デイサービス利用開始〜遠距離介護記録9
見学したAデイサービスには、ここはちょっと、と気になるところがなかった。他へ見学に行きたいとも思わなかった。妹も同意見だった。母は新しい情報のインプットで手一杯の様子。
Aデイサービスを試してみることにした。
初めは体力が保ちそうにないので、おやつなし3時まで。入浴はなし。父は入りたがらないだろう。もし入浴しても忘れて、リウマチの身体を温めないと寝られない、と夜入るだろう。
まだ少しの介助で入れるから、いよいよ入れなくなってからでいい。家を空けてくれることが、目的だ。
ケアマネさん、デイサービススタッフとの契約の場には初めだけいたが、細かい話は聞こえていないし、父母には中座して休んでもらった。何のことかわからないけれど、にこやかだ。
父の人柄の良さに時々感心することがある。母から子どもにするように、叱られたり、口出しされたりしても、以前より言い返さない。少し途切れたら何の話だったか忘れるせいもあるだろう。究極の一期一会だ。その一期一会の対応が、基本的に穏やかなのだ。
もちろん、あまり責めたてないようにはしているのだが、母とて少しは言わないとストレスが溜まる。母を止めすぎないようにもしている。
私は時々、父と顔を見合わせ、お母さんはしょうがない、という無言の同意。父はにっこりしてくれる。
さて、デイサービス初日。お迎えが来るまで何も言わなかった。事前に説明したら行かないと言うだろうし、その話自体をすぐ忘れるのだから、無駄に波風が立つだけだ。
支度を逆算して8時に起きるよう、さらに15分前から声かけ。お尻が痛くて便器に座っていられなくなる30分の朝トイレを、声かけで短縮させる。その後少しづつ手伝って、着替え、入れ歯入れ、食事を速めるよう努力。9時半にどうにか朝食後の服薬。お迎えのピンポンが鳴る。ああ、これ、毎週やるのか。ちょっときつい。
私「お迎えに来てくれたよ」
父「お父さんどっか行くんか」
母「体操して来て」
デイサービスという単語は出さない。自分は介護を受ける必要ない、という自己イメージは固いから。
個別に来ていただいたお迎えのスタッフに、上がって声かけしてもらう。
「どこ行くんや?」
「前に見に行ったAさん。大丈夫、どこかわかってるから。何かあったら連絡うちに来るから」
さっぱりわからないながら、「お願いします」とかは言って頼りなげに車に乗った。
この「あれよあれよ作戦」は、3〜4か月続いた。母は、お父さんがかわいそうだと言った。行ってもらう方法はこれしかないのに、行かせたいと言ったのはあなたですよ。
父は気を張って過ごしているようだ。帰った父に聞く。
「疲れたでしょう?」
「何が?」
毎回、帰って定位置についたら、出かけていたこと自体すっぽり抜け落ちている。でも、高揚感が残り機嫌は良い。
秋に開始したデイは、半年経って暖かくなり、こちらも慣れて朝の支度が楽になってきた。体力も脳の状態も回復してきている。
お迎えのチャイムが鳴ると、
「あ、今日どっか行く日だったか」と出かけられるようになった。
行けば場所馴染みはできているのだろう。名前は覚えていないが、父にとって「どっか」はAデイサービスのことだ。