恋ととち餅の作り方教えます #青ブラ文学部
一人、深山幽谷のような山間にきた。
とにかく、人里離れた場所で頭を空っぽにしたかった。
別に終の住処を探していたわけではないが、少しのんびりと考える時間を必要としていた。
渓流沿いをしばらく歩いていると30メートル以上はあろうかと思われる巨木が見えてきた。
近づくと、渓流からパアっと蛍光塗料をぶっかけたような派手なパーカー姿の人が現れた。僕はびっくりして、大きな岩の上に尻もちをついてしまった。尾てい骨にヒビが入ったのではないかと思われるほどの激痛が走った。
「あっ、驚かせてしまって、すみません」
「す、すみません」
と僕が言うと、その人は蛍光塗料のフードを外した。
20代後半か30代前半と思われる若い女性だった。
「そんな、謝るのは私の方です」
「ち、ちがうんです。尻が痛くって上手く立ち上がれないので、て、てを貸して……」
「あっ、すみません」
それから僕は、女性の母親が営むという宿屋へ向かうことになった。
痛めた尻を押さえつつ、悪路をかなりの距離を歩かされた。
「あそこで何をしていたのですか?」
僕は素直に逢笠と名乗る女性に訊ねた。
「えっと、宿で提供する『とち餅』用の栃の実を拾いに」
「栃の実……ね」
「本当にすみません」
やっとの思いで逢笠さんの母親が経営しているという宿に到着したが、そこには小さな古民家が建っており、一体築何年なんだろうと不安がよぎるほどに朽ちた外観が、人の往来の無さを物語っていた。
訊けば数年前までは、この辺りでも数軒の宿屋があったそうだ。利便性が悪い上に、これといった観光名所がないため次第に客足が途絶え、1軒、また1軒と宿をたたみ、山を下りていってしまったそうだ。今では連れてこられたこの宿だけになってしまったようだ。
「まさしく、ポツンと1軒です」
と、宿屋『七海の家』の主人・逢笠洋子さんが言って笑顔をくれた。
「あ~、宿代は結構ですよ。うちの七海がご迷惑おかけしたのですから」
僕ははじめは客引きのため、ワザとあの沢にいたのではないかと疑っていたが、その温かいもてなしに曇りが消えた。
薪がくべられていない囲炉裏を挟んで洋子さんと話していると、小さな子どもの声が弾んできた。
「バァバあ~、みてみてぇ。きのみが、にらめっこしてんのぉ」
「ちょっと待っててね。今、お客さんとお話してるから」
どうぞ行ってあげて下さいと僕は洋子さんを縁側に促した。僕も痛い尻を押さえながら縁側へ体を向ける。
「風太、木の実を持っていったらダメでしょ」
と、庭の奥から七海さんの声がする。
木の柵の上に、ちょこんと二つの栃の実が、本当ににらめっこをしているように置かれていた。一見すると小ぶりな栗の実にみえるが、栗の実よりも形がいびつで色が濃い。ちっさな栗饅頭にもみえる。
「孫が騒がしくて、すみません」
風太くんを抱きながら戻ってきた洋子さんは目を細めながら言った。
この宿の親子は「すみません」という謝罪の言葉が口ぐせとなっているようだと思い、微笑ましいような可哀そうな、複雑な気持ちになった。
「こちらの宿では、とち餅が食べられるそうですね」
「すみません」
ほら、また言ったと思い、僕は笑った。
「私、何かおかしなこと言いましたかね」
「ち、ちがうんです」
僕は僕で、吃音が激しくなっていた。
「とち餅を食べて欲しかったんですけど、とち餅は実を集めてから餅にするまで一ヶ月以上もかかるんで、今は食べてもらうことができないんです」
とち餅という見た目は実に地味な和菓子であるが、洋菓子以上に手間と時間がかかるスイーツなのだった。
・まず、深い谷に入り、栃の木を目指す
・それから、一晩水に浸して虫抜きをする
・虫抜きを終えた実を、今度は10日から15日ほどかけて乾燥させる。
しっかり乾燥できた実は、振るとカラカラと音がする
・次に、大きなカッターのような刃物で皮をむき二週間ほどおいて、
一番大切な灰汁抜き先業に入る
・灰汁を抜くには、広葉樹の葉を燃やした灰を細かく細かく、丁寧に
漉されたきれいなものを使用する
・その灰に水を入れ、ドロドロ状態にした中へ栃の実を入れて、これまた
3~4日浸しておく。すると栃の実が、だんだんと黄色みを帯びてくる
そして、ドロドロについた灰をきれいな水で洗い流していく
・栃の実と餅米を蒸して、それで、やっと、餅つきまでの準備が整う
本当に長い工程を経るわけだ。
僕は、とち餅が出来上がるまでの長い工程を聞き、なぜか怪我の功名だと思い、秋が深まるまで『七海の家』に滞在することにした。
山間の宿『七海の家』で、とち餅を食するまでは帰りませんと僕は逢笠母娘に断言し、宿代をまけてもらうためにも懸命に宿をサポートした。
伝統と自然を守りながらも、少しでも客足が戻るよう僕なりに力を注いだ。
「やっと食べられるんですね」
僕は、丸められた『とち餅』を頬張りながら、ここを終の住処にしてもいいんじゃないかと、思いはじめていた。
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山根あきらさん
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