ドリスが掴んだ希望 #青ブラ文学部
これは漁師や農夫として自給自足の生活を営みながら、エーゲ海に浮かぶ孤島で男兄弟だけで暮らしていたエピメテウス家の伝説だ。
実に不思議な話であるため、ごく一部の人たちの間にしか伝承されていなかった。おとぎ話だとしても、大切に語り継がれてきたことには理由があるはずだ。
孤島の男たちの子孫だと言われる人たちが、エーゲ海に点在する島々に生存しているからだ。
私も彼らから話を聞き出したくて、消滅してしまったという伝説の孤島に一番近いであろう島へ渡った。
エーゲ海に浮かぶ島々には、さまざまな古代遺跡が残っている。そして、多くの神秘に満ちた逸話も残っていた。
大嵐が去った次の朝、白い砂浜に大きな甕を抱えた女性が流れ着いた。おそらく彼女は、その甕にしがみついていたおかげで海に沈むことなくエピメテウス兄弟が暮らす島に流れ着いたのだろう。
女性を最初に見つけたのは五人兄弟の三番目、理性と知性を併せ持ったヴィゴだった。
「これは、ウワサの女性という種族ではないか」
この世の者とは思えぬほどの美しさに、ヴィゴは目を奪われた。女性が生きているのか、死んでいるのか、ヴィゴは彼女の顔へ静かに近づき呼吸の有無を確認した。理性を持つヴィゴをもってしても心臓がバクバクすることを押さえることができなかった。
しばらくすると、漁から戻ってこないヴィゴを心配して末っ子のエバンスが浜へやってきた。エバンスの目に映ったのは白い肌をキラキラと輝かせ、水色に光る海藻を頭から背中にかけて纏わりつかせている大きな魚を抱えたヴィゴの姿だった。
「ヴィゴ、凄い大物を獲ってきたな」
と、エバンスは興奮気味に言った。
「エバンス、これは獲物ではない。女と言って、俺らと同じ人間だ」
「人間なのか? こんなにキラキラと鱗みたいに光っているものが?」
「お前が物心つく頃には、母様はもうこの世におらんかったからな、女という生き物を知らなくても仕方がない」
「今日の獲物ではないんだな」
エバンスは少しがっかりしたようだった。
ヴィゴは、最初に女性を見つけたのが自分であり、その姿を見られたのが純真無垢な末っ子のエバンスで良かったと思った。
ヴィゴはエバンスに村に先に帰えるよう促し、女性のことは他の兄弟には黙っておくようにと念を押して、島の奥深い洞窟へと向かった。
そして、女性を匿った。
「どうしてヴィゴは、女性を他の兄弟に秘密にして匿ったのです?」
私は島の長老であるヴィゴの子孫に訊いた。
「そりゃあ、ドリスを独り占めしたかったからだろう」
「独り占め……」
「もしくは、エバンスの命を守るためかな」
「エバンスの?」
島では自給自足で生活をしているため、五人兄弟が生きていくためがやっとの食糧備蓄しかない。ドリスを村に連れ帰ったら働き手にならないエバンスが犠牲にならざる得ない。ヴィゴはそう案じたのだろう。
洞窟にドリスを匿ってから、ヴィゴは足繁く食料などを運び彼女の命を繋いだ。そして、ドリスとの愛の園を粛々と築いていった。
しかし、兄弟へ飢餓の恐怖を常に植え付けていたエネアがエバンスからドリスを匿っている洞窟を探りだしてしまった。
ちょうど漁に出ていたヴィゴと入れ違いになってしまっていた。洞窟奥に佇むドリスの姿を見て、エネアは嫉妬の怒りに震えた。
「ヴィゴの奴、このような美しい女を独り占めしようとしていたのか」
エネアの存在に気づいたドリスは、自分を助けてくれた甕を盾にして命乞いをした。
「あ、あなたはヴィゴ様のご兄弟?」
ドリスは震える声で訊ねる。
「そうだ。俺が長兄のエネアだ。俺に内緒で何を姑息な」
エネアはドリスに覆いかぶさり衣服を剥がした。
「待って、待ってください」
「わたしでは不満だというのか!」
「いえ、そうではなくて。私の身体よりももっと素晴らしいものが、この甕の中にたくさん入っておりますの」
「お前の、その姿よりも高価なものか?」
「ええ。もう一生、漁や農作業に勤しむことがないようになりますよ」
ドリスは目の前のエネアをじっと見つめ、妖しく微笑んだ。
「なんと」
「ささ、早く甕を覗き込んでご覧なさい」
「いや、お前が開けて見せろ」
「では」
ドリスはニッコリ微笑むと、重たい蓋をゆっくりと動かした。
すると、ずれた蓋からスルスルと眩い光があふれ出して、あっという間にエネアの身体を覆った。
「ああ、何なんだこれは!」
エネアは燃えるような激しい痛みに襲われた。
「それは多くの災い」
「良い物が入っているのでは、ないのか」
「私の中には、泥棒の性格に嘘が入っています。この甕の一番底には」
「な、なんだ早く言え」
「紅一点の魔物、希望です。欲しいですか?」
「そんなもので、腹がいっぱいになるか」
そう最後に言い残し、息絶えた。
エネアに纏わりついていた災いは村へ向かっていった。
「ヴィゴのように紅一点の魔物、希望を選んでいたならば命を長らえたものを」
ドリスは甕の蓋をまた静かに閉じた。
そして、愛するヴィゴの帰りを待った。
#青ブラ文学部 #紅一点の魔物 #賑やかし帯
山根あきらさん、企画に参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。