INFPと大学生活(1年編)
こんにちは、最近世間でもMBTI診断なるものが流行っているようですね。
私はもう既に1年以上前にMBTI診断を受けており、その時以来MBTI診断にはまってます。
そんな私のMBTI診断の結果は・・・INFPでした。このnote上には私以外にもたくさんのINFPの記事があるのでINFPはこうしたブログの執筆活動のようなものに関心を持ちやすいのでしょう。
INFPは簡単に言うと「I:内向的」「N:直感的」「F:道理的」「P:探索的」という4文字を組み合わせた性格タイプです。この記事では詳しい説明は省きますが良かったらMBTIについてINFPについて調べてみて下さい。
私の性格をもう少し詳しく言うとINFP-Tという性格で、末端の「-T」には
「ストレスや批判に対する耐性が弱い」
「自己主張をあまりできない」
「人に対して依存する」
といった特徴があるそうです。
一方、「-T」に対する「-A」には
「細かいことがあまり気にならない」
「心配事やストレスが少なく、否定的な感情が長引かない」
「人の視線に鈍感」
といった特徴があるそうです。
詳しくは以下のサイトを参考にして下さい。
さて、本題の私の大学生活を振り返っていきます。
私は高校進学後、現役で今の大学に進学しました。
残念ながら第1志望の大学には落ちてしまいました。
そのため大学に入学した時はあまり気が乗りませんでした。
そして大学入学後もその気持ちを引きずったまま生活をしていってしまいました。
ではここからは時系列で私の大学生活を振り返っていきます。
まずは大学1年時、前述の通り私は大学生活に対してあまり気が乗っていませんでした。
初めの転機は1年の5月でした。この時期に私は何をあろうことか転学部を考え、大学職員に相談しました。
なぜそうしたか、その理由に「内省」がありました。
私は大学入学と同時に一人暮らしをするようになりました。それと同時に一人でいる時間が増えました。また私が入学した年はコロナが流行っており、人と関わる機会が減っていました。そうした状況下でなぜ私はなぜ第1志望の大学に行けなかったのか、そしてなぜ今の学部・学科を選んだのかについて「内省」を繰り返しました。そうした内省の中で私は今の学科では専門性が得られずに就職の時困るのでは無いかと考えるようになりました。そして自分の進路選択の浅はかさを嘆きました。高校時代はとにかく偏差値が高い大学に行こうと考えていました。
当時入学した学科はどちらかというと「広く浅く」学ぶ学科でした。それはそれで自分の関心がある領域のさまざまなことが学べて楽しそうでした。
しかし第一志望に落ちて学歴によるアドバンテージがなくなった私は就職に怯えていました。そこで私は今の学科の中でも特にやりたいことを専門的に学べる学部に転学部しようと考えました。
そして大学職員に相談しました。職員は私の話を真剣に聞いてくれました。しかし自分の学科でもやりたいことを専門的に学べる可能性がある、また研究室ではかなり専門的に学べる可能性があるということを知りました。また、就職に関しても自分が希望している学部先と同じような就職先に就職する人が多いことを知り、結局後期の授業で他学部履修をして様子を見ることで落ち着きました。
【ネタバレになりますが今現在(大学4年)まで入学した学部・学科にいます】
その後、他学部履修の件も一旦落ち着き前期の講義を履修します。前期の時はそれ以外には大きなトラブルはなく、無事フル単で夏休みを迎えます。
しかし、大学1年の後期がもっと大変でした。
9月、私は自動車免許を早く取っておいた方がよいと聞き、教習所に通うことになりました。そして夏休みも終わり、後期の授業が開始しました。
しかし大学1年の後期は大学生活で最も大変でした。
大変だった理由は3点あります。
1.教習所が辛かったこと。
2.授業が辛かったこと。
3.コロナで相談する人が少なく、基本的に家にこもるしかなかったこと。
です。
1.について
私が通っていた教習所は大学から比較的近いところにある教習所だったのですがここがとてもパワハラが日常的な教習所でした。そもそも教習所自体あまり教官が優しい人だとは思っていませんでした。しかし入所すると想像を絶する大変さでした。
(ちなみに私が通っていた教習所はネットでやばい教習所のひとつとして名前が挙がっていることを後から知りました。)
教習所には学科教習と技能教習(名前は異なるかも知れません)が概ねその2種類に分かれています。卒業するにはそれぞれの教習を最後まで履修し、試験に合格する必要があります。学科の教官は割と普通(無愛想でしたが)だったと思います。よって着々と履修を進めていきました。
問題は技能教習でした。技能教習は実際に教習車に乗って運転の技能を習得していきます。実際にあったこととして教官からほぼ毎回怒鳴られる。(指示通りにやっているのに)、ドアを蹴る、私が運転している横で寝ている、そもそも何も教えてくれない、物をたたきつける等々たくさん嫌なことがありました。
こうしたことが一回でなくほぼ毎回なので教習所に行きたくなりました。教習所には教わりたくない教官を指名できる制度がありました。勿論使いまくりました。しかし他の受講生も私と考えていることは同じで一部の若くて優しい教官ばかりが予約で埋まっていきました。なので毎回とは言わないまでも何回かは前述のような教官に当たってしまいました。
そんなことがあって教習所は結局大学2年の4月にやっと卒業できました。また同月、免許を取得しました。正直教習所は3か月くらいで卒業するつもりでした。でも結局半年以上も卒業するのにかかってしまいました。
2.について
授業が辛かったこと、これは入学した学科が「広く浅く」学ぶ学科であることが関係しています。大学を卒業するには単位が一定以上必要です。そしてその中には必ず取得しないと卒業できない必修科目が存在します。
私の学科の場合その必修科目が私の学科で学ぶ様々な分野に対して設定されていました。つまり様々な分野の科目を私の関心があるかに関わらず受講する必要がありました。
私は自分の学科の中でどうしても関心が持てない分野がありました。しかしその分野の科目も取得する必要がありました。
実際、その科目を受講したのですがその科目は座学ではなく、演習形式の科目だったこともあってただひたすら関心のないことに時間と努力を注がないといけないという状況になりました。これが辛かったです。
また、この時期は必修科目以外にも他学部履修した科目や教養の科目なども軒並み課題が大変でした。
3.について
そして1.2.のつらさに拍車をかけたのがコロナでした。私はまだこの当時大学には入学したものの大学には行っておらず、同級生のつながりもSNS上で少しあるくらいでその人たちの本名も顔も知りませんでした。
つまりはこうした状況を共有する人があまりいませんでした。
1~3のような状況下で
そして、一人暮らしの狭いアパートで授業を受けているうちに教習所にも行きたくなくなって引きこもりのようになりました。
当時はまだ夢を持っていませんでした。ただ夢もなく、目的も無いまま、ただ今が辛いという状況にメンタルが病んでいきました。
当時はうつ病のような症状が現れていました。
例えば、
一週間風呂に入れずに身体が清潔ではなくなっていく
ベッドから起き上がれずに一日をベッドの中で過ごす
一日一食しか食べない。(動かないので体力を消費しないことと、そもそも食べるために動けないことが原因かと思います。)
昼夜逆転し、夜に主に活動するようになる。
などです。こうした症状は改善するまでとても大変でした。
今でもストレスとプレッシャーに押しつぶされるとこの頃の症状が現れることがあります。
こうした状況下でもなんとか後期の授業を終えました。そして2年の4月には免許も取り、大学にも徐々に通学するようになりました。
授業に関してはGPAが前期よりも1.0近く下がり、単位もいくつか落としました。他学部履修の単位も落としました。
ここまでのことを踏まえると私がINFPぽいなと感じませんか?
あまり人に頼れない性格、計画をせずに行動してしまうこと、ストレスやプレッシャーでメンタルが病んでしまうことなど。
ここまではINFPの悪い面が目立ったかと思います。
しかし、大学2年でINFPの心理機能の主要機能である(Fi:内向的感情)
を活かして、良いことがありました。
では、大学1年編はここまでです。
次回は大学2年生編です。
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