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ブラックウォッチマフラーの香り #シロクマ文芸

 マフラーにいなくなった父親の匂いが染みついている。
 ブラックウォッチのタータンチェック柄が息子はお気に入りだ。彼にとって父親の記憶といったら、月1回会いに来て、好きな玩具と母親には買ってもらえそうにない甘いお菓子を買ってくれる人程度としか、彼は感じていないだろうと思っていた。
 それは、母親である私が勝手に想像していたことにすぎなかった。

 父親が会いに来なくなって数年たったある冬の晩。私は近所の衣料品店で息子に似合うだろうと白地に紺色と赤色のひし形が特徴なアーガイルチェック柄のマフラーを買ってきた。
 小学校高学年に入ってから一日も登校できなくなってしまった息子へ、冬休み前に少しでも学校に顔を出してほしくて買い与えた。
 でも、彼は頑なに父親の匂いが染みついた古びたマフラーを手放そうとはしなかった。クリーニングに出すだけよとウソぶいた私の言動に気づいたのか、息子は泣き叫びながら懇願した。
「イヤだ‼ ボクはこのマフラーがいい! このマフラーだけがいいんだよ!」
 と。
 悲しかった。知らぬ間に涙が溢れていた。
 生まれてから十年以上一緒に生きてきた私よりも、二年ちょっとしか共に暮らせなかった父親の温もりの方がいいというのか。
 私は息子が発病して、死を迎えるかもしれないという恐怖を何度も味わった。今のこの気持ちは、それ以上の恐怖と哀しみだ。
「パパの匂いが残っているから?」
「パパの匂い?」
 息子はキョトンと不思議そうな瞳で私をみつめ、父親が残したタータンチェックのマフラーにその顔をうずめた。
「この香水の香りが、好きなの」
「香水?」
 私は息子の方へ近づいて、ブラックウォッチのタータンチェック柄マフラーの匂いを嗅いだ。
 汗やホコリの匂いの奥に、微かに香る亡くなった父親が好んで使っていたオーデコロンの香りだった。
「ああ、これは確かにパパの匂いね」
「ふぅ~ん」
 記憶に染みついた香りは消え去ることはできない。
 息子から父親を遠ざけてしまった私に対する罰だとしたら、素直に受け入れるしかない。

「でも、ずっと使えるようにきれいに洗って、またパパの匂いを乗せてみたらどう?」
 息子は私の顔をじっとみてから、ゆっくりとマフラーを外し、手渡した。
「その間、ママの匂いをたっぷり乗せたこのマフラーをつけていて」
「わかった」
 と息子は、少し不服そうな顔つきのままアーガイル柄のマフラーを受け取った。

 日曜日、クリスマスムードで華やぐ銀座のデパートで、パパの思い出と同じ香りのオーデコロンを買った。そして、クリーニングから戻ってきたマフラーに優しく吹きかけた。
 息子はマフラーを手に取ると顔をうずめ、静かに目を閉じた。
「あったかいね」
 と嬉しそうに言った。

                      了



#シロクマ文芸 #マフラーに #賑やかし帯
小牧幸助さん、企画参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。


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緋海書房/ヤバ猫
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