虫食いだらけの詩編 #青ブラ文学部
今では、ほとんどの者が足を踏み入れることがなくなった詩の森。全盛期には、たくさんの詩人たちがこぞって詩の神の元へ会いにきていた。詩の神から、美しく心に響く抒情詩をもらい受けるために。売れ筋の詩人や作詞家などは足繫く通っていたものだ。
それがいつしか、一人また一人と、訪れる者がいなくなっていった。それでも何人かの詩を書く者たちは、詩の神の言葉を求めて深い森へと向かっていく。
「詩神は、もうすっかり枯渇してしまったのさ」
そのような声が、漏れ聞こえてくる。
「たしかに先日頂いだ詩編には、ところどころ語句が抜けているとこがあったしな」
と言って、詩の森へ向かおうとしている私に真新しい詩編をみせてくれたのは、当代きっての売れっ子詩人だ。
「もう私は、詩の神に頼ることはやめたよ。こんなに虫食い状態では大変な思いをして接見した意味がない」
「以前から、忘れっぽい詩の神だと言われていましたけど」
私に詩編を見せていた売れっ子詩人は、同意を得らなかったと見るや否や、眉間にしわを寄せた。
「これはもう、忘れっぽいウンヌンの程度ではないぞ。それでも、行くのかい?」
売れっ子詩人を追尾していた駆け出しの詩人が、言葉をも付載する。
「近年は往来が少ないために、獣道すら消えかかっているぐらいですよ。か弱き乙女が向かわれるのは、危険かと」
「どうして健児方は、女はみな乙女であり弱いと思うのでしょう。私は乙女でもありませんし、か弱くなんぞありませんよ」
「これは、失礼」
売れっ子詩人と駆け出しの詩人が声を揃えて謝罪した。
「昨日よりも賢くなってよかったですね。それでは、先を急ぎますので」
私は、忘れっぽい詩の神を蔑む言葉を投げる二人の詩人に精一杯の皮肉を送った。
詩の森に入っていくことに迷いはなかったけれど、前人の詩人たちが言ったように獣も通らないような草木が鬱蒼と茂った森が広がっていた。しかし、私には恐れを感じている時間はない。夏が終わる前に何としてでも詩の神に会わなければならない。そして、バラバラになっている私の気持ちをひとつの詩として形に仕上げてもらう必要がある。
あの人が、あの街から去ってしまう前に、詩編として届けなくてはならない。
道なき道を進む。枝の間から太陽の陽が輝く。何となく希望が見えたような気になる。茂みの中から、時折小さな花が微笑んでくれる。
小鳥たちの歌声に導かれ、詩神が住まう小屋にたどり着く。巨木の中をくり抜いたような小屋には緑鮮やかな苔が生している。
「やっと、ここまで来られた」
詩の森深くに居を構え、多くの詩謳いに『愛の詩』を与えてきた詩神。
「詩の神様、どうか、このバラバラになっている私の言葉をひとつの詩の中に通してください。それでも変えることができなければ、受け入れます」
初めてみる詩の神は、仙人のような風貌で微笑みながらロッキングチェアに揺られていた。
私は愛する人への思いをたくさんの言葉で詩神へ伝えた。
「君は、何に悩み、何に迷っているのかな?」
「私の気持ちが、あの人にちゃんと伝わるかが」
詩神は、ロッキングチェアから立ち上がり、ウォールナット材のライティングビューローから1枚の便箋を取り出した。
「これを、君に与えよう」
差し出された便箋は四隅に色違いのバラの花が描かれていて、ひと言
「心を開け放たれよ」
と書かれていた。
私は、やはりこの詩神は、忘れっぽい詩の神なのだと確信した。
「あの、これだけですか?」
「抒情詩たるもの、誰かに与えられるのもではない」
「ですが、今までは」
「今までも、私は星の輝きのごとく導いていただけだ。虫食いの中で悩み、己の言葉で眠っていた胸の内を埋めていけばよいのだ」
「では、詩の神は枯渇したのではなく、まして、忘れっぽい詩の神でもないということですね」
「己で迷い、悩み、努める。それでこそ、本当の詩が生まれるのだ」
「ありがとうございます」
「存分に、悩みなさい」
と言って、詩神はたくさんの真っ新な便箋を数枚渡してくれた。
何度も、何度も書いては消しを繰り返した。
つつましい願いが、忘れっぽい詩の神の言葉とともに
便箋の上で、輝き初めていた。
了
#青ブラ文学部 #忘れっぽい詩の神
山根あきらさん
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