなく銃の前に立つ。
「ふふ、私のこと、誰かの眷属だと思った?」
聖罰を用いない術法は、眷属や下層の者達が扱う異能。それを振るった少女が対象なら確実に断罪対象だ。
しかし、
「でも、天使が天使に撃つと、どちらかは堕天しちゃうんだっけ? 地獄落ちで悪魔になっちゃうよ? どうする?」
左目だけに天使の証である聖痕を輝かせて、少女は可愛らしく笑う。
「なにそれ……。そんな……、ありえない」
眼前の光景が信じられないキリエは、ゆるゆると拳銃を構えた腕を下ろす。
「ふふっ」
何が面白いのか、少女は笑みをこぼし教卓へと身体を預ける。
天使は体のどこかに左右対称となる聖痕が刻まれている。キリエは両肩にあるし、他のどの天使達も例外はなかった。
ならば、片目にしか聖痕を宿さないこの少女はなんだというのか。
「ようやく、話が出来るようになったかな、先生? それとも、違う弾丸にでも変える?」
両の手のひらに顎を乗せ、上目遣いでキリエを見上げる少女は楽しげに足を揺らす。
「……貴女、名前は?」
「白黒アク! 白ちゃん、黒ちゃん、アクちゃん、呼び方は任せるよ!」
少女━━白黒アクは花が咲いたような笑みを見せる。そのあまりにも無防備な姿に、毒気を抜かれる。
敵意はないと判断したキリエは銃を消す。
「それで、アクちゃん。私に何のようかしら?」
降参とばかりに両手を上げた霧絵に、アクは左目の聖痕を輝かせて、
「貴女の聖戦に協力してあげる。だから、貴女に私の共犯者になってほしいの」
天使のように、そして悪魔のように微笑んで、そう答えた。
***
「おい、遅いぞノロマ!」
「ご、ごめん」
購買で買ってきたパンの袋を抱えて、僕は校舎裏を駆ける。
「やっときたのかよ。チンタラしてんじゃねーぞ」
「ごめん」
「お、今日は珍しく焼きそばパンもあるじゃん」
「これもーらい」
「あ、おい! ずりぃーぞ」
「ジャンケンやっぞジャンケン」
人気のない校舎裏の一角を占拠したガラの悪い四人組が、僕が買ってきたパンと飲み物を物色する。
「ノロマにしては今日はセンスがいいじゃねーか、ほい」
そう言って、四人の中でも一番ガタイのデカイ男子生徒が僕にお金を差し出す。
「ありがとう」
千円札を受け取り、ポケットに捩じ込む。
千円では足りない金額ではあったのだが、それを口にすることはしない。
夕食でも少し減らせばいい。
「よし、じゃあもっかいいくぞ」
「なぁ編成変えね? もっと速いやつあるだろ」
「でもお前それ以外キャラ持ってねーじゃん」
「うるせーキャリーしやがれ!」
最近流行りのスマホアプリを再開する四人を眺め、タイミングよく残ったパンとお茶を手元に引き寄せる。
そして、少しだけ離れた位置に座り、僕は手の中の戦果を確認する。
あんパン。今日は当たりかな。
***
高校一年の夏。両親が交通事故で他界した。不運な事故だった。
みんな口を揃えてそう言うのだから、そうだったのだろう。
運良く生き残った僕は、リハビリを終えて元の生活に復帰した。
多少視界に違和感もあったものの、僕は前のように生活できていたと思う。ただ、少し、周りからの視線や態度が変わったかなという程度。
しかし、そんな程度気にしようとも思えず、抜け殻のように過ごし、気付けば今近くでゲームに熱中している四人組に絡まれるようになった。
元々は優等生だった僕の事を、彼らが目の敵にしていることは自覚していた。
彼らが僕の両親に関して触れて来た事は一度もないけど、気づいたらパシられるような日々になっていた。
抜け殻の僕は受け入れるがまま、流されるままこの位置に辿り着いた。
高校三年生に上がっても、この日常は変わり映えしなかった。
予鈴がなる。午後の授業が始まる五分前だ。
何の授業だっけ。とにかく向かわないと遅刻する。
僕はチラッと四人組の様子を伺う。
予鈴が鳴った事も気にも止めずに、ゲームに夢中になっているようだった。
今日は遅刻コースかなぁ、と他人事のように考えながら、僕は話しかけるタイミングを見計らう。
できれば、ゲームのキリがよい時がいい。途中で邪魔すると後で面倒である。
「おい、お前ら! 授業が始まるぞ!」
遠くから、声が響く。
振り返ると、男子生徒と女子生徒がこちらに向かってくるのが見えた。
見知った顔だ。
「お、生徒会長さん、デートか?」
「うるせーぞ、無駄な仕事のせいでそんな時間はねーよ」
「うわっやべっ、次グッチーの授業じゃん、遅刻するとやべーぞ」
「おいマジかよ、早く言えよ!」
四人組の内、同じクラスの二人が校舎へと走り出す。
「じゃ、また放課後なー」
「おう」
「おー」
「お前らも早く行くんだよ、オレの仕事を増やすな」
「はいはい分かったよ」
残り二人もしぶしぶと立ち上がり、校舎へと歩いていく。
僕はそれを見送り、散乱したパンのゴミを拾い集める。
「じゃ、僕も急ぐね」
二人の方を見ずに僕も四人の後を追う。
「おい」
その僕を、生徒会長━━柳神アキトが呼び止める。
仕方なく振り返ると、苛立ちを隠さ様子もなく僕を睨みつけていた。その横に立っている生徒会書記━━品口ミコは困り顔で僕らを見つめている。
ふと、彼らが来た方向の校舎の三階を見る。この位置がよく見える部屋が何箇所か。その内の一つは生徒会室だった。
「いつまで腑抜けているつもりだ?」
その問いかけに、眉を寄せて乾いた笑みを貼り付ける。そのいつも通りの対応に、アキトは舌打ちを残し、僕の横を通り抜けて行った。
視線が、ミコとぶつかる。
「ミコも早く行かないと遅刻するよ」
「……ユキくんは?」
「これを片付けてから行くよ」
両手に抱えたゴミをアピールするように揺らす。
「手伝う?」
「大丈夫だって、ほら、遅刻するよ」
「……じゃ、先に行ってるね」
ミコは小走りで校舎へと向かって行く。
その背中を眺めて、見えなくなったところで僕は歩き出した。
校舎の奥、その一階の階段の影にあるゴミ捨て場に、僕は手の中のものを仕分けしていく。
その最中、本鈴が鳴る。
「ああ……」
自然とため息が漏れた。
同じクラスのミコが先に行っているため、先生が僕の事を気にする事はないだろう。
空になった手のひらを見つめる。
僕は、一体どうしたらいいのだろうか?
「お、こんな所にいたんだね、はろはろー」
「えっ?」
声の主を探して顔を上げると、階段の手すり越しに女子生徒が僕を見下ろしていた。
確か、
「白黒さん?」
「ブッブー。しろろん、くろくろ、アクちゃんの三択です!」
「じゃあアクちゃん」
「む、無難な回答だ」
クラスメイトのアクちゃん━━白黒アクは不満気に階段を降り、僕の前へと立つ。
「それで、どうしてここに?」
「それは勿論、小閑木ユキ君を探しに来たのさ」
「僕を?」
何故? 教室に戻らなかったとはいえ、僕のことはミコが伝えてくれるはず。
そもそも、僕が授業に遅刻するのは珍しいことじゃない。
「では、コッヒー、マキマキ、ユッキー、ユキ君。さぁ今度は四択だよ!」
「じゃあユキ君」
「無難な回答だ」
不満げに、しかしどこか楽しそうにアクちゃんが笑う。
こんな子だったけ。
一応、小学生の頃は同じ学区だったから顔見知りではあるのだが、僕の記憶のイメージと結びつかなかった。
「えっと、ごめんね今から戻れば間に合うかな」
「お、ユキ君は真面目だね」
遅刻常習犯の僕には似合わない言葉だった。
楽しげに体を揺らすアクちゃん。連動して背中の黒い悪魔の羽がパタつく。
なんでカバンを背負ってきているのだろうか。
「でも、私はユキ君とサボりにきたのだよ」
「え?」
「お話ししようぜい、ユキ君」
***
それから、他愛のない話を続けた。とは言っても、アクちゃんが話題を振って、僕が適当に応える。これの繰り返しだった。
階段の下、ゴミ箱の横に二人並んで言葉を重ねる。
何だろうこの時間、そんな疑問を抱き始めた所で、アクちゃんがスマホを取り出した。
「おっと、もうこんな時間。ほら、ほら」
アクちゃんがスマホをフリフリと振る。
その意図を掴めずに、僕は黙ってその動作を眺めて数秒。
「連絡先! ほら、スマホだして」
「ああ、うん」
言われるがままにスマホを出し、指示通りに操作する。
友達登録完了の文字を見て、アクちゃんが満足気に頷く。
「よし、じゃあ本題に入ろう」
「え? 今から?」
「そうだよ、何? 雑談しに来たと思ったの?」
まぁ、はい、その通りですね。
なんならもっと早くその本題とやらに入って欲しかったけど、口にはしない。
もう、今更である。
「なんだよなんだよ、不満そうだねユキ君。こんな可愛い女の子とおしゃべりできたのに何か文句あるのかな?」
「うーん、授業はサボっちゃったけど、割と楽しかったよ」
「何点くらい?」
「70」
「無難な点数だ」
何とも言えない表情で唸るアクちゃんを見て、自然と笑みが溢れる。
実際、これ程までに人と話しをしたのは久しぶりかもしれない。それこそ、事故以降だと初めてではないだろうか。
「それで、本題っていうのは?」
軽い気持ちでそう問いかける。
一瞬、アクちゃんの左目が泡白く光った気がした。
「ご両親に、会いたい?」
「━━━━は?」
その言葉の意味を理解できなかった。
両親? 誰の? 会う? 誰が?
「小閑木ユキ君。君にはその資格があると思っている」
混乱する僕を置いて、アクちゃんは言葉を紡ぐ。
「もし、興味があるのなら、この時間にこの場所に来て」
スマホが震える。視線を落とすと、先程追加したアクちゃんとのトークに通知が入っていた。
「じゃあ、待ってるから」
顔を上げると、アクちゃんは既に廊下へと歩みを進めていた。悪魔の黒い羽がパタパタと揺れる。
「まっ……」
呼び止めようとしたが、続きが出てこない。
一体何だというのだ。
わからない。
僕は階段の下で立ち尽くすしかなかった。
***
アクちゃんに指定されたのは、高校から比較的近い大型ショッピングモール。その駅前側の入り口だった。
駅に近いということもあり、客入りは多い方だ。18時という時間も時間である。家族連れの買い物客や、ここ近辺の高校生の生徒など、沢山の人で賑わっていた。
僕はその指定された場所に時間通りに到着した。
さっと、周りを見回すが、アクちゃんらしき人物はいない。
仕方なく、僕は壁際に寄りしばらく待つことにする。
━━ご両親に、会いたい?
あれから、その言葉の意味をぐるぐると考えていた。
両親とはそのままの意味で、僕の両親のことなのだろうか。
2年前に交通事故で亡くなり、僕だけが生き残ったあの事故の。
それと、思い出したことがある。小学生の頃の話だ。
僕は少しだけアクちゃんと関わりがあった事を思い出す。
だがあの頃のアクちゃんは、もっと暗い女の子だった。
記憶が正しいければ、当時、アクちゃんも両親を事故で亡くしている。
死んだ人間に会うことができるとでも言うのだろうか。
僕は幽霊なんて信じていなかった。
そう、過去形だ。最近は少し疑っている。もしかしたら、幽霊がいるのではないかと。
正確には、事故の後見えるようになった説明しようがないモヤのような物は、幽霊なのじゃないかと。
リハビリから退院し、医者からは問題なしと太鼓判押された後も残る、視界の違和感。
たまに見える僕にしか見えないそのモヤの正体はもしかしたら━━。
「難しい顔をしているね」
気がつくと、目の前にアクちゃんの顔があった。
「ッ!? 痛!?」
反射的に仰け反ると壁に頭を打ちつけてしまった。
「あはは、何してるのさ」
痛がる僕を見て笑うアクちゃんを睨む。
「ん? 何? いやいや私のせいじゃないよ。別に驚かそうとしてないからね。ユキ君が話しかけても一切反応しないのが悪いんだよ」
どうやら暫く前からアクちゃんは着いていたようだ。全然気付かなかった。
「いやいや、時間だよ時間だよ。遅刻じゃない?」
時間を確認すると、時刻は18時半になる所だった。
「うむ、30分の遅刻だね。大丈夫、誤差だよ」
「それは僕が決めることだよね」
「ごめんごめん、悪かったよ。でも、少し遅れるって連絡は入れたよ? 既読はつかなかったけどね」
言われて確認すれば、確かにアクちゃんから通知が一件表示されていた。
「いやでも遅刻は遅刻だよね」
「むぅ。そうネチネチ言ってくる男の子は嫌われるよ」
「僕もそう思う」
こんな話をするためにここに来たわけじゃないのだ。
「じゃあこの話は終わり! ごめんね! ちょっと準備に時間かかってさ」
準備とは一体何のことだろうか。
見た目、変わらずの制服と黒い悪魔の羽が生えた鞄で変わった点はない。
しかし、問いを口にする前に、アクちゃんが僕の腕をつかみ引っ張る。
「じゃあ、行こっか!」
***
連れてこられたのはアクセサリー店、だろうか。客層は男女半々といったところか。パッと見る男女二人組が多いような印象も受ける。
あまりこういう店には来たことがないが、ミコは好きそうな店である。でもアヤトは一緒に来ないだろう。
「さてユキ君。どっちがいいと思う?」
一人中を回っていたアクちゃんが二つのアクセサリーを持って、僕の近くにやって来る。
二つともシルバーのネックレスではあるが、片方はシンプルに指輪大のハート。もう片方はハートにさらに小さなハートが引っかかっている。こちらの方ば若干色が金色かもしれない。
「何これ?」
「どっちがいいと思う?」
アクちゃんが笑顔で同じ言葉を繰り返したので、僕は無言でシンプルな方を指差した。
「ふむふむ、なるほどね」
そう呟くと店内に戻ったアクちゃんは、そのネックレス達を元の場所へと戻して他の商品へ。
しばらくすると、また僕のところへと駆け寄ってきた。
「さぁユキ君。どっちがいいと思う?」
今度は右手には何かしらの意匠が施されたブレスレット。左手には似たような意匠が施されたイヤリングだった。
僕は無言でブレスレットを指差した。
「なるほど、無難だね!」
それだけ言い残すとまた店内へと、戻ると二つのアクセサリーを元の位置に戻す。
そして、すぐに僕の元へと帰ってくる。
「じゃ、次に行こうか!」
「え、今のなんだったの」
「いろいろな調査だよ、さぁ次々」
そして、次に連れてこられたのは服屋だった。女性向けだ。なんだろう、既視感を覚える。
「どっちがいい?」
「これとこれは?」
「じゃあこれとこっちは?」
何度か同じやり取りをして次の店へ。
またそこでも同じ事を繰り返す。
何店目か終えたところで、
「それじゃあご飯を食べよう」
そう言ってやってきたのはフードコート。僕はざるうどん。アクちゃんはざるそばを選んだ。
「ユキ君それだけで足りるの?」
ちょっと懐事情がねなんて、そんな話なんてどうでもいい。
「大丈夫だけど、それよりこれなんだったの?」
「これって?」
「今までの買い物みたいな何か」
何かというか、冷やかしだ。アクちゃんが何かを買っている様子はない。
「何って、デートだけど?」
「……デート」
デート、だったのだろうか? いや、どうだろう、買い物に付き合わされただけなのだが。しかし、客観的に見たらそう言えなくもないかもしれない。
「え、なんで」
両親に会いたくないかという意味深な質問をしておいて、なんでデートなんかに。
「だっていきなり両親と会うだなんて、ハードルが高いでしょ。まずはお互いの交友を深めないとね」
「なにその付き合い始めたカップルみたいな」
「なんだよユキ君。私が恋人ってのは不服かな?」
「いや、え? 何それいつから」
「それはほら、連絡先交換した時からだね」
なんだよそれ。
「じゃあ両親っていうのは? それって死んだ僕の両親の……」
悪戯っ子のように笑うアクちゃんを見て、言葉が消える。
「ユキ君は、本当に死んだ人間に会えると思ったの?」
「━━」
揶揄われていたのか。怒りで腰が浮かびかかった。が、ある事を思い出す。
アクちゃんの両親も死んでいるはずだ。
揶揄われた。本当に?
その時だった。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンン━━━━
世界が震えた。
全身が粟立つ。聞いたこともないその音はまるで地鳴りのようだった。僕は慌てて周囲を見渡す。
誰も、今の音を気にした様子はなかった。
まるでそんな音、聞こえていないような━━。
「ごちそうさまでした」
対面に座るアクちゃんも特に変わった様子はない。
「どうしたのユキ君。何か、怖い声でも聞こえた?」
「…‥声」
言われてしっくりと来た。あれは声だった。
「ユキ君は冷静だね、流石だよ。ちゃんと怒れるみたいだし、安心安心」
「どういう、意味?」
にっこりと笑うアクちゃん。
「じゃあ、ここからが本題だよ。ご飯食べながらゆっくりと聞いてね」
「え、じゃあ今までのは?」
「ただのデートだよ」
「……」
「おっと、ユキ君怒っているのかな? こんな可愛い子とデートできたのに何が不満なのかな?」
「……とりあえず一つだけ、アクちゃんも今の声は聞こえたの?」
「それは今からの本題を聞いてからのお楽しみってことで」
つまり、聞こえていた。そういうわけだ。
「分かった。でも、次ふざけたら僕も手が出るかもしれない」
「うん、わかったよ」
アクちゃんはテーブルに両肘をつき、手の平に顎を乗せる。
「そうだねー、改めて自己紹介をしよう」
アクちゃんは変わらない声音で、本題を語り出す。
「私の名前は白黒アク。実は天使なんだよね」
「……」
僕の手が出たのはすぐだった。
***
この世界には、人々に見えないだけで霊的なもの達が存在しているらしい。
死んだ人間が魂となって彷徨っているのだとか。
その魂を次の生へと導くのが、天使という存在。その一人が、アクちゃんだというのだ。
「痛い……、痛いよユキ君。これが流行りのDVってやつなのかな」
メソメソと階段を登るユキちゃんは、僕が叩いた頭を撫でている。
「アクちゃんが、私は天使ですなんてふざけるから悪いんだよ」
後DVを流行らせるな。廃れてしまえ。
「ふざけてないですー。真面目な話なんですー」
「真面目な話なら真面目にして欲しいんだけど……」
それに、そこまで強く叩いてはいない。
「天使っていうんだから、なんかほら、回復魔法的なやつで治せなりしないの?」
「もちろん、できるよ! ユキ君が怪我したら痛いの痛いの飛んでけーってやってあげるね!」
「あるんだ魔法。そうか……、魔法か。その魔法を使って、今から悪霊を祓いに行くってこと?」
「うん、そうだよ。屋上にいるみたいだからねー」
階段を登るアクちゃんの足取りは軽い。
今から悪霊の元に行くのに、特段変わった様子はない。
いろいろとあったフードコートで、アクちゃんからまるで御伽話のような信じることができない話を聞かされた。
とうてい受け入れられるような内容ではなかったし、鼻で笑われてもおかしくない空想話だった。
アクちゃんってもしかしたら可哀想な子なのではと疑い始めている部分もある。
しかし、アクちゃんの話を全否定できない僕もいる。
「百聞は一見にしかず。聞こえてるんでしょ、この声が。なら、現物を見に行こう」
そうして、僕達は屋上へと続く階段を登っているのだ。
「アクちゃんは、どうしてこの話を僕にしたの?」
「うん?」
先に踊り場に登ったアクちゃんが振り返る。
「誰にでもこんな話をしているってわけじゃないんでしょ?」
もしかしたら、仲の良い友達とはしているのかもしれない。でも、僕とアクちゃんが言葉を交えるのは数年ぶりだ。
「この話をしたのはユキ君しかいないよ。だってさ、ユキ君、見えてるでしょ?」
「え?」
「ほら、たまに教室の中を横切る幽霊を目で追ってるじゃん」
その言葉で、僕の中で漠然としてたナニかが確信へと変わる。
「あのモヤみたいなものが幽霊ってこと?」
「モヤ? うーん、はっきりとは認識できてなかったのか。でも、事故の後から見えるようになったんでしょ? たまにいるんだよね、臨死体験を経て見えるようになっちゃう人」
「それは、よくあることなの?」
「さぁ? どうなんだろうね。ああ、でもよくテレビでやってる超能力だったり超常現象! みたいなやつはほとんどインチキだよ」
でも面白いから見ちゃうんだよねー、とクスクスと笑うアクちゃん。
「でも、今までこんな悪霊? の声なんて聞こえたことなかったよ」
「あー、それはね。私がユキちゃんに神聖力を注いだから聞こえるようになったんだよ。もしかしたら、幽霊のこともハッキリと見えるようになってるかもね」
「は? え? 神聖力?」
「まぁMPみたいなものだよ」
「いつの間に?」
「ほら、手を握った時とか」
手を? 買い物に振り回されている時だろうか。確かに腕も引っ張られていた気がする。
「あれだけで?」
「ユキ君はもうある程度見えるようだったからねー。なんならもっと注いで上げようか? ほら」
手を広げて僕を見下ろすアクちゃん。
どうしろというのだろうか。もしかして、抱きつけと?
「爆発しそうだし遠慮しておくよ」
アクちゃんを避けて、僕は階段を登る。
「むぅ、爆発なんてしないよ!」
「いやほら、器に入らない魔力は、みたいな話もあるじゃん?」
「漫画の話と一緒にしないで。溢れたとしても、たぶん光るだけだと思うよ」
「何それ怖い」
後光みたいなものなのだろうか。流石にゲーミング天使みたいに光りはしないだろうけど。
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンン
また声が聞こえて来る。思わず立ち止まってしまう。
「大丈夫だよユキ君。近づくと襲って来るってわけじゃないから」
「悪霊なのに?」
「そう、悪霊にもいろいろいるのだよ。今日のはレベル1だねー」
そうして、屋上へとたどり着く。
屋上は駐車場だ。時刻は21時近くだけど、まだ車も数台残っている。
「じゃあ、お手伝いしますかね」
駐車場へと出たアクちゃんが呟く。
「聖罰一則。何人たりとも立ち入ることを禁ずる」
「……?」
特に変化はない。
「うん、地味だね! 人払いの術法なんだけど、元々人気もないからね、地味だよ!」
わかりやすく行かなかったかー、と残念がるアクちゃんを見て気づく。
左目が淡く光っている。
「アクちゃん、その眼は……?」
「ムム、どうやら気づいてくれたようだね! これが、聖痕だよ!」
これ見よがしに自身の左目を強調するアクちゃん。
聖痕。アクちゃんいわく、天使の証。天使の体のどこかに、刻まれているというそれは、天使が力を行使した時に浮かび上がるのだとか。
「どう? カッコいいでしょ」
アクちゃんの左目に宿った、白い十字架。神秘的に輝く瞳に、僕は魅入られそうになる。
「なんか、厨二病っぽいね」
「ぐふっ」
「ちょっと左目が疼くってやってみてよ」
「やめろ、やめてくれ! 黒歴史を掘り起こそうとしないで!」
恥ずかしそうに顔を隠したアクちゃんが、懇願する。
黒歴史って……。いや、なんだろう。何となく想像することができる。
先程のポーズも中々に様になっていた。
「鏡の前で練習したりしたの?」
「やめてー!」
アクちゃんは顔を隠したままその場にうずくまる。
「いやいや、そんなに恥ずかしがることもないよアクちゃん。カッコよかったよ。この聖痕を見よーって、いい決めポーズだ」
「くっ、ころせ」
アクちゃんのダメージは深い。
なんだろう。
この辺でやめておこうかなという自制心と、もう少しいじめてみようかなという嗜虐心が僕の中でせめぎ合う。
「呼び出されたから来てみたのはいいのだけど、これは一体どういう状況なのかしら」
カツン、と声がした方から足音が近づいて来る。
暗がりから、金髪の女性が現れる。白衣を着たその女性に、どこか見覚えがあった。
「あ、キリエ先生。思ったより早かったね」
「他人を待たせるのは嫌いなの。それで? これはどういう状況? それと貴方は?」
白衣の女性と目が合う。
「紹介しよう! 私のカレ━━むぐっ!」
反射的にアクちゃんの口を手で塞ぐ。
「こんばんは、えっと、新しい保健室の先生でしたっけ? 三年の小閑木です。それと、アクちゃんの言うことは無視してください」
「ええ、こんばんは、小閑木くん。とりあえず、キリエ先生と呼んでちょうだい。それで、アクちゃんから何か聞いているのかしら? 例えば、あれについてとか」
あれ? と、キリエ先生が指差した方向を見る。
そこは特に暗い駐車場の端。何かがあるようには見えなかった。
その時、あの声がまた聞こえてきた。
オオオオオオオンンンン
近い。そう認識した時、その駐車場の端で何かが揺らめいた。
それは、黒い煙のようなものだった。不定形の黒い影の塊。何かを形作ろうとして、霧散する。それをくり返す、漆黒の霞。
「あれが、悪霊?」
「なるほど、見えているのね。正確にはその成りかけ、かしら。魂から剥がれ落ちた、人々の穢れの集合体。あれを浄化するために私が呼び出されたわけだけど、貴方が聖戦の協力者ってとこでいいのかしら?」
「協力者? 聖戦?」
「聞かされてないようね。聖戦というのは━━」
「ちょっと待った、待ってよ! 私を置いていかないで!」
僕の腕から逃れたアクちゃん。
「それになんかユキ君は私の扱いがだんだん雑になってきてないかな!?」
「人は学ぶものなんだよ」
「何を!」
「めんどくさい人のあしらい方」
「ひどい!」
文句を垂れ流すアクちゃんを見て、キリエ先生が溜息を漏らす。
「それで? 彼が協力者ってことでいいのかしら」
「協力者候補って段階だよ。とりあえず、見学みたいな」
「そんな事のためで呼び出さないで欲しいのだけど。しかも成りかけなんて、アクちゃんが浄化してしまっても問題ないのに」
「いや、ちょっとキリエ先生にも教えておこうかなと」
「はぁ、まぁいいわ。まずはやる事やっちゃいましょう」
キリエ先生が、悪霊へと近づく。
「聖罰十則。汝、その穢れを祓いたまえ」
瞬間、悪霊が光に包まれる。
オオオオオオオンンンン
焔が鎮火していくように、黒いモヤが消え行く。
そして、ほんの数秒で悪霊は消失した。
「おおおお」
アクちゃんが拍手を送る。
「なんで貴女がそんな反応をするのよ。するのなら小閑木くんでしょうに」
「ユキ君の代わりだよ。感情表現が苦手みたいだからね」
「そりゃ、アクちゃんと比べたらね」
いやしかし、どちらかといえば拍子抜けだった。こんなあっさりとしたものだとは思っても見なかった。
「成りかけはこんなものよ。これが形を得て動けるようになるとまた話が違って来るわ」
僕の薄い反応を見て、キリエ先生がそう補足する。
動く、動くのか。あれが。
「協力者っていうのは、その悪霊を浄化する手伝いをするってことなの?」
だとすると、僕のような素人の出番なんてない気もする。
「アクちゃん、彼にどこまで説明してあるのかしら」
「聖戦に関しては何一つ教えてないかな」
「……貴女今まで何していたの?」
「思いの外、デートが楽しくて」
えへへ、と照れたように笑うアクちゃん。
また一つ、大きなため息がキリエ先生から漏れる。
「勘違いしてもらうと困るから先に言うけれど、今日みたいな悪霊は珍しいほうよ。最悪死ぬなんて事のほうが普通なくらい」
「いや、そんな事言われても……」
僕は何も知らないのだ。目の前で起こったことは信じるしかないが、死ぬなんて言われても……。
「ユキ君は、いろいろとごちゃごちゃと考えると思う。だから先にこれを渡しておくね」
徐に、アクちゃんが僕の手を握る。
「白黒アクは小閑木ユキに聖なる銃を譲渡する」
「なっ!?」
いつのまにか、僕の手のひらには拳銃が乗っていた。
「何を考えているつもり!? それは━━」
「キリエ先生。これが今日、先生に知っておいて欲しかった事。後は私が説明しておくから」
キリエ先生は何かを言いかけ、そして首を振るう。
「どうなっても知らないわよ」
「大丈夫だよ、ユキ君ならね」
「勝手にしなさい」
それだけを言い残し、キリエ先生が去ってゆく。
「えっと、どういうこと? これは?」
「ユキ君、ご両親に会いたくない?」
「……え?」
「聖戦に参加すれば、ご両親に会えるかもしれない」
「それは、どういう」
「聖戦に勝つとね、何でも一つ、願いを叶えてもらえるの」
その願いを使えば、両親と会えるかもしれない。
でも、今更両親に会ったところで、僕は一体何を話せばいいのだろう。
「叶えてくれるって、誰が?」
「もちろん、神様だよ」
「……」
荒唐無稽な話だ。普通に考えたらあり得ない。しかし、今日僕は見てしまったのだ。
普通ではない非日常を。
「聖戦に参加する方法は?」
「この銃で、誰かを殺すこと」
その言葉に、思考が停止する。
誰かを、殺す?
僕が?
アクちゃんが僕の耳元で囁く。
「奴隷のようにこき使ってくる同級生でも、いつまでも期待して来る親友でも、壊れ物を扱うように優しくしてくれる幼馴染でも。ユキ君が嫌いな、目障りな、鬱陶しい人間でも、そうじゃない人間でも、この拳銃なら誰にも咎められることもない」
アクちゃんを見る。
彼女は優しく微笑んでいる。悪魔のように。
「もちろん、参加しないという選択肢もあるよ。その時は、私に会いにきて」
それじゃ、今日は楽しかったよ。
そう言い残し、アクちゃんは暗闇へと消えていった。
呆然とした僕を残して。
僕の中で、暗い何かが疼いた。